不平等恋愛
不平等恋愛
フランスは恋人の育て親を嫌っている。いっそ、憎んでいるといってもいいだろう。もしも完膚なきまでに叩きのめしていいのなら、躊躇わずそうする。だが、フランスが今現在忌々しい男をぶっ殺さずにいるのは、それをできない状況にあるからだ。人間、したいからといってなんでもできるわけではない。自分の立場や周囲の状況、そういったものを鑑みて、やっていいことと悪いことを判断する。恋人の育て親――イギリスを叩きのめすというのは、フランスのなかでやってはいけないことに分類されている。昨今の情勢を考えればイギリスに殴りかかるのは得策ではない。感情に任せて殴りかかったりすれば、国際社会から非難されるだけだし、年下の恋人に白眼視されかねない(なにしろ彼はおそろしくファザコンだ)。重ねて言うが、フランスがイギリスを殴らないのはそうすべきだからしないだけで、そうしたくないということでは決してない。さらに頭が痛いのは、それをかわいい恋人が一向に理解してくれないことだった。
「アメリカ、もうそろそろご飯だから、菓子食うのやめなさい」
「ふぁーい」
「ほら、そのくわえた一枚で最後な」
アメリカは慌てて最後の一枚とばかりにポテトチップスをくわえると、袋をクリップで止めてキッチンに戻して寄越した。
「今日の晩ご飯は?」
シンクでボウルを洗っていると、背中に体重と体温を感じた。キッチンに立つフランスの背中に抱きついてくる恋人はかわいかった。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはいかずとも、若々しい、まるでゴムまりのような弾力で跳んだり跳ねたりする姿は微笑ましくも愛らしいと思えるのだった。それを言えば、アメリカはきっとむくれてしまうだろう。彼はいつだって格好いいヒーローでいたいのだ。
もっともアメリカはヒーローを名乗るにはその手はあまりにもすべらかで、その体つきはあまりにも華奢だった。ちいさい頃、フランスも女の子に間違えられることはままあったが、今では素敵な胸板になったしセクシーな顎髭だって生やしている。だがアメリカは、いつまで経っても成長期の子どものような、骨ばかりが伸びて筋肉が追い付かないみたいな体をしていた。
背中にアメリカの、自分のそれより高い体温を感じながら、フランスはひどく意地悪な気持ちで言葉を返した。
「今夜の晩ご飯は、お前の大好きなローストビーフだよ、アメリカ」
アメリカは目をぱちくりさせ、それがどういう意味なのか考えているようだった。フランスの口からでた、ローストビーフという単語、それからフランスの声色、表情、そういったものを総合して考えれば、答えを導き出すのはそう難しいことではない。
フランスはもって回った、そう、誰かさんみたいな嫌みな言い方はしない。いいものはいい、悪いものは悪い。そうはっきり言うし、もちろん言い方には気をつけるが、自分の意志は誰が相手であれ正面から伝えてきた。だから、アメリカも、こんなふうに表面はやさしい顔をして、その実ひどく意地悪な気持ちを隠して何かを言われたことなどない。だが、アメリカは愚かではないし、ましてや空気が読めないわけでもない。
「君の作ったのなら何だって大歓迎さ」
まるで言葉通りの意味を受け取ったかのように振る舞いながら、彼はフランスの表情を窺っている。それがわかった。
年下の恋人にこんなふうに腹のさぐり合いをさせるなんて! フランスの流儀にもとる行いだ。恋人にはチョコレートよりも甘く、シフォン生地よりやさしく振る舞うのがフランスの信条だった。ましてや相手は随分歳の離れた青年だ。自分がリードして(もっとも彼の場合、若さ故に暴走しがちでなかなかそうはさせてくれないのだが)、甘やかして、大切にしてやらなければならない。なのに今のフランスはいつものフランスを見失うくらい、きっと動揺していたのだろう。
夕食は、バゲット、ローストビーフ、それから温野菜のサラダを用意したが味はよくわからなかった。アメリカは美味しいよと言ってくれたが、彼の感想はあてにならない。
フランスがこんな態度をとったのにはわけがある。事の発端は実にシンプルだ。
イギリスと喧嘩をした。イギリスはなに人んちの子どもに勝手に手ぇ出してんだこの変態とフランスを詰った。フランスは嘴を突っ込むなクソ眉毛と罵り返した。それからつかみあいの殴りあいになった。奴はアッパーカットを食らわせ、倒れ込んだところ腹部を踏みつけてくるような下衆だから、気をつけていないと内臓まで傷めてしまう。あばらを折られたことなど、一度や二度ではない。イギリスとフランス、どちらがより喧嘩の場数を踏んでいて、どちらがより強いかと言えば間違いなくイギリスだし、フランスはいつも一矢報いるのに精一杯なのだった。この日も、痛み分け、とはいかなかった。負傷レベルを数字で示すなら、イギリスが四でフランスが六だった。大抵三対七で終わることが多いのに、今回少しばかりフランスが善戦したのは、イギリスと彼の息子であるアメリカに対する憤りによるものだ。
なぜここまで手ひどく喧嘩をしたかというと、イギリスとフランスの間にいるアメリカが原因だった。正確に言えば、アメリカがフランスとつきあっていることをイギリスは知らなかった。うっかりイギリスの前でアメリカとつきあっていることがばれてしまって、イギリスに殴られたというわけだ。
別段隠していたわけではない。アメリカに愛を告白されたとき、イギリスが黙ってはいないだろうな、という予想は頭をよぎったし、いずれこうなるであろうことはわかっていた。だが、そのときフランスは、そんなつまらない理由でアメリカを袖にする気は毛頭なかったし、もし自分とアメリカがつきあいだしたことを知ったら、あの眉毛はどんなに悔しがるだろうとこっそりほくそ笑んだのだった。イギリスにひと泡吹かせてやろう。お前のかわいい息子は、俺の恋人なんだと嘲笑ってやろうと思った。アメリカとつきあいだしたのは単純にアメリカがかわいかったからというのが一つ目の理由で、二つ目の理由はイギリスをコケにしてやろうという打算だった。
だが、嗤われたのはフランス自身だった。アメリカとつきあいを深くすればするほど、アメリカを知れば知るほど、自分がいかに愚かな考えを抱いていたかということがわかった。
アメリカはもうイギリスの庇護が必要なちいさな子どもではないし、つきあうのに親の承諾が必要だなんて前時代的にもほどある。アメリカはもう一人前だし、誰を好きになって誰とつきあおうがアメリカの自由のはずだ。なのに、常にイギリスの影がついて回る。今回のことだけではない。アメリカは何よりもイギリスを優先するし(イギリスを理由にデートの約束をふいにされたことも一度や二度ではない)、イギリスを未だに尊敬している。イギリスもイギリスで、独立した息子に対するには甘ったるすぎるやさしさでアメリカに接する。まるで自分の手足を慈しむかのように、すでに自分の体の一部ではなくなったアメリカを想うのをやめない。
フランスは恋人の育て親を嫌っている。いっそ、憎んでいるといってもいいだろう。もしも完膚なきまでに叩きのめしていいのなら、躊躇わずそうする。だが、フランスが今現在忌々しい男をぶっ殺さずにいるのは、それをできない状況にあるからだ。人間、したいからといってなんでもできるわけではない。自分の立場や周囲の状況、そういったものを鑑みて、やっていいことと悪いことを判断する。恋人の育て親――イギリスを叩きのめすというのは、フランスのなかでやってはいけないことに分類されている。昨今の情勢を考えればイギリスに殴りかかるのは得策ではない。感情に任せて殴りかかったりすれば、国際社会から非難されるだけだし、年下の恋人に白眼視されかねない(なにしろ彼はおそろしくファザコンだ)。重ねて言うが、フランスがイギリスを殴らないのはそうすべきだからしないだけで、そうしたくないということでは決してない。さらに頭が痛いのは、それをかわいい恋人が一向に理解してくれないことだった。
「アメリカ、もうそろそろご飯だから、菓子食うのやめなさい」
「ふぁーい」
「ほら、そのくわえた一枚で最後な」
アメリカは慌てて最後の一枚とばかりにポテトチップスをくわえると、袋をクリップで止めてキッチンに戻して寄越した。
「今日の晩ご飯は?」
シンクでボウルを洗っていると、背中に体重と体温を感じた。キッチンに立つフランスの背中に抱きついてくる恋人はかわいかった。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはいかずとも、若々しい、まるでゴムまりのような弾力で跳んだり跳ねたりする姿は微笑ましくも愛らしいと思えるのだった。それを言えば、アメリカはきっとむくれてしまうだろう。彼はいつだって格好いいヒーローでいたいのだ。
もっともアメリカはヒーローを名乗るにはその手はあまりにもすべらかで、その体つきはあまりにも華奢だった。ちいさい頃、フランスも女の子に間違えられることはままあったが、今では素敵な胸板になったしセクシーな顎髭だって生やしている。だがアメリカは、いつまで経っても成長期の子どものような、骨ばかりが伸びて筋肉が追い付かないみたいな体をしていた。
背中にアメリカの、自分のそれより高い体温を感じながら、フランスはひどく意地悪な気持ちで言葉を返した。
「今夜の晩ご飯は、お前の大好きなローストビーフだよ、アメリカ」
アメリカは目をぱちくりさせ、それがどういう意味なのか考えているようだった。フランスの口からでた、ローストビーフという単語、それからフランスの声色、表情、そういったものを総合して考えれば、答えを導き出すのはそう難しいことではない。
フランスはもって回った、そう、誰かさんみたいな嫌みな言い方はしない。いいものはいい、悪いものは悪い。そうはっきり言うし、もちろん言い方には気をつけるが、自分の意志は誰が相手であれ正面から伝えてきた。だから、アメリカも、こんなふうに表面はやさしい顔をして、その実ひどく意地悪な気持ちを隠して何かを言われたことなどない。だが、アメリカは愚かではないし、ましてや空気が読めないわけでもない。
「君の作ったのなら何だって大歓迎さ」
まるで言葉通りの意味を受け取ったかのように振る舞いながら、彼はフランスの表情を窺っている。それがわかった。
年下の恋人にこんなふうに腹のさぐり合いをさせるなんて! フランスの流儀にもとる行いだ。恋人にはチョコレートよりも甘く、シフォン生地よりやさしく振る舞うのがフランスの信条だった。ましてや相手は随分歳の離れた青年だ。自分がリードして(もっとも彼の場合、若さ故に暴走しがちでなかなかそうはさせてくれないのだが)、甘やかして、大切にしてやらなければならない。なのに今のフランスはいつものフランスを見失うくらい、きっと動揺していたのだろう。
夕食は、バゲット、ローストビーフ、それから温野菜のサラダを用意したが味はよくわからなかった。アメリカは美味しいよと言ってくれたが、彼の感想はあてにならない。
フランスがこんな態度をとったのにはわけがある。事の発端は実にシンプルだ。
イギリスと喧嘩をした。イギリスはなに人んちの子どもに勝手に手ぇ出してんだこの変態とフランスを詰った。フランスは嘴を突っ込むなクソ眉毛と罵り返した。それからつかみあいの殴りあいになった。奴はアッパーカットを食らわせ、倒れ込んだところ腹部を踏みつけてくるような下衆だから、気をつけていないと内臓まで傷めてしまう。あばらを折られたことなど、一度や二度ではない。イギリスとフランス、どちらがより喧嘩の場数を踏んでいて、どちらがより強いかと言えば間違いなくイギリスだし、フランスはいつも一矢報いるのに精一杯なのだった。この日も、痛み分け、とはいかなかった。負傷レベルを数字で示すなら、イギリスが四でフランスが六だった。大抵三対七で終わることが多いのに、今回少しばかりフランスが善戦したのは、イギリスと彼の息子であるアメリカに対する憤りによるものだ。
なぜここまで手ひどく喧嘩をしたかというと、イギリスとフランスの間にいるアメリカが原因だった。正確に言えば、アメリカがフランスとつきあっていることをイギリスは知らなかった。うっかりイギリスの前でアメリカとつきあっていることがばれてしまって、イギリスに殴られたというわけだ。
別段隠していたわけではない。アメリカに愛を告白されたとき、イギリスが黙ってはいないだろうな、という予想は頭をよぎったし、いずれこうなるであろうことはわかっていた。だが、そのときフランスは、そんなつまらない理由でアメリカを袖にする気は毛頭なかったし、もし自分とアメリカがつきあいだしたことを知ったら、あの眉毛はどんなに悔しがるだろうとこっそりほくそ笑んだのだった。イギリスにひと泡吹かせてやろう。お前のかわいい息子は、俺の恋人なんだと嘲笑ってやろうと思った。アメリカとつきあいだしたのは単純にアメリカがかわいかったからというのが一つ目の理由で、二つ目の理由はイギリスをコケにしてやろうという打算だった。
だが、嗤われたのはフランス自身だった。アメリカとつきあいを深くすればするほど、アメリカを知れば知るほど、自分がいかに愚かな考えを抱いていたかということがわかった。
アメリカはもうイギリスの庇護が必要なちいさな子どもではないし、つきあうのに親の承諾が必要だなんて前時代的にもほどある。アメリカはもう一人前だし、誰を好きになって誰とつきあおうがアメリカの自由のはずだ。なのに、常にイギリスの影がついて回る。今回のことだけではない。アメリカは何よりもイギリスを優先するし(イギリスを理由にデートの約束をふいにされたことも一度や二度ではない)、イギリスを未だに尊敬している。イギリスもイギリスで、独立した息子に対するには甘ったるすぎるやさしさでアメリカに接する。まるで自分の手足を慈しむかのように、すでに自分の体の一部ではなくなったアメリカを想うのをやめない。