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奇跡みたいだ、なんて

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ハーモニカが鳴っていた。ぼんやりと空を見上げながら、流れる独特の音色を耳で追う。音が途切れる。かりかり、鉛筆が擦れる音がする。また音が鳴る。途切れる。消しゴムが擦れる音がする。また音が鳴る。それの繰り返しだった。
帝人と背中合わせに屋上の少し錆びたベンチに座る亮は、そのただひたすらに同じようなことを繰り返す作業に黙々と没頭していた。ここに―――亮がいつもいる屋上に帝人がやってきて、いくつか言葉を交わしてから、ずっとだ。

―――お、竜ヶ峰。今日も来たんだ?
―――うん、お邪魔します。
―――いや別に、ここオレだけの場所じゃねえし。てか、紀田は?
―――風紀委員の集まりだって。待っててくれって頼まれたから
―――ふうん。
―――あ、今日もやってた?ごめんね邪魔しちゃって。続けていいよ
―――いや、だから別に邪魔とかじゃねえって。

そんな会話。僅か数分の会話。それからずっと、亮は趣味であるハーモニカでの作曲に夢中になってしまっている。
けれど帝人は、数ヶ月前に知り合った、今ではすっかり友人の一人である亮が、時間を忘れて夢中になれるような趣味を持っていることが、純粋に凄いと思っていた。帝人は音楽というものに疎く、歌うことぐらいしかまともにできなかったから、尚更だった。
空から視線を下げ、ちらりと後ろを見やる。ベンチの上で胡坐を掻いて、背を丸めて、長い前髪と横髪をまとめて右の耳に掛けて、いつもと全く変わらない格好で、亮はハーモニカを吹いている。くすりと笑って、帝人はまた空を見上げた。


「―――あのさ、」

ふいにぽつりと、亮が言った。

「何?」

ハーモニカの音は途絶えていた。背後から聞こえた声に、帝人はケータイをいじる指を止めて返事をした。

「竜ヶ峰と紀田って、どんな関係?」
「……へ?」

思わず、間抜けな声を出した。さああ、と爽やかな風が屋上を横切っていった。

「どんな、って?」
「あー……いや、えーと、お前ら馬鹿みたいに仲いいじゃん?」
「えー…?ただの幼馴染、だけど?」
「………ふうん」

どんな関係、と聞かれても、そうとしか帝人には答えられなかった。第一知り合ってすぐの頃にも同じことを聞かれたのだ。今ここには居ない幼馴染の正臣を通じて知り合ったのだから、当然だっただろう。

流れ始めた沈黙。亮はハーモニカを吹くのを止めてしまったようだった。帝人もなんとなく指を動かせないまま、ケータイの画面右上の電池マークじっと見つめる。あ、いつの間にかあと目盛一つしかない。

『♪ ♪♪』
「わっ、」

唐突に、帝人のケータイが電子音を鳴らした。購入したときからケータイにメモリされていただろう、簡素なメロディ。この少年らしいと、亮は少し笑う。
『メールを受信しました』
表示を見てピ、とボタンを押すと表示されたのは『正臣』の文字。件名は無題。
『今委員会終わった。屋上?』
要点だけの簡素なメール。いくつか言葉が省略されているが、帝人の居場所を尋ねる文面だとすぐにわかる。帝人は『そうだよ』とだけ打って送信ボタンを押した。

「紀田から?」
「うん。委員会終わったって」
「迎えにいく、って?」
「迎えって……でも今どこ?って聞いてきたから、来ると思うよ」
「………」
「…滝口君?」

急に黙り込んだ亮に、帝人は首を傾げた。

「―――竜ヶ峰、あのさ」

ぽつりと呼ばれた名前に、帝人はさっきと同じように「何?」と返事をする。

「あー……ちょっと待って、」

言うやいなや、背後でごそごそと亮が動いた。ベンチを乗り越えて、帝人の前に立つ。ハーモニカと五線譜と鉛筆と消しゴムはベンチの上に置いたままだった。亮の髪が、風にゆらゆらと揺れる。

「……滝口、君?」

帝人は、亮の視線に射抜かれるような錯覚を覚えた。
穏やかで優しげなコーヒー色の瞳、いつもと変わらないはずのそこに、いつもとは違うものが、今まで露わにされていなかったものが、秘められているように感じた。帝人は、視線をそこから動かせなくなった。

「オレさ、竜ヶ峰のこと」

未だ紡がれない、けれど今まさに紡がれようとしている、目の前の友人が抱くそれを、帝人は全身で感じ取る。喉が、干からびてしまったみたいだった。それとは反対に、手のひらや背中はうっすらと汗を掻く。中途半端に曲げたままの指先は、ぴくりとも動かせなかった。

「好―――」

亮が言いかけたその時だった。ガチャ、キイイ、と金属が擦れて軋むやや耳障りな音と共にドアが開かれ、能天気な声が屋上に流れる。

「みっかどー、お待たせー…ってあれ、滝口じゃん」
「…ま、正臣……」

帝人は掠れた声で、やっと喉を震わせる。まだ喉は渇いていて、唾液をごくんと飲み込んだ。

「おー紀田。おっす」

亮のいつもと変わらない声を聴いて、帝人は自分がいつの間にか視線を亮の瞳から外していたことに気が付いた。今帝人の視線の先にいるのは、正臣だった。
色素の薄い瞳が帝人の姿を捉え、そして一瞬、違う色を滲ませる。それに気付いた帝人は、今度は正臣の瞳から視線を逸らせなくなった。

「―――帝人、帰るぞ」

普段よりもいくらか落ち着いた、低い、そして微かに冷たさと鋭さを含む声。近づく上履きの音、右手首を強く掴まれて思わず眉根を寄せる。

「え、正臣?ちょっと痛いってば、正臣!?」

帝人の腕を強く引いて立たせ、何も言わず早足で歩き出す正臣の背中に訴えるけれど、歩くスピードを緩めてはくれない。
何も言わずにじっとこちらを見つめる亮に、帝人は慌てて首を捻った。

「ご、ごめんね滝口君!また明日!」

言い終わるか終わらないか、ドアの向こうに帝人の頭が引っ込む。残された亮は一人、かりかりと頭を掻いて呟いた。

「……さすがに自覚はしてたんだ。紀田の奴」

それは、手を引かれ廊下を歩く帝人には届かない。
亮の瞳が切なげに細められた。そのまま閉じて、再び呟かれる。

「……頑張れよ、紀田」

その声は風に攫われて、少しオレンジを滲ませる空に溶けていく。
亮は再びベンチに腰を下ろして、ハーモニカを吹き始めた。
作品名:奇跡みたいだ、なんて 作家名:イチカ