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小賢しさにプレゼント

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「好きです。……臨也さん、好きです」

 透き通るような声だと思った。臨也は薄暗い部屋で半袖から伸びた細い腕の青白さを見て、その外観に聴覚までもが影響を受けているのかと疑ってしまう。そんな声を、帝人は出していた。
 声色だけを聞けば甘えている。けれどその言葉の中には執着がない。淡々として音を紡いでいるだけのような声だから、帝人の声は透き通っているのだと、イメージとしては透明なのだと、臨也はそう結論付ける。

 臨也は室内に籠もりがちな自分と同じだけ白い肌をした帝人の手首を引く。左手で握ると、帝人の腕は思ったよりもしっかりとしていて、臨也が誑かしてきたどんな女の子達とも骨格からして違う生き物なのだということが分かる。それでも、その手を引き、自分の方へと寄せようとする臨也自身が臨也には少し滑稽なようだった。

「俺も好きだよ、帝人君」

 臨也の声も、質を言えば帝人と似たり寄ったりではないだろうか。柔らかく、部屋の暗さに見合った、染み込むような声だった。けれどやはり、そこに執着心は微塵も感じられない。

 臨也の首に帝人の腕が回った。空調のよく効いた部屋で汗の引いた帝人の腕は少しだけべとついていた。帝人は免疫力が高いせいもあるのだろうが、体臭が薄い。汗を掻いていた事実も、首に触れる帝人の腕に直接触れなければ分からなかっただろう。

「臨也さん、臨也さん」帝人は臨也の名前を繰り返した。

「臨也」を認識しようとしているのか、あるいはそこには「臨也」という名前の別の意味合いが含まれているのかもしれないが、臨也はこの帝人の発する声が嫌いではななかった。
 執着心のまるでない声。けれど、臨也を離すまいと望む部分も確かにある、拘束力を携えた声だ。

 臨也を信奉する少女達とは違う。帝人は常に、どこかで臨也を俯瞰に見つめている。あるいは、帝人自身も俯瞰に見ているのかもしれない。

 短い帝人の髪に首元を擽られながら、臨也は笑った。口元だけを歪める厭な笑みだったが、それは帝人には見えない体勢でのことだ。
 臨也は帝人の身体をゆっくりと、しっかりと、深く抱き込むようにして捕まえる。薄着の臨也の胸にやはり薄着な帝人の胸と腹がぴたりと触れた。臨也は少し、探るように帝人の背を優しく撫でる。
 深く腰を掛けた黒い革張りのソファが重心の移動にきしきしと小さく鳴った。

「帝人君はぁ、」
「……」
「俺の事が好きなんだねぇ」
「……そうですね」
「ふぅーん」
「臨也さんも、でしょう」
「ははは!」

 臨也は帝人の耳元で笑い声を漏らした。帝人の耳に、区切りの良い笑い声が聞こえる。は。は。は。やけに切れているように感じられる声だ。

「否定するなら離して下さい」
「……まさか。否定なんてしないよ、俺は」
「肯定しないなら、貴方から僕に関わろうとしないで下さい」
「ヤだね」

 二度目の提案には即座に否定を返して、臨也は帝人を抱く腕に一気に力を込めた。「ぐ、」帝人は小さく呻く。まだ中途半端にしか発達していない帝人の骨がみしり、と音を上げた。

「だって君は、俺に関わってくる気なんだろう?そんなのは狡いよ」
「狡く……な、か…」
「狡いさ。そうやって狡くないと訴えること自体がまぁ、狡い」

「小賢しいね、実に小賢しい」臨也は繰り返し帝人を貶めてから、帝人が数秒黙り込むと帝人の両肩を掴んで一気に二人の身体に隙間を作った。お互いの表情がよく見える、数十センチという隙間を。
 帝人の瞳は丸かったが、それが臨也の楽しげな表情を映すと途端に鋭くなった。
 臨也は楽しげな表情から、にこ、と瞳を細めてわざとらしく人の良さそうな笑みを作る。こうすると帝人が怪訝そうに顎を引き、臨也の次の行動を待つ癖があることなど臨也はとうに知っていた。臨也の膝の上を跨ぐようにして乗る帝の足が、緊張からか内股に力を入れている。

「俺も好きだよ、そう答えた次の瞬間に否定する前提と肯定しない前提とを持ち出す君に、俺が更なるリップサービスを行う必要性があるとするならばそこにはそれだけの理由とメリットがなくちゃ。俺は君よりは大人で君ほど我が儘じゃないつもりだけど、だからこそ俺は君を甘やかしてなんてあげないのさ。これも愛だ、愛とはエゴイズムなものだからね。ねぇ、そうだろう?」
「……否定はしませんが」
「出来ないんだよ。自信不足な君より俺は間違ってないから、君が俺を責める資格なんかない」

 臨也の追求は帝人にとって些かきついものだった。帝人に恥を掻かせ、惨めにさせる言葉の羅列だ。
 先程まで居心地の良い部屋に思われたこの部屋の薄暗さも、空調の効いた部屋の涼しさも、全てが帝人にとって空虚な作り物のように感じられる。
 帝人は口元をへの字に曲げ、視線を臨也の首もとに集中させた。今臨也の意地の悪い瞳を見たら、それだけで泣いてしまいそうだった。

 部屋が薄暗いのは単に太陽光が水平線の向こう側に向かうまで部屋の電気を点けていなかったからという、それだけのことだ。帝人が部屋に来たばかりの時は、まだ夕日が部屋の隅にまで届いていた。
 太陽の終わりに染まった部屋で、臨也の瞳も茶や濃い橙色をして見えた。黒が見ですら、オレンジピール色だった。綺麗だった。

 今は黒い。帝人に言わせれば「茄子色」の部屋で、部屋は深海のように静まりかえっていた。
 意識すれば、ぐあんぐあん、と少し鈍い音が部屋の空調が稼働している音を知らせたが、それも深海の中の泡の音に比べればずっと静かに違いない。
 このまま時間が過ぎれば、部屋は真っ暗になるだろう。ネオンの光だけが届く部屋は水深数メートルになる。感情はもっと深く、本当の深海色に塗りつぶされてしまう。陰鬱だった。

「帝人君はー…」

 臨也は言うなり、唇の先を帝人の頬に当てる。そのまま滑るようにこめかみへ。そして額に届く。一度閉じた帝人の瞳が、ちらり、と臨也をとらえた。

「可愛いからたちが悪いよねぇ」
「……なんですか、それ」

 憮然として応えながら、帝人は臨也の中に怒りが無いことに少しだけ安堵した。
 可愛い、と帝人を言うのは精々帝人の母や、幼少時代から帝人のことを知っている親友くらいのものではないだろうか。「可愛い」なんて表現は、臨也のことを見る街角の少女達が気にしている服装のことを指すのだろう。
 帝人は結局臨也の言う言葉など何一つ理解出来ず、理解する気も起きなかったが、臨也が「可愛い」と思って許容してしまうような外見をしているのならばそれも悪くないと思う。
 決して可愛くはないと自覚している自分の外見だが、帝人自信を見て可愛いと言うのならば、そう思う臨也がおかしいのだ。帝人におかしくなっているのだ。それはそれで、嬉しい出来事だった。

「帝人君を虐めると、困ることに少しだけ俺は反省なんてしちゃうんだ。おかしいよね、俺の柄なんかじゃ全然無い。ほんと、気に入らない」
「虐めた自覚があるなら反省は当然だと思いますけど?」
「ええ〜?やだな、」
作品名:小賢しさにプレゼント 作家名:tnk