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殺意との距離を測ろう

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 帝人の落ち着き払った態度が今までの人間らしい帝人からかけ離れていると知ると、臨也は余計に逆上した。「だから、化け物なんかになっちゃいけないんだ!」臨也は脳内で叫ぶ。帝人が帝人で無くなってしまった。それが耐えられないような気がした。そして、そんな臨也に臨也自身がどこかで問い掛ける。

「僕に拘らなくても良いじゃないですか」

 同じタイミングで臨也が臨也自身に問い掛けた言葉を、帝人が口にした。臨也は一瞬、自分が思った言葉をそのまま口に出してしまったのかと思ったが、すぐに一人称が違うことで帝人の科白なのだと理解する。帝人の表情は落ち着き払い、臨也の顔を注意深く眺めていた。

「臨也さんは人間が好きなんでしょう?僕じゃなくても、楽しい人間なら誰でも」
「そうだよ?」
「なら、僕が人間でなくなったからって貴方に問題はない筈です」
「それはっ…君が俺にとって一番楽しい人間で……」
「そんなわけない」

 帝人は臨也の言い分を一蹴する。

「もしそれが本当なら、貴方は僕の側に居てくれた。けれど、貴方は僕以外の誰とでも親しかったし、僕に当て付けるようなことだって平気でしてたじゃないですか。それこそ僕と貴方が初めてホテルから出た時も、貴方は僕に言ったんですよ“勘違いしないでね”って。僕は、だから……勘違いなんかしてません」

 帝人は自らの口から出る言葉が未練がましい内容だったことに悲観した。今まで築いてきた二人の関係以上に、当然のように無体な事実を言ってのける自分自身に対し深く傷付いてしまうのだ。

 ぼろり、と帝人の瞳から涙が零れた。零れたての涙はどうしてこんなにも熱く感じるのだろう。帝人は少しずれた感覚で、溢れる涙を拭いもせず臨也を見つめた。自分の言い分は間違っていない。望んだものを理解されるのに十分なものが今までの生活にはあった筈だ。帝人は人外に憧れた自分がその道を選んだとしても臨也に口を出す義理はないのだと分かっていて、敢えて臨也にも確認させる。

 鼻先にまで迫っていたナイフが半円を描いて下に降りた。臨也の顔は相変わらず帝人から鮮明に見えることは無かったが、部屋が暗いのはつまり帝人が夜分でも電気を点けようという気持ちにならなかったことを表している。
 一般人ならば点けるものを、点けていない。帝人の全てが、一晩のうちに変わろうとしている。

「帝人君がそんな風に思ってたなんてこと、初めて聞いたよ」
「初めて言いましたからね」
「……それって、狡くない?」
「臨也さん程狡いとは思いません」
「……」

 臨也はナイフを落とした。とす、と軽い音を立ててナイフが畳みに突き刺さる。元々焼けた古い畳だったが、引っ越す頃には畳を変えて出てゆかなくてはならないな、と帝人は思う。それもまた、ずれた感想だったけれども。

「俺は、人間が好き」
「そうですね」
「人間だったから、君が好きだった」
「……そうでしょうね」
「人間じゃなくなるなら、殺してやろうと思って来たのに…」
「そんなことの為に殺人者なんて馬鹿らしいですよ」
「だって君は、僕の帝人君を殺したんだろう?」
「!」

 臨也はふら、と一度だけ前方に傾いたが、重心を後方にずらすと尻から畳に座り込んだ。窓際の光の触れる角度が変わり、臨也の顔だけが帝人にも鮮明に見える。
 元々白い肌をしている臨也だったが、青白い外の光で余計に顔色が悪く見えた。臨也の身体の殆どはその服のせいで闇に溶けてしまいそうに黒い。

「俺が好きだった、俺の帝人君を殺したのは君だ。だとしたら、俺が君に対して復讐を誓うのは至極全うな理由だよ」
「そんな理不尽なこ…」
「そもそも、君は気付いてなきゃおかしいだろ。俺がどうして君にばかり優しくしてやったと思ってた。他の奴らからあれだけ沢山“臨也には近づくな”“臨也には気をつけろ”“アイツは絶対にお前を利用してる”そう言われた癖に。例え全く同じ言葉を言われてなくても似たような言葉は幾つでも君に投げかけられた筈だ。それなのに、君はその全てを拒絶してまで俺と繋がりを断ち切ろうとはしなかった」
「新羅さんだってそうですよ」
「新羅は違うよ。アイツは俺のことを“友達”だと思ってるからさ。反吐が出るような俺の人格を知っていながら、俺に近い位置で俺の行動を見下ろしてるから実害がアイツにないだけなんだ。だから俺達は上手くやれてるってだけ。友達でいられるってわけでさ」

 それは「友達」というよりも「共謀者」という言葉のほうが近いのではないか、と帝人は思う。しかしそれを口にするのは躊躇われて、帝人は黙って言葉の続きを待っていた。
 臨也はいつものように饒舌だったが、臨也自身のことについてこれ程語れることは今までにない。帝人の耳は自然と臨也を意識していた。

「君は俺のことをまるで知らない。違うな……俺が君に見せなかった部分を、まるで知ろうとしない。俺は君にとって便利だっただろう?魔法使いだった。君にとって君を有利にさせてくれる素敵な道具だ。そこまで君が思えたのは何故か、それは簡単さ。……俺が、君に俺をそう思わせてたからだ」

 肉体関係を除けば、臨也の言い分は確かにそうだった。臨也と帝人の関係はあくまで一対一の個人的な関係においてのみ悲惨で、周りの人間が注意を促すように、帝人とその周りの人間が凄惨な傷痕を残すようなものではなかった。今後、そのような操作を臨也が行ってゆく可能性は否めなかったが、それにしても“まだ”帝人はそんな状況に陥っていると認識していないのである。

「臨也さんって……」
「なに?」
「僕のこと、好きだったんですか?」
「……はぁ?」

 帝人は涙の跡を乱暴に拭って、臨也に近づいた。背を壁に預けて座り込んだ臨也は怪訝そうに帝人を見上げる。
 帝人は両膝をついて臨也と視線の位置を合わせると、こてんと小首を倒した。

「それとも僕のこと、今はどうでもいいとか?」
「殺したいくらいどうでもいいよ」
「どうでもいいなら殺しませんよね?」
「俺の帝人君を返してよ」
「……そもそも、貴方の帝人君って誰なんですか」

 帝人は本当に不思議なものを見るような顔で臨也を見つめていた。なにせ、臨也がこんなにも子供のような駄々を捏ねたことなど一度としてなかった。近しい人間の持つ新たな部分に帝人は感慨深い気持ちを抱いている。

 臨也の陰鬱さを含む瞳と僅かな驚嘆を含む帝人の瞳がかち合った。

 行為に至った理由に、距離が近かったから、というのもあるかもしれない。臨也は両手で帝人の首元を掴み、引き寄せた。勢いよく寄せられた帝人の顔を、すくい上げるように傾いた臨也の顔が受け止める。

 二つの唇が密接すると、隙間にするりと臨也の舌が入りこんだ。帝人の口内によく知った臨也の肉が押し入る。唾液交換を繰り返すうちに帝人は唇が溶けてしまいそうな錯覚に陥った。いつでも臨也とのキスを帝人は心地よいと感じる。キスをされるだけで、その先の全てが許せるような気がする。
 そして帝人はうっとりと瞳を閉じ、臨也から与えられるキスを享受した。

「っ…は……」
「俺のだよ」
「まだ、言ってるんですか?」
「俺のだもん……」
「……僕は?」
「知らないよ、君なんて」
作品名:殺意との距離を測ろう 作家名:tnk