餞
自分で自分を納得させてやらなければ、自分自身を騙して誤魔化していなければ、立っていられないほど、彼が欲しかったのだ。
「好きだなんて、言えるわけねえだろ」
愛してるだなんて言えない。
それを言ってしまったら、彼はたちまち逃げ出してしまうだろうから。それなら、ずっと仲の悪い隣人でいたい。喧嘩することで繋がっていたかった。
いい加減認めざるを得なかった。そう思う自分の臆病さが、自らの恋を僻地へ追いやったのだと。
フランスはほんの少し泣いた。失われてしまった恋への餞として。
墓標は建てない。建てられない。フランスの恋は死んでしまったわけではない。ただ、どこか遠くへ旅立っただけだ。
青年は、ハンカチを差し出した。清潔なだけが取り柄の、しゃれっ気のないハンカチだった。
礼を言おうとして初めて、彼の名前を失念していたことに気がついた。
教えられたことがないわけではないだろう。十年前、確かに彼は自分の名前を名乗っていたはずだ。記憶をさらえてみても、彼の名前がどうしても思い出せない。
フランスが青年を見ると、フランスの涙におろおろするばかりの男の姿があった。彼は背丈が高く、甘ったるい砂糖菓子のような顔立ちをしている。黙っていれば立派な美男子なのに頭の中身が残念すぎるこの青年は、目の前で涙する好きな相手をどう慰めていいのかすらわからないのだ。
何年経っても物慣れないこの青年には、まず男の扱い方を教えてやらねばなるまい。
「なあ、好青年。もう一度、名前を教えてくれないか」