ステラ
“星が降る”という言葉が、こんなに似合う夜はなかった。
自室のバルコニーから夜の地中海を臨み、海からの風を受けて金色の髪がさらさらと流れる。
風に揺れる髪から香る硝煙の匂いが、
先ほどまでの情景を思い起こさせるようでディーノは密かに眉間に皺を寄せた。
いつもよりも幾分か手間のかかった仕事は、ある組織を丸ごと一つ潰すというもので。
普段の任務であればボスであるディーノが出ていくことは少ないのだが、
今回は彼自身が直接手を下すほどに少々面倒なものであった。
終わってみればキャバッローネ側の思惑どおりに事は進み、
連れ立ったこちら側の者は誰一人欠かすことなく無事に屋敷に戻ってきたものの、
なかなか祝杯で打ち上がれる気分にもなれず、こうしてバルコニーに一人佇んでいる。
都市郊外にあるキャバッローネの屋敷からは、管轄している区域は全て見渡せるようにはなっているが、
周辺には建物はなく、明かりという明かりは屋敷から漏れるもの以外にはない。
おかげで、夜空に浮かぶ星をはっきりと見ることができ、
そんな夜のバルコニーから見える景色はディーノのお気に入りだった。
今夜のバルコニーも例外ではなく、星を見ることもできたし、
波が岩にぶつかる音と、遠く聞こえる部下たちの笑い声だけがディーノの鼓膜を揺らし、
今日の出来事が全て嘘かのような平和な時間が流れていった。
しかし、目を閉じると先ほどの情景が鮮やかに蘇ってしまい、
それらの記憶をかき消すかのように髪をかき乱して頭を抱えると、そのまま座り込んでしまった。
ディーノはキャバッローネのボスとして、今まで幾つもの仕事をこなしてきた。
自分が直接手を下さなかったものもあったし、今回のようにディーノ自らが出向いたものもあった。
どちらにせよ、その全ての仕事においてもちろん彼の部下達が必ず同行していたが、
ディーノはいつだって彼らの身の無事を考えた行動を心がけていた。
それは、“ボスとファミリーのために”と自分以上に手を汚して好まざる仕事を日々遂行してくれている彼らへの、
ディーノなりの精一杯の誠意であった。
しかし、それが今日はどうだろう。
ほんの一瞬の気の迷いが、最悪の事態を招いてしまった。
幸いにも、それは未遂で済んだものの。
ディーノの右腕であるロマーリオの怒号と、続いた銃声がしばらくは頭から離れそうにない。
自らの情けなさと、部下達への申し訳なさと、自分達が奪った命たちへの祈り。
ディーノはぐちゃぐちゃになった思考を振り切れないことを悟り、
乾いた笑いをもらしながら熱くなった目頭を押さえて、こぼれないように頭をバルコニーの柵に預けて空を見上げた。
“星が降る”という言葉が、こんなに似合う夜はなかった。
「…È una stella cadente.」
ふと流れ星が目に留まり、ディーノはポツリと独り言をこぼした。
こんな美しい夜は、誰だって大切な相手と肩を寄せ合って、暖かで穏やかな時間を過ごしたいと願うものだろう。
ディーノ自身だって、全く例外ではない。
できることならば、遠く異国で生活をする愛しい相手の手を取って、
その甲に軽く口づけをしながら甘い言葉でも囁いて、
きっと照れ隠しに怒るであろう相手を無視して抱きしめてやりたいと、願わずにはいられない。
しかしこういった願いは、今までに奪ってきた数々の命にも、今日の“あの2人”にも、
自分と同じようにあったに違いない。
そう思うと、ディーノには、自分が幸せを追おうとすることがとてつもなく罪深い行為のように感じられた。
バルコニーに座り込んだまま、
こうして時を過ごしていると世界と全く遮断されたところに自分が存在しているような気分になる。
普段ならばこれも、ディーノがこのバルコニーを気に入っている所以のひとつなのだが、
今日ばかりはそうも言っていられそうになかった。
このままではどんどんと気持ちは沈む一方だと、
明日からもファミリーの顔としてしゃんとしなければならない自分の立場を考え、もう今日は寝てしまおうと腰を上げた。
と、穿いていたジーンズの後ろポケットから携帯電話が落ちた。
そういえば入れたままにしていたっけなと、ぶつぶつと零しながら転がるそれを拾うと、
本体の汚れを拭って何気なく着信メールをチェックしてみる。
いつの間にか何通かメールが来ており、一晩明けるまで返事を長引かせることは相手に失礼だと、
バルコニーの柵に肘をついてカチカチとボタンを弄って簡単に返信を済ませていく。
ディーノの携帯は、どこにいても連絡が取れるようにグローバル対応のものになってはいるが、
日本にいる恋人は連絡不精で滅多に連絡を寄越してこないため、
日本から連絡が来るのは専らファミリー関連の面倒事が起こったときくらいのものである。
やはり今日も連絡は特になく、相手とのやり取りは昨晩こちらから電話をしたきり途切れていた。
あまり連絡を寄越さない恋人のことを、
ディーノの部下達は「ボス、浮気でもされてるんじゃねぇか?」と冗談でからかうことも多いが、
恋人のことを誰よりも理解をしているつもりのディーノからすれば、
連絡が全く来なかろうと相手の愛情を疑うようなことはない。
イタリア人のディーノにとっては、相手の淡泊ぶりは理解しづらい部分でもあったことは事実だが、
今ではそんなところさえ奥ゆかしく愛しいと感じられるまでになった。
現に、こうやって手の平に収まった携帯の液晶に表示されている、発信履歴に残った
相手の名前を見つめているだけでも遠い彼と繋がっているような気持ちになれる。
その度に、ディーノは自分の単純な思考回路に感謝しつつ、同時に自らの立場を放棄してしまいたい衝動に駆られる。
そして、そうやって恋人とファミリーを天秤にかけている自分自身を憎んでしまうのだ。
どちらもかけがえのない存在であることは間違いないのに、
それら両方を守り抜くことができないことを誰よりも理解しているのは、皮肉なことにディーノ自身なのである。
それでも、恋人もファミリーも手放せないのは、ディーノがそこにわずかな希望を持っているからに他ならない。
それは、今日の夜空を飾る星ほどに小さく淡い光だとしても。
自室のバルコニーから夜の地中海を臨み、海からの風を受けて金色の髪がさらさらと流れる。
風に揺れる髪から香る硝煙の匂いが、
先ほどまでの情景を思い起こさせるようでディーノは密かに眉間に皺を寄せた。
いつもよりも幾分か手間のかかった仕事は、ある組織を丸ごと一つ潰すというもので。
普段の任務であればボスであるディーノが出ていくことは少ないのだが、
今回は彼自身が直接手を下すほどに少々面倒なものであった。
終わってみればキャバッローネ側の思惑どおりに事は進み、
連れ立ったこちら側の者は誰一人欠かすことなく無事に屋敷に戻ってきたものの、
なかなか祝杯で打ち上がれる気分にもなれず、こうしてバルコニーに一人佇んでいる。
都市郊外にあるキャバッローネの屋敷からは、管轄している区域は全て見渡せるようにはなっているが、
周辺には建物はなく、明かりという明かりは屋敷から漏れるもの以外にはない。
おかげで、夜空に浮かぶ星をはっきりと見ることができ、
そんな夜のバルコニーから見える景色はディーノのお気に入りだった。
今夜のバルコニーも例外ではなく、星を見ることもできたし、
波が岩にぶつかる音と、遠く聞こえる部下たちの笑い声だけがディーノの鼓膜を揺らし、
今日の出来事が全て嘘かのような平和な時間が流れていった。
しかし、目を閉じると先ほどの情景が鮮やかに蘇ってしまい、
それらの記憶をかき消すかのように髪をかき乱して頭を抱えると、そのまま座り込んでしまった。
ディーノはキャバッローネのボスとして、今まで幾つもの仕事をこなしてきた。
自分が直接手を下さなかったものもあったし、今回のようにディーノ自らが出向いたものもあった。
どちらにせよ、その全ての仕事においてもちろん彼の部下達が必ず同行していたが、
ディーノはいつだって彼らの身の無事を考えた行動を心がけていた。
それは、“ボスとファミリーのために”と自分以上に手を汚して好まざる仕事を日々遂行してくれている彼らへの、
ディーノなりの精一杯の誠意であった。
しかし、それが今日はどうだろう。
ほんの一瞬の気の迷いが、最悪の事態を招いてしまった。
幸いにも、それは未遂で済んだものの。
ディーノの右腕であるロマーリオの怒号と、続いた銃声がしばらくは頭から離れそうにない。
自らの情けなさと、部下達への申し訳なさと、自分達が奪った命たちへの祈り。
ディーノはぐちゃぐちゃになった思考を振り切れないことを悟り、
乾いた笑いをもらしながら熱くなった目頭を押さえて、こぼれないように頭をバルコニーの柵に預けて空を見上げた。
“星が降る”という言葉が、こんなに似合う夜はなかった。
「…È una stella cadente.」
ふと流れ星が目に留まり、ディーノはポツリと独り言をこぼした。
こんな美しい夜は、誰だって大切な相手と肩を寄せ合って、暖かで穏やかな時間を過ごしたいと願うものだろう。
ディーノ自身だって、全く例外ではない。
できることならば、遠く異国で生活をする愛しい相手の手を取って、
その甲に軽く口づけをしながら甘い言葉でも囁いて、
きっと照れ隠しに怒るであろう相手を無視して抱きしめてやりたいと、願わずにはいられない。
しかしこういった願いは、今までに奪ってきた数々の命にも、今日の“あの2人”にも、
自分と同じようにあったに違いない。
そう思うと、ディーノには、自分が幸せを追おうとすることがとてつもなく罪深い行為のように感じられた。
バルコニーに座り込んだまま、
こうして時を過ごしていると世界と全く遮断されたところに自分が存在しているような気分になる。
普段ならばこれも、ディーノがこのバルコニーを気に入っている所以のひとつなのだが、
今日ばかりはそうも言っていられそうになかった。
このままではどんどんと気持ちは沈む一方だと、
明日からもファミリーの顔としてしゃんとしなければならない自分の立場を考え、もう今日は寝てしまおうと腰を上げた。
と、穿いていたジーンズの後ろポケットから携帯電話が落ちた。
そういえば入れたままにしていたっけなと、ぶつぶつと零しながら転がるそれを拾うと、
本体の汚れを拭って何気なく着信メールをチェックしてみる。
いつの間にか何通かメールが来ており、一晩明けるまで返事を長引かせることは相手に失礼だと、
バルコニーの柵に肘をついてカチカチとボタンを弄って簡単に返信を済ませていく。
ディーノの携帯は、どこにいても連絡が取れるようにグローバル対応のものになってはいるが、
日本にいる恋人は連絡不精で滅多に連絡を寄越してこないため、
日本から連絡が来るのは専らファミリー関連の面倒事が起こったときくらいのものである。
やはり今日も連絡は特になく、相手とのやり取りは昨晩こちらから電話をしたきり途切れていた。
あまり連絡を寄越さない恋人のことを、
ディーノの部下達は「ボス、浮気でもされてるんじゃねぇか?」と冗談でからかうことも多いが、
恋人のことを誰よりも理解をしているつもりのディーノからすれば、
連絡が全く来なかろうと相手の愛情を疑うようなことはない。
イタリア人のディーノにとっては、相手の淡泊ぶりは理解しづらい部分でもあったことは事実だが、
今ではそんなところさえ奥ゆかしく愛しいと感じられるまでになった。
現に、こうやって手の平に収まった携帯の液晶に表示されている、発信履歴に残った
相手の名前を見つめているだけでも遠い彼と繋がっているような気持ちになれる。
その度に、ディーノは自分の単純な思考回路に感謝しつつ、同時に自らの立場を放棄してしまいたい衝動に駆られる。
そして、そうやって恋人とファミリーを天秤にかけている自分自身を憎んでしまうのだ。
どちらもかけがえのない存在であることは間違いないのに、
それら両方を守り抜くことができないことを誰よりも理解しているのは、皮肉なことにディーノ自身なのである。
それでも、恋人もファミリーも手放せないのは、ディーノがそこにわずかな希望を持っているからに他ならない。
それは、今日の夜空を飾る星ほどに小さく淡い光だとしても。