女神の姿をした自由が僕を育んだ
気がつくと彼女はそこにいた。
招き入れた覚えもなければドアが開く音もしなかったのに、彼女は気がつくとアメリカの傍にいた。振り返るとそこにたたずんでいた。
「君は誰だい」
「どこから来たの?」
問いかけても彼女は微笑むだけで、口を開かなかった。
だから、彼女はそういう存在なのだと思うことにした。
育て親が言うところの妖精や精霊の類は基本的に見えないけれど、もしかしたらアメリカに棲むごく一部のそれならば見ることができるのかもしれない。
彼女はひどく美しかった。彼女が微笑むと、アメリカはとても幸せな気分になれた。白?のかんばせはしっとりとして、長い睫毛に縁取られた瞳はきらきらと輝いていた。彼女はアメリカにその白くやわらかな手を差し伸べた。
触れても構わないのだろうか。壊れやしないだろうか。彼女は、今まで見たどんな国よりも人よりも美しく儚げで、それでいて確たる強い意志をその瞳に秘めていた。
彼女は口を開かなかったけれど、アメリカには彼女の言いたいことが理解できた。
「逃げるの? ここから?」
だめだよ、とアメリカは首を振った。
だってイギリスが許すはずがない。
彼はアメリカを愛しているけれど、アメリカの裏切りを決して赦しはしないだろう。彼はアメリカをいっそ恭しいと言っていいほどに大事に扱うけれど、ひとたび彼に背けば、ほかの者と通じた裏切り者を撃つことに躊躇いはしないだろう。彼はそう言う男だ。彼の一部であるアメリカは、そのことをよく知っていた。
アメリカは彼のものだった。
彼が作らせた屋敷に住み、彼があてがった使用人に傅かれ、彼が用意した服を着て、彼が持ってきた紅茶を飲む。この体を構成するものすべてが、彼のものだった。彼の意志、彼の目、彼の手を通さずにアメリカに触れるものなどなかった。
だが、アメリカはそのことを疑問に思ったことなどなかった。
イギリスはやさしい。アメリカを虐めたり、手酷く扱ったりしない。不器用なりに彼はアメリカを愛してくれる。紅茶もくれるし、たくさんのことを教えてくれる。寂しいときには抱きしめてキスをくれるし、怪我をしたら飛んできてくれる。
アメリカは幼かったが、彼がどうして自分にやさしくしてくれるのか知っていた。アメリカが、彼の弟だからだ。もしもアメリカが敵でなくとも他人だったとしたら、きっとイギリスはアメリカにやさしくしてはくれないだろう。イギリスは確かにアメリカにやさしいが、そのやさしさが万人に与えられるものでないことはよくわかっていた。彼は聖人君子ではない。人も国も同じ、身内にはやさしくなれるいきものなのだ。
アメリカは彼のやさしさがほしかった。彼の胸に飛び込んで、あたたかい腕で抱きとめてもらう喜びに勝るものはなかった。だからイギリス国王を頂点とした帝国の傘下に属することを誇りに思えど、そこから脱したいなどとは露ほども思わなかった。
彼女は少し悲しそうな顔をしたけれど、アメリカは彼女に手を振った。
それから彼女はしばしばアメリカのもとを訪れるようになった。
アメリカがひとりの時を見計らうかのように、足音一つ立てずにやってきた。
「君は不思議な人だね」
もしかすると人ではないのかもしれないけれど。
濡れたおおきな瞳が、アメリカをじっと見つめる。言葉を交わさずとも、不思議と彼女と意志の疎通ができた。彼女はアメリカがひとりでいる時、それも悲しかったり苦しかったりすると必ずと言っていいほど現れた。あるときは慰めるように、またあるときは励ますように。
その視線が、アメリカの手首に落とされる。シャツに包まれた手首には、ゆうべイギリスにつけられた痣があった。彼がアメリカを縛り、折檻した痕だ。
彼女はたちまち悲しそうな顔をした。長い睫毛が白い頬に影を落とし、おおきな瞳からは透明なしずくが零れ落ちた。白くやわらかな手指がそっとアメリカの手を握った。包み込むようなあたたかさだった。彼女が慰めようとしてくれているのがわかって、アメリカは殊更にっこりと笑って見せた。
「そんな顔しないで。大丈夫」
フレンチ・インディアン戦争により、イギリスは多くの負債を抱えていた。本国では負債の原因となったアメリカにもそれ相応の負担をさせるべきだという声が大きくなり、増税案が持ち上がったのだった。
イギリスはそれまで決して悪い宗主国ではなかった。「有益なる怠慢」により、アメリカをがんじがらめに縛ったり、口うるさく言うことはなかった。貿易に関する法はおおよそアメリカを含む帝国全体の利益を考えたものであったから、アメリカが異を唱える必要などなかったし、一部のアメリカにとって不利になる法はかなり緩やかに施行されてきた。
それだけに印紙税の導入は、アメリカにとって衝撃だった。戦争による莫大な負債があるのはわかる。しかし、トランプや新聞に至るまで全ての出版物に税をかけることは、アメリカに移り住んだイギリス人たちの反感を招いたのだった。
「本国の議会に俺んちの代表は参加していない。代表なくして課税なし、だよ。俺の家の住人に相談もなしに決められちゃ困る」
本国にいるイギリス人と大陸にいるイギリス人は同じイギリス王を戴く臣民であり、どちらも同等であるべきだ。仮に課税するとしたら、イギリス議会にアメリカ植民地代表を加えて初めて成立すべきものだ。アメリカは彼に食ってかかった。
「お前の言い分はわかるが、うちの議会は大英帝国全てを統括する最高の議会であって、下位に属する大陸議会が何を言おうとこれはもう決まったことだ」
「横暴すぎるよ、賛同しかねる!」
「お前の意見は聞いていない」
ぴしゃりと彼は言い放った。
アメリカを見る時甘く蕩けるようだった彼の瞳は冷たく冴えていた。
イギリスはアメリカのシャツを剥ぎ取ると、今度はそれを使ってアメリカの両手首を縛りあげた。コットンであろうと、ぎゅうぎゅうに拘束されてはかなわない。
抵抗する度、シャツはアメリカの成長途上のやわらかな手首を傷つけた。痛くて、苦しくて、アメリカは泣きそうになった。体中が痛くて、どこが痛いのかわからない。きつく拘束された手首なのか、打たれた頬なのか、それとも広げられた脚なのか、乱暴に押し入られた内部なのか。
「いたいよ、イギリス・・・・痛い、いたい・・・・」
涙交じりの声で訴えても、彼は行為を中断してくれなかった。
ぬめる感触がする。ほとんど慣らされずに挿入されたそこが切れたのかもしれない。
だが、流血したことで却って挿入がスムーズになった。彼はピストンを早くしたけれど、痛みに弱いアメリカはどこをどういじられようと感じることなどできず、自身のだらりと力を失ったままの性器をぼんやりと見つめた。
「やめて」
拒絶はやがて懇願へ変わり、罵声は嗚咽に変わった。それでもイギリスは行為をやめなかった。
「どうして、俺の言うことが聞けないんだ。俺は決して無茶な要求をしてるわけじゃない。非常事態なんだ、しょうがないだろう? お前も帝国の一員なんだ。家族なんだ。わかってくれ」
アメリカの胸にあたたかいしずくが落ちた。
くしゃりと顔を歪め、鼻を赤くする彼を見て、ひどく切なくなった。
作品名:女神の姿をした自由が僕を育んだ 作家名:あさめしのり