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こわいものなど

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寝苦しい夜ともそろそろお別れできそうな秋の夜長、突然障子を開ける音に驚いた。もう家の者など皆寝静まっている時間だった。

「……歳三さん」

この家で畳に小さい影をつくる者などひとりしかいない。だから障子を開けた主が惣次郎だとすぐにわかった。手招きをして招き入れてやる。彼はほっとしたような顔をして、歳三の傍まで静かに歩いてくると隣に座った。

「ねえ、歳三さん�、今日ここで寝てもいいですか?」
「……別に構わねえけど」
夜中に起きているのも珍しいが、枕まで持参しての要求に歳三は首をかしげる。けれど理由は聞かずに頷いてやった。黙って傍にいればすぐ素直に口を開くのだと、この一年共に過ごした歳三は知っている。子ども扱いを微かにでも匂わせれば身体全体で否定する、ようは天邪鬼なガキなのだ。

とはいうものの、最近惣次郎は子供らしい姿もちらりと見せるようになった。
幼さを罪と感じ、苦しんできた彼である。同じく幼くして両親を無くしても、子供ゆえの苦しみとは無縁でいられた歳三は、年相応の姿をみせる惣次郎に内心ほっとしていた。子供らしくいたらいいのだ。どうせすぐ泣くのも許されない大人になってしまうのだから。

夜も深けたこの時間、恐らく近藤家で唯一明るいのがこの部屋だ。灯りをたよりに本を読んでいたらすっかり遅くなってしまった。続きは気になるが惣次郎が来たのなら切りあげ時かもしれない。夜具はもう整えてあったから、惣次郎から枕を取り上げ、自分の枕の横においてやり、彼の手を引いた。

「とっとと寝るぞ」

惣次郎を布団に寝かしつけて夜着をかけ、灯りを消す為行燈の方へ行こうと立ち上がる。すると惣次郎が慌てたようにぎゅっと袖を引いた。歳三は訝しげに振り返る。

「やっぱり灯りは消さないとだめですか」
「明るくちゃ眠れねえだろうが」
歳三がそういうと�、惣次郎は黙り込んでしまった。本当に一体なんなのだろう。よくわからないのでとりあえず頭を撫でてみる。この行為も今やすっかり癖になっているが、以前は酷く嫌がられた。子ども扱いの最たるものだったからだろう。
けれど最近は黙ってされるままの事も多い。どうやら今夜もそうらしく、優しい撫で方に惣次郎は目を細め、嬉しそうな顔をした。本当に子供だ。なんだか可愛かったので、灯りは暫くいいかと、頭を撫でる手をいったん離し�、惣次郎の隣で横になる。
片肘をつきつつ、空いた片手で夜着の上から惣次郎の肩を宥めるように軽くたたくと、惣次郎がぽつりと呟いた。

「恐い話なんかするから……」

そういえば確かに話した記憶はあった。なにせつい数刻前のことである。今は盆行事の季節だった。だから近藤家でも例外なく先祖を迎える準備をしていた。先祖や肉親の霊魂を供養する盆には、無縁仏用の棚も縁側に作り、一緒に供養してやる。どんな家でも一般的になされる盆行事の一つである。

そして今日の夕刻時、件の棚をつくりつける作業をしていた歳三がふと思い出して惣次郎に四谷怪談を聞かせてやったのだ。夕暮れどきの青みがかった紫色の空に蝉時雨の声が響く中、迎え火の灯りを見ながら話した怪談は、本当に軽い気まぐれからでた、ついで話にすぎなかった。

「惣次郎�、提灯には気をつけろよ」
「何に気をつけろって言うんです?火傷するなってことですか」

縁側で脚をぶらつかせ歳三の姿を見ていた惣次郎に、からかい半分に話を振った。四谷怪談の芝居は大人気であったから惣次郎も知っているかとも思ったが、彼は不思議そうな顔をしていたから知らないのだと判断し、ちょっとだけ脅すように低い声で話す。

――――主人公お岩の夫(伊右衛門)は浪人だったため家計は火の車だった。その折、隣家の娘お梅との縁談に職の口を見つけた伊右衛門は、お岩と離縁し、お岩は死んでしまう。しかし祝言を挙げた夜、伊右衛門の目にはお梅の顔がお岩の顔に変わって見え、恐怖でお梅を斬り殺してしまう。
その後も伊右衛門は、川を流れる戸板にお岩の幻影を見、迷い込んだ家の女主人の顔にもお岩の顔を見、しまいには提灯の中からもお岩が現れ、お岩の怨念に取りつかれる……。

そんな話を多少芝居じみた声で話してみた。しかし惣次郎は冷静だった。それどころか笑って流すのみならず、ふうとため息までついてその場を去ったのだ。あまりにそっけない惣次郎の態度に、歳三はちょっと傷つきもしたのだが、今の惣次郎を見るに、あの態度は恐さを抑え、強がる気持ちがさせたのだろうか。

「本当は恐かったのか」
確認するような歳三の台詞に、惣次郎はなぜか苦笑する。

「そう思っておいてください。じゃないと、この部屋に私が来た理由がなくなってしまう」
「理由がねえなら部屋に帰れよ……」
意味がわからねえ、少し呆れたような歳三の声に、惣次郎は布団の中から身体を起こした。

「恐いから、灯りを消したくないな。もし消すなら、私が寝るまで起きていてくれます?」
「ちっとも恐がっているように見えねえよ。というか、そりゃ子供の言う台詞だろう」
「どうせ私は子供ですよ。せっかくだから子供のわがままを言ってみようと思ったんです」

その、いかにもどうでもよさそうな棒読み口調はなんなのだ。しかし子供で結構と開き直られてしまっては、もう部屋に帰れと追い出す事も出来なかった。

「歳三さんにだけですよ。若先生に子供っぽい態度なんて取れないし」
気付けば先ほどまで肩に触れていた手を惣次郎に取られていた。その手を痛いほどきつく握られる。
「惣次郎……っ、手を離せ」

痛さに声をあげる歳三をみて、惣次郎はあっさり手を離した。しかし一言言ってやろうと惣次郎の方に顔を向けると、突然肩口をつかまれ床に押付けられて、
まるで組み敷かれたようになってしまった。
身体の上に乗り上げて歳三を見下ろす惣次郎の目は、驚くほど真剣だった。

「恐い話などするからいけない。だから、私にここに来る理由を与えてしまう」
「何を言って……」

言いかけたところを唇で塞がれる。されている行為の意味などはすぐわかった。しかし、惣次郎がそうしてくることに困惑した。この幼さでは経験などないのだろう。ただ触れ合う唇は子供の体温の温かさを伝えてくる。

本当はふざけるなと突き放してしまえばよかったのだ。そんな事はわかりきっている。それなのに、彼の身体を自分の上からどかす事にためらいを覚えた。

惣次郎は大人になるという目標以外の欲が驚くほどない。だから今この手を離してしまったならば、なんの未練もなくその感情をなくしてしまうに違いない。そう考えたら、なぜか手放したくないと思ってしまった。触れてくる手を振り払うことなど出来なかった。

頭を包むように触れられる感覚に、惣次郎はびっくりしたように目を開ける。
「こんな真似、百年早いんだよ」

そういうと歳三は微かに笑みを浮かべて自分から唇を寄せた。硬く閉じてしまっている惣次郎の唇に、優しく触れるように軽い口づけを繰り返す。暫くして苦しさから空気を求めて開いた口元を舌で誘うように触れた。
作品名:こわいものなど 作家名:みお