おうごんいろのゆめ
以前から、良くも悪くも《重い》ひとだとは思っていた。イギリスの執着心は重すぎる。ふたりの関係を示すものが恋人に変わってからも、彼は人づきあいに関して不器用すぎる。そんな彼の、無辜の慈愛に満ちたこの顔は幼いアメリカのためものであって、セーシェルに向けられることはない。アメリカが独立してしまってからのイギリスは、愛情を自分の深いところに仕舞い込んでしまったのだろう。ひょっとしたら、シーランドならほんの少しだけ、このイギリスのとっておきの愛情に触れているかもしれない。
セーシェルが伸ばす手に、意志がアメリカと同調する。小さな手のひらにイギリスの頬が触れる。その感触が感じ取れない。触れられて、彼はうれしそうに笑っている。
気だるい感傷が染み渡っていく。きゅうっとセーシェルの胸が締めつけられる。
そんなにやさしい顔をして、笑わないで。
*
ぱちり、目を開ける。目をこすってまばたきをしているうちに目が慣れてきた。
見慣れない家具が並んでいる、薄暗い部屋だった。セーシェルは背の低いカウチに横になっていたらしく、身を起こすと、身体から薄手のブランケットが滑り落ちた。
キイ、ときしんだ音を立てて扉が開く。
「やあ、起きたんだね」
声とともに、室内灯が点けられる。ぼんやりと照らし出された部屋に入ってきたのは、湯気の立つマグカップをふたつ持ったアメリカだった。
「あ……アメリカさん」
「よく寝てたからね。君、夜食はいるかい?」
言われてセーシェルは自分のお腹に手を当てる。「……いらない」
「じゃあ、これは?」と差し出されたのは、アメリカの家の飲み物、ホット・アップル・サイダーだ。甘いにおいに鼻をくすぐられて、セーシェルは顔をほころばせた。
「これは、いる」
ありがたく受け取ると、アメリカもセーシェルの隣に座って、熱い飲み物をすすった。やっと、目が覚めた。記憶がつながる。セーシェルはアメリカの家にお邪魔していたのだったと。
「あの、アメリカさん……ごめんなさい、私、いつの間にか寝ちゃってたんですね」
「ん?ああ、気にすることはないぞ!会議ってのは疲れるものだからね」
今回のホストだったはずのアメリカは疲れた様子も見せず、笑って「だから気にしなくてもいいよ」と言ってくれた。
いいひとだ。たまに世界規模で問題を起こしてくれるようなひとでもあるけれど。
さほど親しいわけでもないアメリカの家にセーシェルがいるのは、ほんの些細なきっかけからだった。アメリカ合衆国で行われた世界会議の全日程が本日ようやく終了し、もう1泊してから、セーシェルは大陸を発つ予定だったはずだった。
だが、会議の間じゅう連泊していたホテルでは、セーシェルは今日じゅうにチェックアウトするという予約になっているという。予約段階での手違いだ。しかも他に空き部屋が無いらしい。
別の宿を探すかと困っているところに通りかかったのが、この自称ヒーローだった。ヒーローは困り切った乙女に救いの手を差し伸べてくれた。いわく、「じゃあ、うちにくればいいじゃないか!」
お言葉に甘え、セーシェルはアメリカの自宅に招かれた。仕事を終えたプライベートの場では、歳の近いティーンエイジャー同士だ。ハンバーガーを頬張りながら、ふたりは他愛ないおしゃべりを楽しんだ。
熱いサイダーをふうふうと吹き冷ましながら、セーシェルはため息をつく。
「変な夢、見ちゃったんですよね」
「へえ、悪い夢?」
「いえ、昔のイギリスさんの夢」
ふーん、とうなって、空色の瞳がふとセーシェルを見遣る。
「イギリスっていえば、ホテルがないなら彼のところに行けばよかったんじゃないのかい?君たち付き合ってるんだろ?」
勢いあまって飲み物をこぼしそうになりながら、セーシェルは声を荒げた。
「ヤですよっ、あんな分からずやのところなんて!」
「あー……喧嘩中かい」
「喧嘩なんてしてません!あっちが勝手に怒ってるだけです!」
「君だって怒ってるみたいじゃないか。まあでも似た者同士だからなぁ、君たちは」
臆することなくハッキリと言ってくれる。とにかく、今は顔を合わせればまたつまらない言い合いをしてしまうから、会いたくなかったのだ。
言葉に詰まるセーシェルに、アメリカはあははと笑って「君を追い出したりしないから安心しなよ」とセーシェルの肩をたたいた。
「君とは個人的に、話をしてみたかったしね」
「え?」
「あのイギリスと付き合える女の子なんて、貴重だと思ってたんだ」
「あのイギリスさんですもんねぇ」
セーシェル自身もたまに思う。どうしてこうなったのやら。
アメリカとセーシェルの唯一とも言える直接的な接点は、イギリスという存在である。片や世界一の大国、片やインド洋の最後の楽園、独立した後に辿る道は違うけれど、同じ宗主国を持つ国だった。
だからこそ、ふたりの会話はどうしても、イギリスが俎上にのることになる。特に思い出話で盛り上がった。アメリカとの会話が頭に残っていたせいか、セーシェルの夢に出てきたのは、まだアメリカが幼かった頃のイギリスだった。
「夢の中のイギリスさんね、とってもやさしそうに笑ってたんですよ」
じかに見たことがなくても、アメリカの話を聞いていれば分かる。フランスという証言者もいる。彼がいかに、かわいい弟分に愛情をそそいでいたかを。セーシェルの夢に出てきたイギリスもセーシェルの想像力が生み出した虚構なのだが、きっと大きく外れてはいまい。
気まずそうに照れくさそうに、アメリカは指で頬をかく。
「そんな感じでした?」
「たぶんそんな感じ」
セーシェルがアメリカと話をしていて一番おもしろかったのは、彼と自分の、イギリスの人物像が、ズレなく見事に一致したことだ。昔からイギリスは変わっていないらしい。
「つかず離れずの付き合いができないなら、それでもいいと思うんだよね。いまだにあのひと、俺の誕生日近くになると体調くずしてるんだろ?」
「そうですね」
プライドが高いひとだから、アメリカの誕生日当日までには意地でもコンディションを整えて、なんでもない顔をして、自分で用意した贈り物を持ってアメリカのところにやってくるけれど。
「いいかい、俺が不満なのはね!分かる?」
「ええ、いつまで引きずってんだ根暗野郎!……ですよね、分かります」
「いや……そこまでは言わないけど。まあいつまで気にしてるんだ、とは思うけどね」
セーシェルの万感のこもった声音に口の端で笑って、アメリカは気を取り直すようにサイダーを飲みほす。
「今はセーシェル、君がいるじゃないか。なのに君をほっぽって鬱々と家に閉じこもったり寝込んだりしてるんだろう?」
「いや、ほっぽって、ってほどじゃないですよ。多少おざなりになったりしますかね。それにしても詳しいですね、アメリカさん」
「だって、あのイギリスがらみの情報だからね。俺たち国同士の情報網じゃ、君たちはけっこう有名なんだぞ」
「ははは、そうですか。……私も自分の行動には気をつけないとなぁ」
「あんまり深く立ち入った内容までは流れてないから、安心しなよ」
アメリカは言うが、はたしてどこまで信じられるのか。と、それはさておき。