殺意との距離を測ろう
「俺がそんなこと許すとでも思ってるの?」
帝人は逆光から窺うことの出来ない臨也の顔を見つめ返した。目を凝らすが不機嫌そうな声に釣り合っているだろう表情は陰影によって確認することが出来なかった。もっとも、それも人外となれば可能なことなのかもしれないが。
帝人は臨也のおよそ目のある位置をじい、と見つめた。小首を傾げ、「どうして臨也さんの承諾を得る必要があるんでしょう」と言う。
ぎり、と軋んだような音がしたが、帝人にはそれが窓枠の軋んだ音だと思った。老臨也が朽化したアパートの窓に唐突によじ登って現れるものだから、古い木枠が悲鳴を上げたのだとでも。実際には臨也の歯ぎしりだったが、そんなことは帝人にとってどうでも良いだろうか。
「俺はさぁ帝人君、人間が好きなんだぁ」
臨也は窓枠にかかっていた片足を外し、ゆっくりと畳の上へと踏み込んだ。
「土足で止めて下さい」帝人の声など聞こえていないように、臨也の靴が畳の上で擦れる。帝人は眉を顰め、恨みがましそうに臨也を睨み付けた。臨也の方からは帝人の表情が鮮明に見えている筈だ。
「俺は人間って奴が大好きで大好きで、だから情報屋なんてやっていてね、人間が次にどんな行動を取るのかとか、そういうのが本当に楽しみで仕方がないんだよ」
「知っています」
「へぇ、……知ってる?」
「知ってますよ」
「だよねぇ、君は知ってる筈だ。俺が、こんな俺だってこと」
臨也の口調は普段と変わりがない。けれど、帝人に対してこのようなもったいぶった話し方をすることはそう滅多にあることではない。帝人はどうも臨也の様子がおかしいな、と思った。
帝人は玄関から家を訪れてこなかったことに対してではなく、会話の間にある行間に違和感を抱く。
臨也は帝人の家にあまり来ない。だから帝人は臨也が普段から帝人の部屋にどうやって訪れるかというバリエーションについてはまだ固定観念を持てていなかった。
一方の対話に関しては両方の指でも収まりきれない程に行っている。だからこそ平均値が弾き出せるし、臨也の行動が不審であることに気付くことが出来るのだ。
臨也はポケットに両手を入れたまま肩を揺らした。笑っているのだろうか、と帝人は思う。
「君がそんなに馬鹿とは思わなかったなぁ」
「……馬鹿、ですか」
「憧れに成れるだなんて思っちゃったのかい?その成れの果てが……俺の情報をそんなことに使うことだなんて、俺は思いもしなかった」
「ああ、思いもしなかったさ!」臨也は繰り返した。
「もし仮に俺がその事実に先に気付いていたなら、きっと君に情報を流したりはしなかった」
「……僕は非日常に憧れていた。そのことは臨也さんだって知っていましたよね?」
「勿論」
「その僕が、非日常に成れるチャンスを得たら、それを掴むかもしれないって、貴方は一ミリも思わなかったんですか?」
「ああ、思わなかったね」
臨也は即答した。身体の揺れは完全に止まって、地面と垂直に立ったまま帝人を見つめている。視線の強さは帝人の肌に刺さるようにして感じる空気の冷たさから想像が出来る。帝人は臨也にしては本当に珍しく、帝人に対して怒っているのだと思った。
普段怒りを感じていたとしてもそれをすぐに隠してしまう飄々とした臨也ではない。頭に血が上った臨也とはこんなにも執拗に表立った怒りを抱くものなのかと帝人は少し意外にも思う。
「ヴァンパイアになったからって、太陽が駄目なわけでも、ニンニクに弱いわけでも、十字架や聖水が弱点なわけでもないらしいですよ?」
「そんなことは聞いてない」
「ああ、臨也さんなら知っていましたか。だってあの人の情報をくれたのは臨也さんでしたもんね」
帝人はくすり、と笑った。思い出すのは臨也から紹介された“人外”の存在だ。「気に入った人間なら仲間にしてくれるかもしれないよ」だなんて臨也の言葉を受け、帝人はその人物に会った。一度ではなく、二度、三度と。
一度目の時、臨也は言った「どうだった?」帝人は曖昧に笑った。どう答えて良いか、分からなかった。
二度目の時、臨也は言った「あまり深入りするのはお勧めしないな」帝人は困ったように笑った。それを臨也が言うのならば最初に在った臨也の言葉はなんだったのかと思ったからだった。
三度目の時、臨也は言った「アイツを信頼してもいいことはないからね」そして「アイツ」の悪口を山のように。帝人は今度こそ心から笑った。臨也の言葉から臨也の中にあるものが表出されたような気がして、臨也の本心が覗けたような気がして、おかしかったから。
そして今晩、臨也からの電話は「まだ会ってるの?」だった。だから帝人は言ったのだ「あの人も在る意味では創始者ですからね」と。
電話口での帝人のその一言は、その人物の目の前での会話だった。帝人は目の前で帝人を見つめている人外のものに「臨也さんから」と笑って言う。臨也はまだ何か言っているようだったが、それを帝人はあまり覚えていない。人外のものも臨也に対しなんらかの連絡を取っているようだったが、それにも帝人は無関心だった。
そうして帝人が自宅に戻って暫くした頃、侵入者は窓際へと訪れたのだ。
「俺はね、帝人君。人間としての君が、アイツと出会うことでどんな行動を取るのかが見たかったんだ。もの凄く長い歴史を生きてきたヴァンパイアを相手に、非日常の塊を目の前に、君が抱くものが羨望か嫉妬か、そうした感情だろうかと想像するのが楽しかったわけで、決して君に化け物になれだなんて思ったわけじゃない」
「化け物なんて酷いですよ」
「化け物じゃないか。人間の血を、正確には生命力だから血だけに限らないそうだけど、それを喰って生きてるんだ。人間が食べるものを食べて生きてるわけじゃないし、人間のことを食料として見る化け物なんだよ。分かる?人外だよ、俺の愛する人間を捕食する最低の獣だ」
「まぁその言い分も間違ってはいませんけど、それにしても酷いです。あの人は臨也さんが言うような人じゃ……」
「獣は獣を擁護しちゃうのかなぁ」
「……」
「腐ったものは腐ったものを愛すのかもね。それがつまり、自分自身を擁護することに繋がるからさ」
それで言えば、人間を愛する臨也も同じく自分を擁護しているのだろう。帝人は思ったことを素直に口には出さず、逆光から派生し、伸びている臨也のしみのような黒い影に視線を落とす。
影が、動いた。
「君が人間なのは後どれくらい?化け物になる前に、俺が殺してあげる」
動いた影から視線を臨也に移すと、帝人の鼻先にナイフが迫っていた。ポケットに入れた臨也の手はそのままナイフを持ち出し、帝人へと向かったらしい。
帝人は鋭利に光る切っ先を見つめる。この先が帝人の胸に刺されば数十秒で帝人は出血死するだろう。
臨也は帝人を殺すつもりで来たのか、帝人は妙に冷めた意識でそんなことを思った。数時間前まで人外の者と接触していたからか、帝人の思考にも影響が出ているのかもしれない。
帝人は逆光から窺うことの出来ない臨也の顔を見つめ返した。目を凝らすが不機嫌そうな声に釣り合っているだろう表情は陰影によって確認することが出来なかった。もっとも、それも人外となれば可能なことなのかもしれないが。
帝人は臨也のおよそ目のある位置をじい、と見つめた。小首を傾げ、「どうして臨也さんの承諾を得る必要があるんでしょう」と言う。
ぎり、と軋んだような音がしたが、帝人にはそれが窓枠の軋んだ音だと思った。老臨也が朽化したアパートの窓に唐突によじ登って現れるものだから、古い木枠が悲鳴を上げたのだとでも。実際には臨也の歯ぎしりだったが、そんなことは帝人にとってどうでも良いだろうか。
「俺はさぁ帝人君、人間が好きなんだぁ」
臨也は窓枠にかかっていた片足を外し、ゆっくりと畳の上へと踏み込んだ。
「土足で止めて下さい」帝人の声など聞こえていないように、臨也の靴が畳の上で擦れる。帝人は眉を顰め、恨みがましそうに臨也を睨み付けた。臨也の方からは帝人の表情が鮮明に見えている筈だ。
「俺は人間って奴が大好きで大好きで、だから情報屋なんてやっていてね、人間が次にどんな行動を取るのかとか、そういうのが本当に楽しみで仕方がないんだよ」
「知っています」
「へぇ、……知ってる?」
「知ってますよ」
「だよねぇ、君は知ってる筈だ。俺が、こんな俺だってこと」
臨也の口調は普段と変わりがない。けれど、帝人に対してこのようなもったいぶった話し方をすることはそう滅多にあることではない。帝人はどうも臨也の様子がおかしいな、と思った。
帝人は玄関から家を訪れてこなかったことに対してではなく、会話の間にある行間に違和感を抱く。
臨也は帝人の家にあまり来ない。だから帝人は臨也が普段から帝人の部屋にどうやって訪れるかというバリエーションについてはまだ固定観念を持てていなかった。
一方の対話に関しては両方の指でも収まりきれない程に行っている。だからこそ平均値が弾き出せるし、臨也の行動が不審であることに気付くことが出来るのだ。
臨也はポケットに両手を入れたまま肩を揺らした。笑っているのだろうか、と帝人は思う。
「君がそんなに馬鹿とは思わなかったなぁ」
「……馬鹿、ですか」
「憧れに成れるだなんて思っちゃったのかい?その成れの果てが……俺の情報をそんなことに使うことだなんて、俺は思いもしなかった」
「ああ、思いもしなかったさ!」臨也は繰り返した。
「もし仮に俺がその事実に先に気付いていたなら、きっと君に情報を流したりはしなかった」
「……僕は非日常に憧れていた。そのことは臨也さんだって知っていましたよね?」
「勿論」
「その僕が、非日常に成れるチャンスを得たら、それを掴むかもしれないって、貴方は一ミリも思わなかったんですか?」
「ああ、思わなかったね」
臨也は即答した。身体の揺れは完全に止まって、地面と垂直に立ったまま帝人を見つめている。視線の強さは帝人の肌に刺さるようにして感じる空気の冷たさから想像が出来る。帝人は臨也にしては本当に珍しく、帝人に対して怒っているのだと思った。
普段怒りを感じていたとしてもそれをすぐに隠してしまう飄々とした臨也ではない。頭に血が上った臨也とはこんなにも執拗に表立った怒りを抱くものなのかと帝人は少し意外にも思う。
「ヴァンパイアになったからって、太陽が駄目なわけでも、ニンニクに弱いわけでも、十字架や聖水が弱点なわけでもないらしいですよ?」
「そんなことは聞いてない」
「ああ、臨也さんなら知っていましたか。だってあの人の情報をくれたのは臨也さんでしたもんね」
帝人はくすり、と笑った。思い出すのは臨也から紹介された“人外”の存在だ。「気に入った人間なら仲間にしてくれるかもしれないよ」だなんて臨也の言葉を受け、帝人はその人物に会った。一度ではなく、二度、三度と。
一度目の時、臨也は言った「どうだった?」帝人は曖昧に笑った。どう答えて良いか、分からなかった。
二度目の時、臨也は言った「あまり深入りするのはお勧めしないな」帝人は困ったように笑った。それを臨也が言うのならば最初に在った臨也の言葉はなんだったのかと思ったからだった。
三度目の時、臨也は言った「アイツを信頼してもいいことはないからね」そして「アイツ」の悪口を山のように。帝人は今度こそ心から笑った。臨也の言葉から臨也の中にあるものが表出されたような気がして、臨也の本心が覗けたような気がして、おかしかったから。
そして今晩、臨也からの電話は「まだ会ってるの?」だった。だから帝人は言ったのだ「あの人も在る意味では創始者ですからね」と。
電話口での帝人のその一言は、その人物の目の前での会話だった。帝人は目の前で帝人を見つめている人外のものに「臨也さんから」と笑って言う。臨也はまだ何か言っているようだったが、それを帝人はあまり覚えていない。人外のものも臨也に対しなんらかの連絡を取っているようだったが、それにも帝人は無関心だった。
そうして帝人が自宅に戻って暫くした頃、侵入者は窓際へと訪れたのだ。
「俺はね、帝人君。人間としての君が、アイツと出会うことでどんな行動を取るのかが見たかったんだ。もの凄く長い歴史を生きてきたヴァンパイアを相手に、非日常の塊を目の前に、君が抱くものが羨望か嫉妬か、そうした感情だろうかと想像するのが楽しかったわけで、決して君に化け物になれだなんて思ったわけじゃない」
「化け物なんて酷いですよ」
「化け物じゃないか。人間の血を、正確には生命力だから血だけに限らないそうだけど、それを喰って生きてるんだ。人間が食べるものを食べて生きてるわけじゃないし、人間のことを食料として見る化け物なんだよ。分かる?人外だよ、俺の愛する人間を捕食する最低の獣だ」
「まぁその言い分も間違ってはいませんけど、それにしても酷いです。あの人は臨也さんが言うような人じゃ……」
「獣は獣を擁護しちゃうのかなぁ」
「……」
「腐ったものは腐ったものを愛すのかもね。それがつまり、自分自身を擁護することに繋がるからさ」
それで言えば、人間を愛する臨也も同じく自分を擁護しているのだろう。帝人は思ったことを素直に口には出さず、逆光から派生し、伸びている臨也のしみのような黒い影に視線を落とす。
影が、動いた。
「君が人間なのは後どれくらい?化け物になる前に、俺が殺してあげる」
動いた影から視線を臨也に移すと、帝人の鼻先にナイフが迫っていた。ポケットに入れた臨也の手はそのままナイフを持ち出し、帝人へと向かったらしい。
帝人は鋭利に光る切っ先を見つめる。この先が帝人の胸に刺されば数十秒で帝人は出血死するだろう。
臨也は帝人を殺すつもりで来たのか、帝人は妙に冷めた意識でそんなことを思った。数時間前まで人外の者と接触していたからか、帝人の思考にも影響が出ているのかもしれない。
作品名:殺意との距離を測ろう 作家名:tnk