彼が彼女になったなら③
「佐藤くんを茶化す気力も起きないなんて、相当重傷だよねぇ」
一日目には、佐藤くんをからかう心はまだあった。
だけど、二日経ち三日目が過ぎ、四日目には不安から口数もかなり少なくなった。
そして現在、少し痩せたんじゃないか、と思うほど自分は肉体的にも精神的にも憔悴していた。
本当に、これからの人生、一体どういう風に転がっていくのだろう。
はぁと本日何度目かの溜息を大きく吐くと同時に、がちゃりと音を立てて更衣室の扉が開かれた。
「悪い、待たせた。帰るか」
「うん」
微笑んで頷く俺に、佐藤くんが少しだけ頬を赤くさせた気がした。
それに疑問符を浮かべながらも、先を歩く佐藤くんに続き、ワグナリアを後にする。
駐車場に着くと、佐藤くんが助手席に乗るよう促したので、その通りにおずおずと乗り込む。
それに続いて、佐藤くんも運転席に腰を落ち着けた。
だけど、一向に動く気配を見せない彼に、俺は何故か心がざわついた。
「佐藤くん、どうしたの?」
沈黙にいたたまれなくなった俺は、これまたおずおずと問いかける。
すると、佐藤くんが困ったように俺に視線を寄越した。
「お前、さ」
「ん?」
「何か悩み、あるのか」
一瞬、きょとんとしてしまう。
まぁ、一番の悩みと言えば、これしかあるまい。
「え…いや、まぁ、ねぇ。今この状態がまさに悩みどころだよねぇ」
少し胸の膨らみを強調させると、佐藤くんが顔を茹でタコの様にして思い切り目線を逸らした。
やっぱり佐藤くんは面白いなぁなんて少しの可笑しさが込み上げてくる。
「そう、だよな。突然女になったら、そりゃ悩むよな。悪い、当たり前のこと聞いて」
「いや、別にいいけど。俺の事気にしてくれてたみたいだし、嬉しいよ。ありがとう」
心の底から笑みが零れた。
嬉しいと思ったのは本当の気持ちだ。
俺の事を気にしてくれて、尚且つ相談にまで乗ってくれようとしていたのだから。
やっぱり佐藤くんは優しい、本当に惚れてしまいそうなくらいだ。
「やっぱり、元に戻る方法とか、考えたりするよな」
「うん、そうだね。まぁ原因がわからないことには、元に戻る方法なんてわかりっこないだろうけど、やっぱり考えずにはいられないし」
不安でいっぱいだよ、と少し弱々しく吐き出す言葉。
小さな小さな声だったけれど、それを佐藤くんは聞き逃さずにちゃんと耳に入れてくれていた。
「ああ…俺もお前と同じ立場なら、絶対悩んでるし凹む」
「だろうね。っていうか、誰でもそうなるよね、確実。何時元に戻るのか、戻れる日は来るのか、もし戻れなかったらこの先どんな人生を送ればいいのか、とかね。色々考えちゃうよ」
参った、とお手上げポーズを取ると、佐藤くんは困ったように黙り込んでしまった。
慰める言葉でも考えているのだろうか、別にそんな気など遣ってくれなくてもいいのに。
暫くその沈黙を愉しんでいると、佐藤くんが意を決したように口を開いた。
「万が一、お前がこの先ずっと元に戻れなかったら、そん時は、」
「?」
「俺が、お前のこと、一生面倒見るから、安心しろ」
いやに真剣な顔つきの佐藤くんが、真っ直ぐ俺を見据えていた。
どうしていいかわからず、目をぱちくりさせて取り敢えずこくりと一度頷いて見せる。
「…うん、ん?ん…と、…うん、ありが、と?」
今の言葉は、一体どういう風に受け取ればいいのだろう。
頭の中でぐるぐると考え込んでいると、言ってすっきりしたと言わんばかりの表情の佐藤くんが、車のエンジンをかけていた。
それからずっと車に揺られながら、俺の不安を拭ってくれる佐藤くんは、まるで魔法使いのようだ、と考えていた。
彼の言うことならば、どんなに実現不可能なことですら信じられそうだ。
佐藤くんにそこまでの絶対的信頼を置いている自分自身に少しの驚きを覚えた。
(それに、さっきの言葉、どういう意味かわからなかったけど、嬉しかったし)
ちらりと運転する佐藤くんの横顔を盗み見て、何故だか思わず顔が熱くなった。
(と、兎に角、俺に頼れってことかな?うーん、佐藤くんが時々わからない…)
作品名:彼が彼女になったなら③ 作家名:arit