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あさめしのり
あさめしのり
novelistID. 4367
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あえて言うならこの身ひとつ

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あえて言うならこの身ひとつ



 シャワーを浴びたあと、濡れた髪を適当にタオルで拭いて鏡の前に立つ。
 きれいな白眼が、灰色がかった蒼い瞳をよりきれいに見せている。体調は悪くない。
 彼と会うときは、睡眠不足は禁物だった。睡眠不足だと、白眼は充血してしまうし肌も荒れてしまう。
 彼は、アメリカの健康美が好きなのだ。
 彼自身は喫煙はするわアルコールは摂取するわで不健康極まりない上に、体中が歴戦の傷跡で埋め尽くされている。その反動か、殊更アメリカの若々しくすべらかな肌や潤った瞳に執着している。往々にして恋とは自身にないものを相手に求めるが、まさに彼は自身が持ち得ないものをアメリカに求めているのだ。
 そして、ラフな服装を好むアメリカとは対照的にイギリスはいつでも格式ばっていて、スーツを戦闘服か何かと勘違いしているのではないかとすら思うことがある。あるいは、スーツ以外の普段着を持っていないのではないかと疑ったこともある。もちろんこれは冗談だ。気楽に遊びに行く友達のいないイギリスを揶揄するジョークでしかない。休日誰かと遊びに行くことがないから、普段着が必要ないのだというとびきり辛口のそれだが、彼が必ずしも常にフォーマルでないことはアメリカが一番よく知っている。大抵彼の個人的な休日を独占するのはアメリカだからだ。
 先月のデートは夏物のコットンのシャツだった。今日はだいぶ秋ばんできたから、上にジャケットでも羽織ってくるだろうか。物持ちのいい彼のことだ。きっと去年だったかおととしだったかに買ったジャケットを、今年も大切に着るのだろう。
 アメリカ自身は、新しいもの好きな上にかなりの飽き性ではあるが、彼のそういうところは嫌いではない。ひとつのものを大切に長く使おうとする彼の習慣に根ざした考えは、ひどく懐古的でとても美しいと思う。
 例えばイギリスの指先が落ち着いた色あいのデスクを撫でるとき、紅顔を愛でるかのような優しさで触れて、ひどくアメリカを嫉妬させるのだ。
伏しめがちに目線をやって、けぶるような睫毛が白い頬に影を落とす。時間とともにできた細かい傷とそしていい具合に艶の出たマホガニーの肌に、そっと丸い指先を這わせる彼の姿は、とても単にデスクに手を触れているだけとは思えない。CGでデスクを消してそこに愛くるしい猫でも配置したほうがよほど自然なのではないかと思う。
「大切に愛してやれば、それだけのものを返してくれる」
 彼はそう言って、アメリカの丸い頬を撫でた。
 アメリカもまた、彼が大切にしてやまないものの一つだ。彼が愛するものはたくさんあれど、茶器も、家具も、衣服も、庭園の薔薇も、アメリカには遠く及ばないのだ。
 アメリカは自身が彼の愛するものたちのなかでもっとも歴史の古い存在であることを誇りに思う。どんなに大切に扱い手入れしても、茶器はいつか割れ、薔薇はいつか枯れる。彼のお気に入りのカップは何度も買いかえられ、花は季節ごとに顔を変える。
だが、アメリカはそこに国民と文化が存在する限り、そこにあり続けることができる。イギリスに愛されるのは一貫して同じアメリカだ。
 だが彼と会うのに、香水や洒落たシャツは必要ない。
 必要なのはこの身ひとつと、それからシャンプーの香りだけだ。

りんごん。
イギリスとの約束の時間にはまだ随分早い。しかも今日は外で約束をしていたのに。
チャイムの音に玄関まで出てみると、お世辞にも垢ぬけているとは言い難い彼ではなく、気取った自称愛の国があらわれた。
「おはよう、仔猫ちゃん。あら、いい香り」
「おはよう、フランス。シャワーを浴びたばかりだからね」
 スエットのパンツに半裸のまま玄関先で立ち話する趣味はないので、アメリカはフランスを招き入れた。肩にひっかけたタオルで髪を拭きながら、フランスをリビングに通す。
「コーヒーでいいよね。・・・で、何の用だい」
「そっけないなあ。もっと余裕も持たなきゃ。恋も仕事も命がけなのはわかるけど、きれいなお兄さんと遊んでみるくらいの余裕は持たないと」
 すすす、と肩に腕を回されあっという間にソファに押し倒された。まったくどこでこんな技を習得するのやら。フランスにしろイギリスにしろ、おそろしくこの手の事に関しては要領がいい。
 さっと身を捩って彼の腕から抜け出すと、フランスがちえっ、と眉を下げて見せた。
生娘でもあるまいに、そんなうぶな反応を期待されても困る。
「悪いけど、今日はイギリスと約束してるんだ。三十分以上遅れるとまずいから」
「ま、過保護なこと!」
 どうやらフランスの勘違いを正しておく必要があるらしい。イギリスが遅刻したアメリカを心配してやきもきするから、と捉えたようだが、本当はそうではない。それもあながち間違いではないのだが、それよりも
「放っておくとひとりよがりなネガティブ思考で自己完結しちゃうからね。俺がちゃんと傍にいてあげないと」
「過保護なのは父親だけじゃなくて、娘もいい年した親父を甘やかしてるのね・・・」
「ハハッ、なんだいそれ」
 以前少しばかり遅刻して、その上支度するのに焦ったばかりに携帯を忘れたことがあった。取りに戻るのも時間がもったいなくてそのまま待ち合わせ場所に行くと、イギリスが今にも死にそうな顔で蹲っていて、何やらぶつぶつと呟いていた。
 声をかけるのも憚られるようなオーラを発するイギリスに、多分、おそらく、きっと、いや間違いなく原因は自分にあるということもわかっていたので、彼が職務質問を受ける前にやあと声をかけた。だって、彼の国民に祖国を職務質問させるなんて、あまりにもあまりだから。
「ああ、アメリカ・・・なんだ、お前来たのか・・・」
「ああ、来るさ。だって約束してただろう?」
「いいんだぜ、お前に嫌われるのだってもういい加減慣れるさ。そう、慣れてるからな・・・はははははは・・・」
「いつの間にそういう設定になってるんだい!? 俺たちゆうべ仲良く電話してたよね!?」
「だってお前、連絡付かねえし! 何十回も電話したのに!!」
 その後、アメリカに嫌われた上無視されたという妄想にとりつかれたイギリスをなだめるのに一苦労だった。まったくデートどころではない。これではどちらが子供かわからない。
ちなみに帰宅後、携帯の着信履歴を見たら、一分おきにイギリスからの着信が四十六件入っていて、ちょっとこれは病的なんじゃないかと思ったものだった。
「いやーよくアレと付き合ってるね」
 彼は間違いなく世界の親馬鹿だが、アメリカだってファザコンだ。その自覚は一応ある。
 勝手知ったる他人の家、フランスはサーブされたコーヒーを啜りながらすっかりくつろいでいる。朝っぱらから何をしに来たのだろう。
「あの眉毛のどこがそんなにいいんだか・・・」
「彼の魅力がわからないなんて、君は彼の隣人に生まれたのに人生を損してるね」
 フランスが彼をこき下ろすのはいつものことなのに、なぜか少し意地悪な気分になった。フランスに、彼がどんなに自分を愛しているか見せつけてやりたい、そう思った。