病欲
その言葉と関係なしに、腕を掴んでいた手を離し、臨也の首に抱きつく。
よしよしと頭を撫でる臨也に安堵し、回す腕に力を込めた。シズちゃん、と耳元で囁かれびくりと顔を離す。一瞬だけ視線を絡め、条件反射のように瞼を落とす。重なった唇は温かかった。
「ん……は……」
性急に忍び込んだ舌が歯茎をなぞる。力も息も抜け、開いた歯の並びを逃さず、奥へ奥へと侵入される。
我ながら拙い動きで合わせると唾液が零れ、腰が浮く。侭ならぬ酸素補給に興奮した臨也の唾液が喉を通る。呆気なく芽吹いた快楽の種を抑える事はせず、知らず知らずの内にキスの合間に名を呼んだ。
「いざっ……んぅ……は、……や、いざや……」
こちらの事など考えずに、欲望の侭に舌を動かす。回された腕に力が込められずに滑り落ちそうになると、臨也は唇を離した。
「ん、ぁ……」
物欲しそうに零れた言葉に羞恥心は感じなかった。
びりりと痺れる脳髄が更なる快楽を求めて、臨也に植えつけられた通りの蠱惑的に誘う表情を無意識の内に顔に出すが、そんな俺を見て臨也は喉の奥で笑い、立ち上がる。
「っ……臨也……!」
声が恐ろしい程に切なげで、自分で一番驚く。
にやりと笑みを濃くした臨也は片手で摘むように俺の携帯を宙にぶらつかせ、言い放つ。
「さて、これはどうするのが正解でしょ、」
バキリ。
本能的に、何の未練も疑問も抱かず、俺は臨也の手にあった自分の携帯を片手で粉砕した。
ぱらぱらと残骸が落ちるのも気に留めずに、家に帰った時に感じた申し訳無さを欠片も感じていない自分を他人事のように感じていた。
「新しいの買ってくれ」
「うん、良いよ」
あんなに言うのを躊躇われた言葉が滑るように落ちてくる。そんな俺を見て心底嬉しそうに臨也は笑い、手持ち無沙汰な手をポケットに突っ込み、逆の手で俺の手を引いてリビングへ向かう。
途中水溜りを作っている牛乳に意識が戻る。
「あ、臨也、片付けっ……」
「波江にやらせれば良いよ」
それはそれで申し訳ないのだが、仕事に来たら手伝えば良いかと頭の片隅で考えすぐに牛乳の事など忘れてしまった。
寝室に行くのかと思ったが臨也はそのまま普段仕事をするデスクまで向かう。手を離され、どっかりと肘掛椅子に座った男に困惑していると、「おいで」と驚くぐらい優しい声で言われた。
背筋に電流のようなものが走り、誘われるままに片膝を座面につけ、覆い被さるように両手を背凭れに乗せる。傍から見れば俺が臨也を襲っているように見えるこの体勢に臨也は慄いた様子もなく、晒された無防備な鎖骨に指を這わす。
「っは、……」
漏れ出した吐息を吸い込むように、ぐいとスウェットを引っ張られ、そのまま生暖かい粘膜に塞がれる。
先ほどの遊戯が燻っていた身体はあっと言う間に再燃し上下が入れ替わった体勢での口付けを堪能する。ちろりと微かに蠢いた真っ赤な舌に獰猛な欲が理性を焼き殺した。
突っ張っていた腕を折り、より臨也に接近する。乱れた息遣いが見るからに浅ましく、硝子張りの高層マンションで誰かに見られるかもしれない背徳感に心臓が早鐘する。
裾の隙間から入ってきた臨也の角ばった手が脇腹をまさぐる。身を包むであろう快楽の渦に期待を示し、腰が揺れた。
「ん……は、あ……」
折角浴びたシャワーも無駄になるのだろう。俺の殆ど乾いた髪から香るシャンプーに臨也はうっとりするように眼で笑う。
臨也の確信を帯びた手が上へ昇る感覚に背をゆるく反らした。
「やあらしい、シズちゃん」
「はあ……イザヤ……」
重なった口付けにぼんやりとした思考を掻き回されながら、より深く心まで繋がろうと首筋に抱き付いた。
俺は臨也に依存していた。
精神的にも……肉体的にも。
俺にとって世界は臨也で、臨也は世界。なんの疑いもなく、それを受け入れていた。
この関係が、感情が、気持ちが異常だとも、疑問すら浮かばずに。
同じくらい俺に依存している臨也を、俺は愛しいと思ったし、臨也以外要らないとすら、信じていた。
結局その部分に、嘘は無い。
世界に嘘を吐く事なんて出来ないから。
「シズちゃん、愛してるよ」
「んっ、は……ん……。俺……も、愛してる……」
俺の壊れた頭は今日も狂った愛情に、溺れた。
04これを恋と呼んでいいのか
(これ以外の恋を俺は知らない)