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奇跡みたいだ、なんて

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「正臣、」

何を言えばいいのか、何をしたらいいのかなんてわからない。戸惑っているのは、わからずにいるのは、帝人も同じだった。
けれど、正臣のあんな、見たことの無い、悲しそうな、辛そうな表情を見て、帝人の心臓はまるで締め付けられるように痛んでいた。見たくなかった。そんな表情、しないで欲しかった。帝人の瞳に、じわりと涙が滲む。

「………、」

ゆるゆる、正臣の視線が持ち上がる。さっきと変わらない、泣き出しそうに揺れる瞳。そこに、帝人の顔が映り込む。

「―――、」

正臣は僅かに、一瞬だけ、その目を見開いた。帝人の瞳を見て。
そしてそこに映った、自分を見て。

「―――は、」

乾いた、自嘲めいた笑い声が零れる。また俯いて、表情を隠す。

「なんでさ……抵抗とかしねえの、帝人」

ばかじゃねえの。今俺がお前に何したかわかってる?

その声は掠れ、痛々しい。ひび割れ、ぼろぼろになったその声で、帝人を傷付けるだろう言葉を吐き出す。けれど。
本当に、傷を受けているのは。声にも出来ずに、悲鳴を上げているのは。

「なんで………、」

するりと、正臣が帝人の手から逃れる。コツ、と、正臣の額が、帝人の肩に当たる。

「………正臣?」
「俺はさ、帝人」

さっきと同じ言葉。言いかけていた言葉。帝人は口を噤んで、正臣の声に耳を傾ける。

「お前の隣にいるのはこの先もずっと俺なんだって、思い込んでた」

聞いたことのない声。身体が、小さく震えている。泣いて、いるのだろうか。

「でもそんなの違うんだって、選ぶのは帝人で俺じゃないんだって、今更みたいに気付いたんだ」

帝人は、言葉を失う。

「帝人が誰を選んでも、俺はそれに何も言えないんだって。どうこうする権利なんてないんだって」

一つ一つ露わにされていく親友の想い、おそらくずっと抱えていただろう想い。
自分は、全く気付いていなかった。気付こうともしていなかった。

「好きなんだ、帝人」

泣きそうだった。
視界が滲む。目頭がつんとする。耳の奥が詰まったみたいな感覚。

自分の肩に顔を埋めて、震えて縋り、自分を欲しがる正臣が、―――愛しくて、たまらなかった。
いつの間にか自由にされていた両手を持ち上げて、震える背中に回す。また正臣がぴくりと動いて、けれどそれを気にせずにブレザーの布地を、今度はきゅっと強く掴んだ。

「……うん、」

未だに、ちゃんとした、はっきりとした答えは出ていなくて。だから、何を言ったらいいのかもわからなくて。
けれど、失いたくないと、思ったから。大切だと、今までに一度もそう意識したことなんてなかった、なのに今、あまりにも自然に、当然のように、
愛しいと、思うから。

「思い込みなんかじゃないよ、」

隣にいて欲しい、隣にいたい。自分だけの隣にいて、自分だけが隣にいたい。
独占欲、それを露わにされて、自分もそうだと思ったから。
自分が正臣と、全く同じことを望んで、願っているのだと、知ったから。

自分と正臣は同じなのだと、わかったから。

「僕は、正臣がいいよ」

それが、ただひたすら、嬉しかったから。

「帝、人」

ゆっくりと上げられた顔は、ぐちゃぐちゃで酷かった。けれどそれすらも、どうしようもなく愛しい。
帝人はうっすらと赤く染まり濡れた瞳を見つめる。そこに自分が映るのが、たまらなく嬉しい。

「正臣が、好きだよ」

いつもとは違う、切なげに歪んだ表情も、余裕を無くして掠れた声も、全部自分がさせているのだと思うと、心臓が甘く軋んだ。
これが、ただの友情であるはずがない。

「………何、泣いてんだよ」

ただの友情に、あるはずがない。好きで好きで、愛しくて泣けてしまうなんてこと。

「正臣だって、」

自分達は不器用で、臆病で、戸惑ってばかりで。けれど、それさえも愛しかった。

「仕方ないだろ」

眉を下げて、目を少し細めてふにゃりと笑う。また溢れる愛しさ。たまらず笑みが滲む。

「……ずっと、好きだったんだ」

強く、けれど優しく抱き締められる。耳元で流れる声が、甘やかに鼓膜を叩く。

「ありがとう、帝人」

俺を選んでくれて。俺を好きになってくれて。
そう言った正臣は、また少し泣いているらしかった。

「………ううん、好きになってくれて、ありがとう」

帝人もそう言って、正臣の身体を抱き締め返す。伝わる体温も、鼓動も、全てが心地良かった。
窓の外はすっかり夕暮れで、床の端にはオレンジが差し込んでいた。そんな世界で、まるでふたりきりになってしまったような錯覚を覚える。それでもいい、そう思った。

「帝人、」

名前を優しく呼ばれて顔を上げる。
まだ少し涙を滲ませたまま微笑む正臣の右手がするりと、帝人の頬を滑る。帝人はゆっくりと目を閉じた。

触れたそこから、じわりじわりと、身体中に広がっていく。満たされていく。

「………なんかさ、」

離れた唇、目を開けた先で、頬を染めて、照れくさそうに、幸せそうに正臣が言う。

「……それクサいよ、正臣」

それを聞いて、同じように、頬を染めて照れくさそうに幸せそうに帝人も言って、そのあとふたりで笑った。


さあいつもよりずっとゆっくり、坂を下って歩道橋を渡って川に沈んでいく夕陽を見てそれから公園の前を通って、肩を並べて、手を触れさせて思わず離して、それからどこかぎこちなくゆっくりと繋いで、頬を朱く染めて、それを隠そうと必死になりながら、

ふたりで一緒に、帰ろうか。

奇跡みたいだ、なんて
(僕も同じこと思った、なんてことは)(絶対に秘密)
作品名:奇跡みたいだ、なんて 作家名:イチカ