ハッピーエンドはいつのこと?
ハッピーエンドはいつのこと?
それは偏頭痛に似ている。いつもいつも、頭のてっぺんから首、肩、背中にのしかかる重力を感じるのと同じように、確かにそこに存在してアメリカを圧迫する。
名を「イギリス」と言う。正式名称を「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」。嫌みなくらい長ったらしいこの名前に特に意味はないように思われるが、彼の(イングランドという勝者の側から)来歴を考えれば至極まっとうな名前である。そのことはさておくとして、それはアメリカにとってまったく偏頭痛と同じく厄介なものだった。
ただ偏頭痛が重力を頭の上から下に向かって感じるようなのに比べ、イギリスは体全体を包み込むような、もっと重厚で先の見えない霧のような重々しさだった。ロンドンは霧の立ちこめる街というイメージがあるから、アメリカが彼をそう表現するのはあながち間違っているとは言えないだろう。もっともこのことを彼が知ったら、怒鳴りつけたあと「俺が湿っぽいとでも言いたいのかよ」と泣きわめくのが目に見えているから口外するつもりはないが。
こういうふうに表現すると、まるでアメリカがイギリスを頭痛の種みたいに感じていて、できれば厄介払いしてしまいたい、そんな存在であると感じているように思われるかもしれない。それはあながち間違いではないけれどかといって真実でもない。アメリカがイギリスに抱く感情の半分は彼を疎んじるものだったが、もう半分はどちらかといえば好意に分類されるものであった。人間、百パーセント相手のことを好きになる、あるいは嫌いになることは滅多にない。どんなに親しい間柄でもいやなところは目につくものだし、それに目をつむりながら生きているものだ。逆説的に言えば、むしろ親しい間柄だからこそ、いやな部分が目についてしまう。同じ時間を共有すればするほど、親しくなればなるほど、相手のいいところがわかるかわりにいやなところもわかってしまう。そういうわけだ。だから、アメリカにとって五分五分の比重というのはかなりいい関係でなければありえない。結論から言えば、アメリカはイギリスのことを嫌いではなかった。
彼への好意が百パーセントに限りなく近くならないのにはもうひとつ理由がある。イギリスとアメリカの間に横たわる溝はあまりに深く、だがふたりを地中深く結ぶ水脈のようなものは細々と、しかし決して途絶えることなく流れ続けていた。
イギリスとの関係を語るには、数世紀前に遡らなければならない。アメリカがまだ初々しい青葉だった頃の話だ。アメリカはイギリスを憎からず思っていたが、アメリカが彼にあげられたものは彼が求めるそれではなかった。なぜなら、アメリカは彼と同じ男だったからだ。
イギリスはアメリカを大切に扱ったし、なにより彼は熱心な教育パパだった。彼が教えられるものならなんだって、読み書き計算、テーブルマナー、それからベッドの上の作法だって彼から教わった。彼は自分が知りうるものなるべくたくさんアメリカに教えようとしたし、若くエネルギッシュなアメリカは彼から貪欲にいろいろなものを吸収した。生徒としてアメリカは優秀な部類に属していただろう。
だが、イギリスが期待したのは優秀な教え子になることでもなければかわいい弟でいることでもなかった。もちろんそれらを彼が期待しなかったと言えば嘘になるが、だが彼がアメリカに望んだもっともおおきなものは、アメリカがイギリスの腕のなかにいることだった。女のように従順に、決して逃げ出すことなく彼を受け止めることだった。極端な話、それさえできていればどんなに物覚えが悪くてもどんなにできが悪くても、イギリスはアメリカを嫌いになることはなかっただろう。お前はまだまだだなあと笑って頭を撫でて、それから何度も教え諭す。そんな姿が容易に想像できる。
だが、アメリカは男だった。もしアメリカが女の子だったら結果は違っていたのかもしれないが、「もしも」の仮定で結論を出しても意味のないことだ。彼がどんなに望もうともアメリカは男だったし、彼を肉体的に受け入れることはできても女のように彼を受け止めてあげることはできなかった。きっとアメリカのなかに、彼と同じ血が流れているからだ。外へ出て獲物を狩る。あるいは戦をして敵を倒す。そういう古くからの遺伝子を、皮肉にも彼自身から色濃く受け継いでいるせいで、アメリカは彼を受け入れることができなかった。
重ねて言うようだが、アメリカは彼を嫌いではなかった。彼が初めての男で、今までがそうだったようにこれからも彼以上の存在は現れないだろうということに気づいて以来、アメリカは彼以外の人とつきあうのをやめた。どんなに人恋しくても歯を食いしばって耐えた。寂しくて眠れない夜にはひとりでゲームをして一夜を明かしたことだってあった。だってそうだろう。彼以上に好きになれないだろうことが頭でわかっているのに、一時の衝動に任せて誰かを抱いたり誰かに抱かれたり、軽はずみなことはするべきではない。少なくともヒーローはそうあってはいけない。だからここ一世紀ほどアメリカは誰とも寝ていない。
もちろんイギリスはヒーローでもなければ潔癖でもないし、自分の欲望に素直な人であるから、アメリカのことを愛していてもその時々でほかの人を抱くこともある。その点に関して、アメリカはとやかく言うつもりはない。「一番好きなのはビッグバーガーだけど売り切れているからでチーズバーガーで我慢しよう」。独立革命以降、彼のスタンスはこうだった。アメリカは確かに自分を安売りをするつもりはない。昔のように彼の領有にならなければ彼に愛してもらえないというのなら結構、アメリカの恋は胸の裡にひそかにしまっておくつもりだった。思い出は思い出としてきれいな気持ちのまま、ひっそりと胸の片隅にしまっておくつもりだった。
なのに彼ときたらまるでアメリカへの気遣いがなっていない。パブで飲んではアメリカへの未だ捨てきれない恋情をぶちまけるくせに、その足で馴染みの女のところへ行く。そんな彼に、何ものかを伝えることなどできるはずもない。もし言える者がいるとしたら、それはとんでもなく卑屈で低姿勢で、誇りもなにも持たない人間に違いない。残念ながらアメリカは彼に胸の裡にわだかまるもやもやを伝えるにはあまりにもじゃまっけな、立派すぎるほど立派なプライドを抱えていたし、自分自身のプライドがイギリスに「よその女の子のところにいくくらいなら俺と寝てくれよ」と言う心の声を封じ込めてしまっていたのだった。
彼のことを笑えない。アメリカだって彼と張り合うくらい、いや彼よりずっともっと意地っ張りで、抜けるように高い空よりも高いプライドを持ち合わせている。
片や脂下がった顔で女の肩を抱いて、片やまるで色事なんて興味ないかのような顔をしている。すれ違いざまに絡むのは視線だけ。底光りする翠色が、通り過ぎる瞬間、一瞬のきらめきをみせる。やさしくない。自分は女を連れているくせに、眼がお前は俺のものだと言わんばかりに所有権を主張する。だから反発してしまう。
俺は君のものじゃない。何者にも領有されることなく支配されることもない、アメリカ合衆国だ。
それは偏頭痛に似ている。いつもいつも、頭のてっぺんから首、肩、背中にのしかかる重力を感じるのと同じように、確かにそこに存在してアメリカを圧迫する。
名を「イギリス」と言う。正式名称を「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」。嫌みなくらい長ったらしいこの名前に特に意味はないように思われるが、彼の(イングランドという勝者の側から)来歴を考えれば至極まっとうな名前である。そのことはさておくとして、それはアメリカにとってまったく偏頭痛と同じく厄介なものだった。
ただ偏頭痛が重力を頭の上から下に向かって感じるようなのに比べ、イギリスは体全体を包み込むような、もっと重厚で先の見えない霧のような重々しさだった。ロンドンは霧の立ちこめる街というイメージがあるから、アメリカが彼をそう表現するのはあながち間違っているとは言えないだろう。もっともこのことを彼が知ったら、怒鳴りつけたあと「俺が湿っぽいとでも言いたいのかよ」と泣きわめくのが目に見えているから口外するつもりはないが。
こういうふうに表現すると、まるでアメリカがイギリスを頭痛の種みたいに感じていて、できれば厄介払いしてしまいたい、そんな存在であると感じているように思われるかもしれない。それはあながち間違いではないけれどかといって真実でもない。アメリカがイギリスに抱く感情の半分は彼を疎んじるものだったが、もう半分はどちらかといえば好意に分類されるものであった。人間、百パーセント相手のことを好きになる、あるいは嫌いになることは滅多にない。どんなに親しい間柄でもいやなところは目につくものだし、それに目をつむりながら生きているものだ。逆説的に言えば、むしろ親しい間柄だからこそ、いやな部分が目についてしまう。同じ時間を共有すればするほど、親しくなればなるほど、相手のいいところがわかるかわりにいやなところもわかってしまう。そういうわけだ。だから、アメリカにとって五分五分の比重というのはかなりいい関係でなければありえない。結論から言えば、アメリカはイギリスのことを嫌いではなかった。
彼への好意が百パーセントに限りなく近くならないのにはもうひとつ理由がある。イギリスとアメリカの間に横たわる溝はあまりに深く、だがふたりを地中深く結ぶ水脈のようなものは細々と、しかし決して途絶えることなく流れ続けていた。
イギリスとの関係を語るには、数世紀前に遡らなければならない。アメリカがまだ初々しい青葉だった頃の話だ。アメリカはイギリスを憎からず思っていたが、アメリカが彼にあげられたものは彼が求めるそれではなかった。なぜなら、アメリカは彼と同じ男だったからだ。
イギリスはアメリカを大切に扱ったし、なにより彼は熱心な教育パパだった。彼が教えられるものならなんだって、読み書き計算、テーブルマナー、それからベッドの上の作法だって彼から教わった。彼は自分が知りうるものなるべくたくさんアメリカに教えようとしたし、若くエネルギッシュなアメリカは彼から貪欲にいろいろなものを吸収した。生徒としてアメリカは優秀な部類に属していただろう。
だが、イギリスが期待したのは優秀な教え子になることでもなければかわいい弟でいることでもなかった。もちろんそれらを彼が期待しなかったと言えば嘘になるが、だが彼がアメリカに望んだもっともおおきなものは、アメリカがイギリスの腕のなかにいることだった。女のように従順に、決して逃げ出すことなく彼を受け止めることだった。極端な話、それさえできていればどんなに物覚えが悪くてもどんなにできが悪くても、イギリスはアメリカを嫌いになることはなかっただろう。お前はまだまだだなあと笑って頭を撫でて、それから何度も教え諭す。そんな姿が容易に想像できる。
だが、アメリカは男だった。もしアメリカが女の子だったら結果は違っていたのかもしれないが、「もしも」の仮定で結論を出しても意味のないことだ。彼がどんなに望もうともアメリカは男だったし、彼を肉体的に受け入れることはできても女のように彼を受け止めてあげることはできなかった。きっとアメリカのなかに、彼と同じ血が流れているからだ。外へ出て獲物を狩る。あるいは戦をして敵を倒す。そういう古くからの遺伝子を、皮肉にも彼自身から色濃く受け継いでいるせいで、アメリカは彼を受け入れることができなかった。
重ねて言うようだが、アメリカは彼を嫌いではなかった。彼が初めての男で、今までがそうだったようにこれからも彼以上の存在は現れないだろうということに気づいて以来、アメリカは彼以外の人とつきあうのをやめた。どんなに人恋しくても歯を食いしばって耐えた。寂しくて眠れない夜にはひとりでゲームをして一夜を明かしたことだってあった。だってそうだろう。彼以上に好きになれないだろうことが頭でわかっているのに、一時の衝動に任せて誰かを抱いたり誰かに抱かれたり、軽はずみなことはするべきではない。少なくともヒーローはそうあってはいけない。だからここ一世紀ほどアメリカは誰とも寝ていない。
もちろんイギリスはヒーローでもなければ潔癖でもないし、自分の欲望に素直な人であるから、アメリカのことを愛していてもその時々でほかの人を抱くこともある。その点に関して、アメリカはとやかく言うつもりはない。「一番好きなのはビッグバーガーだけど売り切れているからでチーズバーガーで我慢しよう」。独立革命以降、彼のスタンスはこうだった。アメリカは確かに自分を安売りをするつもりはない。昔のように彼の領有にならなければ彼に愛してもらえないというのなら結構、アメリカの恋は胸の裡にひそかにしまっておくつもりだった。思い出は思い出としてきれいな気持ちのまま、ひっそりと胸の片隅にしまっておくつもりだった。
なのに彼ときたらまるでアメリカへの気遣いがなっていない。パブで飲んではアメリカへの未だ捨てきれない恋情をぶちまけるくせに、その足で馴染みの女のところへ行く。そんな彼に、何ものかを伝えることなどできるはずもない。もし言える者がいるとしたら、それはとんでもなく卑屈で低姿勢で、誇りもなにも持たない人間に違いない。残念ながらアメリカは彼に胸の裡にわだかまるもやもやを伝えるにはあまりにもじゃまっけな、立派すぎるほど立派なプライドを抱えていたし、自分自身のプライドがイギリスに「よその女の子のところにいくくらいなら俺と寝てくれよ」と言う心の声を封じ込めてしまっていたのだった。
彼のことを笑えない。アメリカだって彼と張り合うくらい、いや彼よりずっともっと意地っ張りで、抜けるように高い空よりも高いプライドを持ち合わせている。
片や脂下がった顔で女の肩を抱いて、片やまるで色事なんて興味ないかのような顔をしている。すれ違いざまに絡むのは視線だけ。底光りする翠色が、通り過ぎる瞬間、一瞬のきらめきをみせる。やさしくない。自分は女を連れているくせに、眼がお前は俺のものだと言わんばかりに所有権を主張する。だから反発してしまう。
俺は君のものじゃない。何者にも領有されることなく支配されることもない、アメリカ合衆国だ。
作品名:ハッピーエンドはいつのこと? 作家名:あさめしのり