酷夏
***
「竜ヶ峰帝人、ね」
仰々しい響きを奏でるそれが少年の名前だった。
折原臨也は情報屋だ。
築き上げた情報網を使えば大体のことは調べられる。
だが少年の名を知ったのは偶然だ。少年の事を調べようとした矢先、通りで耳にした。どうやら野次馬の中に竜ヶ峰少年の知り合いがいたらしく、臨也が新羅と別れた後、外では既に噂になっていた。
勿論噂だけを鵜呑みにするわけにはいかないので裏は取ってある。
臨也は集まった報告書を、竜ヶ峰帝人の人生を眺めていた。
帝人の齢は今年で16。身内は両親のみでお世辞にも裕福とは言えないごく普通の家庭だ。東京には15の時、就職の為に友人を頼って出てきたらしい。
勤め先は染物の問屋。頭の回転が早く真面目な帝人は主人夫妻にも可愛がられていた。
交友関係は狭いものの付き合いは深いという型のようだ。
上京当初は慣れない生活の為がオドオドとしていたが、友人のおかげか徐々に戦々恐々とした態度は改善された。今は仕事にも慣れ夏の繁忙期で忙しい毎日を送っている……はずだった。
ここまで読むと竜ヶ峰帝人の人生には大きな問題は無いように見える。
しかしあくまでこれらは早急に手配したものだ。詳細についてはまだ日数がかかる。
調査の内におそらく彼の死は不幸な事故として処理されるのだろう。
だが臨也は啓示の受けたように確信していた。
多くの人間を観察してきた自分だからこそ分かる。
帝人は事故で死んだのではない。
あの安らかな黒い眼が雄弁に語っていた。
「……君は何を手に入れたのかな?」
ペラペラと報告書をぶら下げ溜め息を吐いた後、臨也は紙を丸めて背後へ投げた。
少年の簡略化された人生は緩い弧をなぞり片隅のごみ箱へ消えた。
ただ少年の最後の表情だけは、未だ消えてはくれなかった。
***
次の日の朝、臨也は隣街の通りを歩いていた。昨日とは違い今日は仕事の一環だ。
愛を叫ぶ蝉は相変わらず五月蝿いしどこまでも濃い青空が少しだけ疎ましい。早く自分のテリトリーに戻りたかった。
からんころんと下駄をならし指示された取引場所へ向かう。
半時ほど歩いた頃、ざわつく人だかりに遭遇した。
鉄筋が乱雑に道路を塞いでいて辺りは血の臭いが立ち込めていた。
人が下敷きに!と切羽詰まった叫びが響いた。
何人かの体格の良い男達が鉄筋に手を掛ける。
凶器の下には頭から血を流す人間がいた。
素人目でも彼が助からない事がわかるくらいに酷い有り様だった。
多くの観衆が目を反らすなか、臨也はそれを見ていた。見ていたというよりは睨んでいた。
まるで視線が凍ってしまったように目が離せなかった。
血の池に沈む手に握られた薄汚れた御守り。赤く染まる前は別の色であったろうその色を臨也は知っている。
そして被害者の顔を視界にいれるやいなや苛立たしげに凄惨な事故現場を離れた。
臨也はらしくない荒々しい調子で歩を進め、軋むくらい奥歯を噛み締めた。
眉目秀麗とうたわれた美貌を鬼のようにいからせ忌々しげに吐き捨てる。
「……やっぱり切っておくんだったなぁ」
裏路地を抜けるとまた大通りに出た。普段と同じ様にごった返していて目立つ臨也でさえ覆い隠してしまう。
かつんかつんと鳴く下駄の音だけがいつまでも通りにこだましていた。
一定間隔で植えられた街路樹の脇には役目を終えた蝉が仰向けのまま力尽きていた。
例年と変わらない暑い夏だった。