包帯と致命傷
僕らの住む紋章の世界は、魔物というものが存在しない。なんでもそれは珍しいことらしく、ここに来たときはよく驚かれたものだ。僕らにすればそれが当たり前のことであるのだが。
そして僕らはそれぞれ大陸全土を巻き込むような大きな戦争を経験している。沢山の人と人が剣をぶつける姿を見てきた。僕は軍の将として、沢山の人を殺すことをこの手で命令し、今自分が使っているこの剣でも、沢山の人を斬り殺した。
そして多少の違いはあれどダークの言っていた事、あれが、僕らが殺した者が、殺された僕らの仲間が、息絶えるその瞬間。
普通ならば絶対にわからない、誰かが死ぬ瞬間の感覚。
「前にリンクも、ダークが一度死んで生き返った魔物だとは言っていましたし……そういうことを知ってるのも、当たり前のことでしたね」
「彼は、僕らが知っていることを知らないのに、僕らが絶対に知れないことを知っているんだろう」
「……でも、自分を殺した人間にしか心を開かないというのも、中々妙な話ではありますよね」
「良くも悪くも、彼にとってはリンクしかいないんだろう。衣食住とかそういうものもあるんだろうけれど、精神的な意味でも多分、彼はリンクが必要だと思うよ」
「存外、リンク無しでも生きていけそうな雰囲気なんですがね」
テーブルの隅に置きっぱなしだった書類を手にとって、呆れたように言うロイに、それはどうだろうね、と僕は困ったように笑って見せて、
「確かに寂しがらなさそうだしね。でも寂しいとか、寂しくないとか、そんな問題じゃない。しっかり自我が出来るまで、誰かが居てあげなければならない。それがリンクの役目じゃないかな」
「なんだか、捨て猫ならぬ捨て魔物を拾った感じですよね。しかも自分と同じ顔の」
そうだね、と笑って返して、時計を見る。そろそろ時間だろう。僕は席を立ち、ロイにダークを頼むよ、と言って部屋を出る。
部屋を出る直前に、一度ベッドに目をやった。そこではダークが規則正しい小さな寝息を立てていた。
「ダーク、起きて」
ぼくは、マルスのベッドですやすやと眠っているダークの体を優しく揺すって、起こそうとする。
ステージから出てすぐの所にマルスが立っていて、そこから、ダークが怪我をしていて、その怪我の手当てをマルスがしたということを伝えられた。勿論、血をぽたぽた垂らしながら薬草を探していたことも、ちゃんと教えられた。
次も同じようなことをされると色んな意味で非常に困るから、今度時間があれば、マルスと一緒にちゃんとした応急処置の仕方を一からダークに教え込もうと思う。それにはマルスも快く同意してくれた。それと、怪我をしたらすぐに医務室へ行けとしっかり教え込んでおかないとだ。
しばらく体を揺すり続けた後、ダークが気だるそうに目を覚ました。何度か瞬きをしてぼくと目が合うと、
「なんで、お前が居るんだ」
「マルスに教えてもらったよ。怪我をしたって。……手を見せて」
そう言って、ダークの右手を取る。親指以外の指にぐるぐると綺麗に包帯が巻かれていて、包帯に血もついていない。ぼくの後ろからマルスが、
「血は止まってるよ。切り傷だしすぐに塞がると思う。けど、深い傷だからふとしたことでまた傷が開いてしまうかもしれないから、気をつけてあげてね」
「わかった。ダーク、立ちくらみはもうしない?」
ぼくの問いにダークはこくこくと頷いてくれた。なら、大丈夫だろうと怪我をしていない左手を取って、ダークを立たせる。
「ありがとう。マルス、ロイ」
「ううん、たいしたことではないよ。ダーク、今度怪我をして医務室に誰もいないなら、僕のところにおいで」
それを聞いたダークが眉を八の字にして、なんだか複雑な表情をしている。困っているというか、なんだか嫌そうというか……。ダークがマルスに向けて、口を開いて、
「おれ、お前のことがなんだか気に食わない」
と言った。ぼくもマルスもロイもすっかり呆気に取られてしまい、ダークが続けて、
「なんだかお前、いやだ。ずっと笑ってばかりで」
「なっ……お前っ!」
それに対して怒ったのはマルスではなくロイだった。流石に掴み掛かりはしなかったものの、地団駄を踏んで怒っている。しかし何も知らないということを一応話してあるので(勿論それで許してもらえるとも思っていないけれど)、どうにか抑えてくれるだろうか。
とうのマルスは嫌われてしまったな、と困ったように笑っていたのだが、今はロイを宥めている。
「ダーク……人が嫌がるようなことを言っちゃいけないって、言ったろ?」
「マルスは、嫌がってない」
ロイを宥めつつ、くすくすと相変わらず困ったように笑っているマルスが、
「まぁ、僕が嫌がってないのは確かだ。でも普通の人は嫌がる。ロイのようにね。だから、そういうことは……少なくとも本人の前では言わないほうがいい」
「とにかく、二人に謝るんだ。ダーク」
この言葉が嫌がるものだとはわかってもらえたのだが、どうしてマルスでなくロイが怒ってしまったのかはあんまりよくわからないらしく、ダークはちょっとだけ不服そうな顔をしていたが、頭を下げて二人にすまない、と謝ってくれた。
ロイもどうにか抑えてくれて、不機嫌そうな顔をしては居るものの謝罪を受け入れてくれた。
「……別にいいよ。さぁ、もう戻ったほうがいい」
「マルス、ごめんね」
「大丈夫だよリンク。別に気にしてなんかいないから」
とはいっても、あの笑ったままの顔ではもしかしたら内面ではすごく怒っているんじゃないかとすごく不安になってしまう。マルスはそんなことも察してくれたのか、そんなことはないよ、と言ってくれた。
二人に見送られながら、部屋の外に出る。扉を閉めてからしばらくして、どすん。という音が部屋の中から聞こえた。
多分二人のうちどちらかが、壁を殴る音だろう。ロイ……だとは思うけれど、もしかしたらマルスかもしれない。やっぱり、すごく怒っていたのかも。
壁を殴ったのがロイであることを祈りながら、ぼく達は部屋に向かった。