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87600hours

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 言う事を絶対に聞け、と指導されてきた中学時代。それを破ったばかりに起こった悲劇。僕はどこかこの人に逆らうという事に背徳を覚えていたのだけれど、それを振り切る事が出来たのはやはり十年と言う月日のおかげなのだろう。その期間久遠さんに全く触れていなかった僕の心の中では、彼の(こう言ってはおかしいが)支配力が弱まっていたのだ。そしてそれとは反比例するように、久遠さんへの思慕はどんどんと累積されていくばかりだった事。それを僕は今の今になって、ようやく知った。

「嫌です!」

 十年越しに見せた反抗に久遠さんは驚いたようだった。何もかも見通した顔ばかりしていた久遠さん。僕の大きな声を聞いて驚いたように目を見開いている。

「貴方の事をずっと後悔してきたんです。僕も、皆も、あの時あの場にいた部員は全員、まだ貴方の事を想ってる。貴方に謝罪して、貴方に償いたいと思ってるんです。それを、忘れろなんて……」
「……償う必要なんてない。あれは俺の責任だ」
「どこがですか!」
「部員をきちんと指導できなかった、指導者としての責任が俺にはある。お前達は何も悪くない。俺に何かを償う暇があるなら、今自分達がすべき事をやれ。仕事だとか、な」

 自分、あの事件、サッカー。それら全てを僕達から切り離して距離を置こうとする久遠さんに僕は苛立った。きっとあの事件の時も、この人はこうやって何もかもをしょい込んで一人で切り離され、沈んでいったのだ。
 そんな事、二度とさせてなるものか。僕はそう思った。
 昨日まで、いいや数時間前の僕ならばきっとここで引き下がっていただろう。元々そこまで積極的な人間でもなかったし、あの時サッカーという唯一執着していたものすら手放してしまった。
その僕がようやく見つけた、いいや思い出したのだ。絶対に手放してはいけないものを。

「久遠さん」

 初めての呼び方をする。
 安っぽいローテーブルの天板に置かれた手を握る。昔は大きく感じられたこの手も今では自分とあまり変わらない。ただかさついた感触は年月のもらたすものであるから、それだけは僕の手と明らかに違った。

「僕は、貴方を忘れる事なんてできません。今はもうやめたけど、僕にとってあの時貴方としたサッカーは宝物なんです。貴方を忘れるって事は、その時間も忘れるって事です。そんな事、僕には……」

 出来ません、と言う前に身体が動いた。
 どうしてだったのかは自分でも分からない。二十四歳にもなって自分の心が上手く言葉に出来ないから、身体でどうにかしようと思ったのか。
 あるいは、いつまでも僕の存在を過去のものとしか見ようとしない久遠さんに今の自分をきちんと認識させたいという気持ちもあったのかもしれない。
 ともかく、僕はその時、何も考えていなかった。生物で習った反射とはまた違う、しかしながら身体が自分の意識の外で動いている感覚。時々ニュースなんかで聞く「カッとなってやった」なんていうのはこういう事なんだろう。テーブルに久遠さんの手に触れていない方の腕をつきながら僕はそう思った。
 そして、久遠さんの唇に触れた。
 両手はテーブルの上にあるから手で触れたのではない。そこの部位は話す事、食べる事、呼吸をする事の他にもこんな事をする役目だってある。そんな事はおそらく僕なんかより久遠さんの方がよく知っているだろう(何せもう中学生になる娘さんがいるのだ)。
 押しつけただけのキスだった。押しつけて、そのまま離す。今日び、中学生だってもっとうまくやるだろうに、僕はそういう事にご無沙汰だったという事もあって、それから先に進む事は出来なかった。元々進む気などなかったけれど。

「……やめろ」

 握られていない方の手で久遠さんが距離を取ろうと僕の肩を押してくる。それにも僕は抗った。クッションに腰を下ろしたままの久遠さんと、膝立ちの僕。手を久遠さんの肩に持っていき上から押さえつけるようにしてやれば、もう子供ではない僕の腕を久遠さんは振り払えなかった。振り払えないのは力のせいだけではない。きっと久遠さんの中ではまだ僕は中学二年生の小さく弱い存在だから、無理やり引き剥がすなんてやってはいけないのだと思っているのだろう。

「……僕はもう、サッカーをやめました。貴方はもう僕の監督じゃありません」

 肩を握る指に力を込める。その痛みに久遠さんは眉を寄せた。テーブル越しでなければきっとこのまま床に押し倒していただろう。理屈ではない、言いようのない感情に身体が突き動かされる。
 この人の前で僕を縛っていたものは罪の意識だ。久遠監督は償わなくてもいいと言った。そして十年前に刷り込まれた服従も、もうこの人は僕の監督ではないから必要なかった。幼さだって捨てて成長してきた。

「僕は、貴方の言葉に従う必要なんて、これっぽっちもないんです」

 僕は僕のしたいようにする。
十年前じゃ考えられないような言葉を吐いて僕は、久遠さんにもう一度唇を近付けた。


作品名:87600hours 作家名:タカツキ