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おうごんいろのゆめ

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目の前が一瞬だけ明るくなる。すぐに闇に閉ざされる視界。セーシェルは驚いてまばたきをしようとするが、自分の思うようにまぶたが動かない。動かない、というよりは、自分の眼球の上にまぶたが存在しない、という感じだ。
 自分は今までどこでなにをしていたのだっけ。記憶がすこんと抜け落ちている。様子をうかがっているうちに、ゆるりと視界が明るくなっていく。セーシェルは息をのむ。そこには彼女が見たことのない世界が広がっていた。自分の背ほどもある枯れかけた草が揺れている。ちぎれた草切れが風に舞う。見渡せばずっと先までジャングルのような草原が広がっているのだろう。大海原の果てに海と空の境界線が混じりあう水平線ならよく知っているが、地平線というものは初めてだ。
 空を見上げる。シロップで煮詰めたどろどろのりんごみたいな夕陽が沈もうとしている。こんなに存在感のある太陽は、セーシェルの海に落ちるそれとは種類が違う。濃厚な光を浴びて、草切れも、木立も、なにもかもが黄金色に輝いている。
 糸で引かれるように手のひらを目の前に差し出す。小さな小さな、やわらかそうな手のひらだった。これはセーシェルの手じゃない。幼い子どもを座った膝に乗せて、上から子どもの手のひらを見つめているような感じだ。
 セーシェルはおかしな感覚に気づく。目が見えるけれど眼球を動かせない。草を触っているのにその手触りが分からない。草原を渡る風のささやかな音が、うるさいくらいによく聞こえる。草の枯れたにおいがよく分かる。
 セーシェルはここにいるのに、セーシェルの意志とは無関係に身体が動く。
 足が勝手に走り出す。小さな手のひらが草をかき分け、視界が後ろに流れていく。身体が軽い。ぽんぽんとよくはずむ。風の躍動を感じるのに足を動かしている感覚は稀薄。誰かが運転する自転車の荷台にでも乗せられているようだ。
 やがて視界は開ける。木立に囲まれるようにして、小さな池がある。たたえる水は澄み渡り、底に沈む小石の1個1個までが見える。セーシェルはひょいと池をのぞき込み、また目をみはった。水面に映るのは長い黒髪を赤いリボンで結わえた、褐色の肌の少女ではない。ふくふくとした肌は白くやわらかで、短い髪はとろけそうな金色をまとっている。それは白い布地を身に着けた幼い男の子だった。
 セーシェルは気づく。自分は、セーシェルという人格は今、この子どもの身体の中にいるのだと。だが完全に中身がすり替わったわけでもない。この子の身体をコントロールする主導権はセーシェルにはない。
 小さな手が水面に伸びて水をすくい取る。こくりこくりと飲むと、冷たい水がのどを滑り落ちていった。おいしい。池の水をそのまま飲むなど《現代》では考えられないはずだが、不思議と抵抗感はなかった。もう一口水を飲んで、セーシェルはあらためて水面を見つめる。この身体の主の意識は今、水の中を泳ぐ魚に気を取られている。くりくりと動く大きな目、ぴょこんと飛び出した1房の髪。セーシェルにはこの顔に見覚えがある。
 幼い頃のアメリカだ。テキサスは無いし面立ちもセーシェルが知る青年の彼とは少し変わっているけれど、まごうことなきあのアメリカだ。ここはまだ開拓が始まったばかりの新大陸、のちのアメリカ合衆国が築かれる場所なのだろう。
 幼いアメリカは顔を上げる。伸び上がって、太陽を背に、ある一点を見つめている。セーシェルも目をこらして同じ方向を見つめてみるのだが、この子どもが何を見ているかは分からない。野生の狼が鋭い鼻先を立てて気配を探っているように、飛び出た髪が風にゆれる。
 アメリカはまた、てててと走り出す。茂みをかき分け駆け抜ける道なき道の向こうに、人影が見えた。その影が見上げるほどに大きいのは、幼いアメリカがあまりに小さいからだ。セーシェルには分かる、その人影は普通のヒトではない、同胞が近くにいる時の感覚だ。途端に、セーシェルの心がふわりと喜びに満ちる。セーシェル自身が喜んでいるのではない。この身体の主、アメリカの感情にセーシェルも感化されているのだろう。あふれんばかりに沸き上がった嬉しいという感情が、身体の細胞ひとつひとつにまで伝播していく。
 どこか舌っ足らずな声が、呼ぶ。「イギリス!」
 それはゆっくりと振り返る。装飾の多いレトロな上着に、ごついブーツ。白いタイが風にひるがえる。ざくざくと切りそろえられたアッシュブロンドが風に流れる。古い時代の格好で身を固めたイギリスだった。彼は駆けてくるアメリカに気づいて相好を崩す。外見だけはセーシェルが知る彼と寸分違わぬ、ずうっと昔のイギリスだ。
「元気だったか、アメリカ?」
「イギリスーッ!」
 アメリカが転びそうになりながらも懸命に走るものだから、不安定に上下する視界にセーシェルは気持ちが悪くなる。乗り物酔いか。
「そんなに走るな、転ぶぞ!」
「へいきー!」
 あわてて伸ばしてくるイギリスの腕につかまる。ボールのように跳びはねながら、子どもはイギリスの脚に抱きついた。おっと、とイギリスは危なげなくアメリカを受け止め、抱き上げる。
 あどけなく笑い声を上げるアメリカに、イギリスも苦笑する。仕方ねえなぁ、そんな声が聞こえそうな笑い顔。《アメリカの中》からイギリスを見上げながら、セーシェルは声にならない声でつぶやく。あんた、誰だ。
 イギリスといえば、傲慢で、ふてぶてしく、支配者然として鎮座まします姿が強くセーシェルの印象に残っている。出会った時の彼は多くの国々を従える連邦の盟主だった。苦笑だとか微笑みだとかを、下々の者の前に晒すわけがない。笑顔といえば皮肉っぽい笑みが関の山だ。
 アメリカと同じようにセーシェルが飛びついていけば、彼もまた同じように笑って受け止めてくれるだろうか。否。そもそも、イギリスに抱きつくなどという事態がまず訪れようはずがないので、仮定からして成り立たない。
 発展途上の国、イギリスの弟。大きな可能性を秘めた愛らしい子ども。きっと幼いアメリカだからこそ。
「イギリス、今度はいつまでここにいられるの?」
「何日か、長くて一週間くらいかな」
「そっか!えへへ、うれしいな。今夜はいっしょだね」
「そうだな」
 歳の離れた弟がかわいくてかわいくて、かまいたくて仕方がない、まるで本当の兄のようなイギリスの声。アメリカもまた、よく笑って、よくしゃべって、イギリスから離れようとはしない。現代のアメリカを知っていればこそ禁じ得ない驚愕だ。この頃のアメリカは、本当にイギリスを慕っていたのだと分かる。
 鈴を転がすような声でイギリスの名を呼ぶ。彼は「ん?」と腕の中の子どもに顔を向ける。金のまつげの1本1本が見えるほどの間近で、セーシェルはイギリスの顔を見つめる。微笑んでいる。翡翠の目をやわらかく細めて。背負った夕陽に金の髪かとろけそうに輝いている。ほしいままに与えられる愛情。
 こんなイギリスを、セーシェルは知らない。彼と出会った時のセーシェルはイギリスに敵愾心すら持っていたから、なおさらだ。なにしろ育ての親のようなフランスから自分を引き離した張本人なのだから。対するイギリスもまた、無数の属国のひとつとしてしかセーシェルを扱っていなかった。
作品名:おうごんいろのゆめ 作家名:美緒