最高のFINALE
6
ここが何処なのかは、もうどうでも良かった。
最後の気の一滴が尽きた時、べジータは世界の最果て、ユンザビット高地に辿り着いていた。
赤い土と岩石ばかりのその地面にべジータは一人降り立ち、背の低い岩肌にぐったりと背を預ける。
もう、指一本動かす気すら残っていなかった。
べジータは既に霞んで来たその目で、ユンザビットの空を見上げた。
厚く、重い雲が一度として晴れた事が無いというこの黒い空。
しかしべジータの心は、この暗い、この世で最後の空を目にしてなお、凪いだ海の様に穏やかだった。
***
「パパ…、パパ…!」
ブラは自室で一人、どうにも出来ない悲しみと向き合っていた。
その手元には、あの「写真」がある。
ずっと一緒に居られると思っていた。まだまだ甘えられると思っていた。
少なくとも自分が大人になり、いつか自分が選ぶ大切な人と結ばれるその日まで。
(私、パパとケッコンしたい!)
(やめといた方がいいわよ~ブラ。こんな働かなくて、無愛想で、口の悪~いパパなんて)
(そんな事ないよ、パパ、ブラには優しいもん)
ブラはふと、まだ自分が幼なかった日の会話を思い出した。
ほんとだよ。ブラは思った。今でもその思いは変わっていないよ。
私、パパの事、大好きだよ。
世界で一番、大好きだよ。
朝のあの最後のパパの気配。「サヨナラ」と言っていたけれど、決して悲しい気配じゃなかった。
透き通る様な穏やかな気配。パパは絶対悲しんだりしていない。
だから、私も。
無理やりに作った笑顔で、ブラは写真に写る父に微笑み、言った。
「ありがと…。パパ」
***
トランクスはブルマとの通話の途切れた携帯電話を握り締めたまま、ただ、青く広がる空を見つめていた。
(父さん!)
トランクスは、あの最後の夜を思い出す。
(最後に、一つだけ…。俺の我侭、聞いてくれますか)
もう一度。
最後にもう一度だけ。
「あの時」の様に、抱きしめて欲しかった。
あの時の自分はまだ幼くて、自分を抱きしめたあの腕の意味、あの笑顔の意味が分からなかった。
けれど、今なら痛いほど分かる。
あれは、愛する者を守る為の腕。愛する者を心から思う笑顔。
あの温かさを、もう一度だけ確かめたかった。
そして、決して忘れない様に。
トランクスがそう告げると、べジータはただ黙ってトランクスを抱きしめた。
何も変わっていない。あの頃と。
自分を守ってくれた腕。そしてこのぬくもり。
(…でかくなりやがって)
そう呟いたべジータの言葉に、トランクスは声を上げ、泣いた。
「…ありがとうございました。父さん」
トランクスは空を見上げて、小さく呟いた。
***
ねえ、べジータ。
あんた今、何を思ってる?
何を見てる?
リビングを出たブルマの足は、自然と室内庭園に向いていた。
動植物好きだったブルマの父の作ったここが、実はべジータが気に入っている場所だとブルマは知っていた。
自分の前では何の興味もなさそうに通り過ぎるだけのこの部屋のこの大きな木の下で、眠っている所もしばしば見かけたし、放し飼い同然に飼われている動物達にも、彼は本意ではなかったかもしれないが、良く懐かれていた。
ブルマはその何度か見かけた、彼の邪気の無い寝顔を思い出す。
最初の頃なんて、あんたは手が付けられない程良く暴れたり、どっか行っちゃったりして、その度に喧嘩してたわよね。
でもたまに、あんたのそんな寝顔を見せられると、たまらなく愛しくなった。
それだけで、全てが許せた。
そのあんたの唯一の安息の時間を、私が守ってあげたいと思った。
ブルマは、今この世界の何処かに居るべジータを想う。
でも、ずっと、守られてたのは私の方だったのよね。
最期の時にさえ、私の事、家族の事を守ってくれたのよね。
私達の前から消えたのは、あんたの優しさだったんだもの。
私の泣き顔が何よりも嫌いだった、あんたの最後の優しさだったんだものね。
ブルマは泣きはらして真っ赤になった瞳を上げ、胸を張り、精一杯笑顔を作って見せた。
「全く、最後の最後まで、心配、かけて…。あんたってほんとに、意地っ張り、よね…」
彼に届けと、ブルマは声を張り、最後の悪態をついてみせた。涙を堪えながら。
ねえ、べジータ。
あんた、最後まで「あの言葉」言ってくれなかったわよね。
だから私は、あんたが死んでも、あんたの分まで言い続けるわ。
あんたがくれた、全ての思いを胸に抱いて。
「ありがと、べジータ…。いつまでも愛してる…」
***
(これで、良かった)
遥か北の地で、べジータは思った。
自分のこの世で最後の記憶が、あいつの泣き顔だなんて、死んでも御免だ。
あの時。自分が魔人ブウとの戦いで命を落としたあの時。あいつは周りの目も気にせずに泣き叫んだ。
あんな顔はもう二度とさせない。俺はあの時そう誓った。
自分勝手で、自己満足で。あいつはそう思っているかも知れない。
確かにそうなのだろう。これは俺の我侭だった。
共に過ごした長い年月。
そこに記憶されて行く、自分の姿。
その最後は老いて行き、弱っていく姿の記憶ではなく、いつもの変わらぬ自分の姿を記憶に残して欲しかった。
だから、良かった。
これで良かったのだ。
皮膚を刺す様な冷たい北の風が、べジータの身体に吹き付ける。
しかし、感覚は既に無く、ただ浅くなる呼吸の中、べジータは空を見つめていた。
あいつは今、何を思っているだろうか。
何を見ているだろうか。
勝手に消えた俺に、悪態でもついているだろうか。
ブラには気配を読む能力がある。あいつはそれで気付いただろう。
しかしブルマには、あいつには最後まで俺は嘘をついた。
すまなかったな、ブルマ。
結局最後には、お前を傷つけてしまったのかも知れない。
あの時、本当はお前にちゃんと別れを告げるべきだったのかも知れないな。
でも、あの時のお前の顔が、
朝日の中のお前の笑顔が、あまりにも嬉しそうで。
ただ俺がそこにいた。それだけであんなにも笑っていてくれたから。
その笑顔を、どうしても失って欲しくなかった。
俺の記憶に、お前の笑顔を残しておきたかった。
べジータはゆっくりと目を閉じる。
その時不意に風が止み、黒い雲が切れ始める。
晴れた事の無いこの空に、一瞬だけ覗いた青い空。
その空をもう二度と見る事は出来なかったが、べジータは満足だった。
一度目は無念の死。
二度目は覚悟の死。
そして、三度目の最後の終幕がこんなにも穏やかに迎えられる事が。
自分には相応しくない程の、最高のFINALE。
愛する者達への確かな思いを胸に。
(愛している)
薄れ行く意識の中、最後まで言えなかったその言葉を、べジータは心の中で呟いた。
この世で最も、愛しい者へ。
■FIN■