あえて言うならこの身ひとつ
そう、できることなら彼を今すぐここへ呼びつけて、彼とのセックスを見せつけてやりたい。どんなふうに彼が自分を愛するのか、どんなふうに彼が自分を慈しむのか、その青い目に見せつけてやりたい。
「彼の情の深さは君も知ってるはずだけど?」
「容赦のなさの間違いじゃないの」
自分のマグカップに口を付けると、中のコーヒーが少しぬるくなっていた。
「そういうことにしておいてあげてもいいけど」
鏡に向かって整髪する。と言っても、彼は人工的な整髪料をつけるのをあまり好まない。ワックスはべたべたするし、人工的な香りも彼のお気に召さないのだ。だから、さらさらのそのままの髪が好きな彼のために、軽くブラッシングするにとどめる。
洗面台に向かうアメリカの背後から近寄り、フランスが抱きついた。
「こいつめ、お兄さんがキスしちゃうぞ〜」
「やだよ、頬がちくちくするんだもの」
「こうか、うりうり〜」
げらげらと笑う。ああ、髭の感触が気持ち悪いのにどこかおかしくて、アメリカもつられて馬鹿みたいに笑った。
彼の動きが止まり、気違いじみた笑いもぴたりと止まる。
不自然な沈黙を作り、また破ったのはフランスだった。
「・・・・ねえ、どうしてあいつを選んだの? 俺のほうがあいつより出来た大人だと思うんだけど」
「そうだね。君は優しくて大人で、料理だって上手いし、物腰も柔らかい」
アメリカを抱きよせたまま、フランスはその体勢を崩さない。耳元に当たる髭が、やはりこそばゆくてむずむずする。
「彼は馬鹿だし、卑屈だし、ネガティブ思考だし、幻覚見てるし、台所で核実験しちゃうようなどうしようもない人だから、俺がいなきゃダメなんだよ」
「ダディは優しいか? 眉毛に嫌気がさしたらいつでもおいで。きれいなお兄さんがいいことしてあげるから」
「君、ほんと下品」
昔よりほんの少し歳をとったフランスの頬に口づけた。
懐かしいフランスの匂いがした。遠い昔、大陸にやってきたきれいな顔をした男の匂い。でも自分の愛する男のそれではない。きっと、フランスもそう感じていることだろう。
「で、君何しに来たのさ」
ああ、と思いだしたかのようにフランスが書類を鞄から取り出した。
書類はあとで目を通すとして、アメリカが言わなければこのまま目的を忘れてそのまま帰ってしまったのではないだろうか。あるいは、こちらが本当の目的ではなく口実にすぎなかったか。
アメリカは知っている。フランスの心意を。
フランスはまだイギリスを愛しているのだ。
ふと目の前の男が哀れに思えた。
頭のてっぺんからつま先までお洒落に決めて、センスのいい香水を振りまいて。着飾って、色男を気取って、仕事ついでに間男を決め込んで、あわよくば彼に嫉妬してもらえないか、怒鳴りつけてもらえないかと期待している。
決して振り向くことのない彼の痩せた背中を、ただ見つめているのだ。
我が身を飾り立てて、振り返ってくれるのを待っているだけ。
彼は虚構の孔雀。
彼とのデートに気合の入った洋服も香水も要らない。
いつものシャツにジーンズ。それにお気に入りのスニーカー。ポケットに財布を押し込んで、フランスを追い出すと玄関の戸を開けた。
バイクにまたがり、ヘルメットをかぶる。そうそう、彼の分のヘルメットも忘れてはならない。後ろに乗せる彼のために買った、彼のためのヘルメット。バイクを買った時に、彼にプレゼントしたものだ。
車体にひっかけたヘルメットが誰のための物か、フランスには言わずともわかったのだろう。
幾らか眩しそうに、それでも微笑んで手を振った。
彼の表情がどこか不自然なのは、客が家主を送り出す、妙な状況が見せた錯覚ではない。
「イギリスによろしくな」
アメリカは一番自分がきれいに見える微笑みを返した。
作品名:あえて言うならこの身ひとつ 作家名:あさめしのり