ジャイアニズム
「皆守って彼女いたことあるの?」
マミーズでの早めの昼食中(つまり四限をサボり中)、カレー定食を流し込みながら、葉佩は素朴な疑問を口にする。
「ないな……そういう面倒ごとはご免でな」
対して、正面の皆守はゆっくりとした速度でスプーンを口に運んでいる。彼がカレーを食しているとき、他のメニューよりも咀嚼が丁寧なのは気のせいではない。時折、高原の澄んだ酸素をとり入れるがごとく、味だけでなく香りも楽しんでいるのがわかる。それでいて冷める前に完食しているのだから、どれだけ計算された食べ方なんだろうか、と葉佩はいつも感心することになる。
「さっき俺の後ろに座ってた子達がさ、皆守のこと話してたよ」
「へえ」
当の話されていた内容には一切興味のなさそうな、気だるい相槌。かっこいい、足長い、と三人もの女子に絶賛されていたことを教えて反応を見よう!という気は一瞬で削がれた。ちっともカレーから外れない視線に、不要な情報だと示される。どうせ、「皆守モテ太郎!」とからかった所で、さっきの返事が返ってくるだけだ。
しばらくはスプーンが皿と擦れる音だけがする。
葉佩はトレジャーハンターとして最近やっと独り立ちした身だが、手早く食事を終わらせる癖はとっくに身についていた。カレーは飲み物とまではいかないが、本来ならあっというまに腹に納めるのだが、それをやると皆守が怒りながらカレーの奥深さを延々語り出すため、一度に掬う分量を少なく調節する。ゆっくりと食べる努力が体にいいとは思えない。逆にストレスになる。
「お前はどうなんだ?」
突然、皆守の声が降ってくる。
「え?」
あと何口で食べればいいか考えながら皿を凝視していた為に、一瞬カレーがしゃべったのかと思った。咄嗟に意味が掴めず訊く。
「何が?」
「いや……付き合ってたやつとかいるのか?」
「あ、ああ」
皆守の質問自体は突飛ではなく、むしろ訊かれたら同じことを訊きかえすは対人関係においてごく普通の、ポピュラーなやり取りといえたが、葉佩は動揺した。自分が訊かれる可能性は考えていなかった。なにしろ、皆守は人の過去や内情に進んで興味を示さない上に、形式上の質問なんてものもしない。特にカレーを食している最中には。
つまりは、本心から気になって訊いているということだ。
「なめてもらっちゃ困るよ皆守。俺は泣く子も黙るトレジャーハンターだよ?ヨーロッパから南米まで、世界の港に現地妻がわんさか……」
「たしか、天香学園が二つ目の正式依頼って言ってなかったか?」
「……ばれたか。いないよ。いたことないよ!彼女とか」
前に行ったエジプトのヘラクレイオン遺跡では、サラーおじいさんの愛情度が怖い程になり貴重な水を無尽蔵に与えてくれるまでに愛されていたが。あれは付き合ってたとは違うよなあと、葉佩は考え込む。
「その割に、思い当たる節がある顔してるな?」
皆守は珍しく深く切り込んできた。人は人、自分は自分。がモットーな彼にしては本気で稀有なことだ。
「別に、俺に隠す必要はないんだぞ。お前が何人と付き合っていようが関係ない」
関係ない。その言葉がちくりと葉佩の胸に刺さる。
「自分から訊いといて、そりゃないんじゃない?」
「…………」
的を得ていたからか、皆守は押し黙った。
「俺だって、皆守が過去に何十人と付き合ってようが、何百人に告られてようが気にしないよ!そんなの、今の皆守には何の関係もないっ。今の、俺と一緒にいる時間には何の影響もない!今の皆守がすべてだ!」
変な方向に話が反れる。頭の中に考えていたときと、口に出してからでは意味が変わってしまうことは、ままあるが。これは変わりすぎだった。関係がないと冷たく言われた意趣返しに、お前が何してても知らないんだからな!という反発の思いであったはずなのに、これでは過去は気にしない。今のお前をまるごと受け入れるのニュアンスだ。
「相変わらず熱い奴だな……あと、何百人に告られてる奴なんかいないと思うぞ」
見慣れたというか、見ない日はない皆守の呆れ顔に、葉佩もまあいいかという気持ちになる。呆れつつ、どこか満足そう――という複雑な表情を、皆守は浮かべることができる。葉佩はその表情が好きだった。その為に、毎度素っ頓狂な愛の言葉を捜してしまうほどに。
変な沈黙が降りてしまい、葉佩は咳払いをした。照れ隠しにカレーをかき込んでみるが、皆守は見咎めなかった。ラッキーだ。
「ああでもさあ、……小さい頃近所に住んでいたお姉さんに、引越しの日に『俺が十八になったら迎えに行く』って約束はしたなあ。彼女も頷いてくれてさあ。涙ながらのお別れになって……大好きだったなあ。うちって放任な上に多忙な両親だったから、その人によく遊んでもらっててね」
ふっと蘇ったおぼろげな光景があったので、それを皆守に告げてみる。昔から女友達は自然にできたが、艶っぽい関係といえばそれくらいしか浮かばない。まったく……青春を宝捜し屋になるための訓練や勉強に捧げてきた自分らしいと、葉佩は苦笑する。ささいで、微笑ましい思い出話を語ったつもりだったが、皆守は険しい顔つきになる。
「お前がいくつの頃だ?」
「え?ええっと……九歳くらいのときかな」
「相手は何歳だ?」
「高校生だったよ。十六とかだったような…」
「ちっ、今は25か。七歳差なんか、よくある話しだしな。……お前は結婚したいくらい本気だったんだな?」
「え……あ、まあ。当時はね!子供なりには真剣だったような、気がするけど……」
九歳の時に考えていたことなんかしっかり覚えている訳がない。詰問、というレベルの皆守剣幕に圧倒されてしまう。昔から引越しばかりしてきて、毎回注目の転校生の立場だったため誰かに質問攻めにされることは珍しくないが、皆守に真顔でされると恐ろしいものがある。
喩えるならば、恐妻に浮気相手の素性を吐かされている心境だった。結婚の経験もないが、そんな鬼気迫るイメージだ。
「……迎えに行くのか?お前、もう十八だろ」
皆守はついにスプーンを置いた。食べる手を休めた!あの皆守がカレーを前にして!ただごとではない雰囲気に、葉佩はくらくらとする。
「だ、だからあ。昔のことだって!今じゃあ顔も曖昧だし……」
「でも、忘れられない女なんだろう?」
「忘れてた!忘れてました!さっきチラッと思い出しただけです!今は皆守甲太郎くん一筋です!」
と、宣誓のポーズをとったら、ようやく皆守の視線から尖った針のようなものが抜け落ちる。ずいぶん長い針だった。
「……お前はそんな冗談ばっかりだな。別に、訊いたのに意味はないっての」
「明確な意図のある感じだったよ!?」
「考えすぎだ、ばか」
皆守の口元が緩む。だってそういう冗談言うと、皆守嬉しそうなんだもん。というのが本音だが、これは指摘しないほうが楽しい。葉佩もやっと息を付けた。まったく、自分が何故こんなにこの男の顔色を伺い、悪く言えば媚びているのかと疑問も覚えるが、感情は理性では動かない。怒らせたくないし、笑わせたいと思うのは理屈じゃない。それに少しだけ、ほんの少しだが。昔のことに関心を寄せられるのは気分がよかった。
「皆守の嫉妬大王」
「なんだそりゃ」
「妬いてばっかりいると、カレー星人に連れて行かれるぞ?」
マミーズでの早めの昼食中(つまり四限をサボり中)、カレー定食を流し込みながら、葉佩は素朴な疑問を口にする。
「ないな……そういう面倒ごとはご免でな」
対して、正面の皆守はゆっくりとした速度でスプーンを口に運んでいる。彼がカレーを食しているとき、他のメニューよりも咀嚼が丁寧なのは気のせいではない。時折、高原の澄んだ酸素をとり入れるがごとく、味だけでなく香りも楽しんでいるのがわかる。それでいて冷める前に完食しているのだから、どれだけ計算された食べ方なんだろうか、と葉佩はいつも感心することになる。
「さっき俺の後ろに座ってた子達がさ、皆守のこと話してたよ」
「へえ」
当の話されていた内容には一切興味のなさそうな、気だるい相槌。かっこいい、足長い、と三人もの女子に絶賛されていたことを教えて反応を見よう!という気は一瞬で削がれた。ちっともカレーから外れない視線に、不要な情報だと示される。どうせ、「皆守モテ太郎!」とからかった所で、さっきの返事が返ってくるだけだ。
しばらくはスプーンが皿と擦れる音だけがする。
葉佩はトレジャーハンターとして最近やっと独り立ちした身だが、手早く食事を終わらせる癖はとっくに身についていた。カレーは飲み物とまではいかないが、本来ならあっというまに腹に納めるのだが、それをやると皆守が怒りながらカレーの奥深さを延々語り出すため、一度に掬う分量を少なく調節する。ゆっくりと食べる努力が体にいいとは思えない。逆にストレスになる。
「お前はどうなんだ?」
突然、皆守の声が降ってくる。
「え?」
あと何口で食べればいいか考えながら皿を凝視していた為に、一瞬カレーがしゃべったのかと思った。咄嗟に意味が掴めず訊く。
「何が?」
「いや……付き合ってたやつとかいるのか?」
「あ、ああ」
皆守の質問自体は突飛ではなく、むしろ訊かれたら同じことを訊きかえすは対人関係においてごく普通の、ポピュラーなやり取りといえたが、葉佩は動揺した。自分が訊かれる可能性は考えていなかった。なにしろ、皆守は人の過去や内情に進んで興味を示さない上に、形式上の質問なんてものもしない。特にカレーを食している最中には。
つまりは、本心から気になって訊いているということだ。
「なめてもらっちゃ困るよ皆守。俺は泣く子も黙るトレジャーハンターだよ?ヨーロッパから南米まで、世界の港に現地妻がわんさか……」
「たしか、天香学園が二つ目の正式依頼って言ってなかったか?」
「……ばれたか。いないよ。いたことないよ!彼女とか」
前に行ったエジプトのヘラクレイオン遺跡では、サラーおじいさんの愛情度が怖い程になり貴重な水を無尽蔵に与えてくれるまでに愛されていたが。あれは付き合ってたとは違うよなあと、葉佩は考え込む。
「その割に、思い当たる節がある顔してるな?」
皆守は珍しく深く切り込んできた。人は人、自分は自分。がモットーな彼にしては本気で稀有なことだ。
「別に、俺に隠す必要はないんだぞ。お前が何人と付き合っていようが関係ない」
関係ない。その言葉がちくりと葉佩の胸に刺さる。
「自分から訊いといて、そりゃないんじゃない?」
「…………」
的を得ていたからか、皆守は押し黙った。
「俺だって、皆守が過去に何十人と付き合ってようが、何百人に告られてようが気にしないよ!そんなの、今の皆守には何の関係もないっ。今の、俺と一緒にいる時間には何の影響もない!今の皆守がすべてだ!」
変な方向に話が反れる。頭の中に考えていたときと、口に出してからでは意味が変わってしまうことは、ままあるが。これは変わりすぎだった。関係がないと冷たく言われた意趣返しに、お前が何してても知らないんだからな!という反発の思いであったはずなのに、これでは過去は気にしない。今のお前をまるごと受け入れるのニュアンスだ。
「相変わらず熱い奴だな……あと、何百人に告られてる奴なんかいないと思うぞ」
見慣れたというか、見ない日はない皆守の呆れ顔に、葉佩もまあいいかという気持ちになる。呆れつつ、どこか満足そう――という複雑な表情を、皆守は浮かべることができる。葉佩はその表情が好きだった。その為に、毎度素っ頓狂な愛の言葉を捜してしまうほどに。
変な沈黙が降りてしまい、葉佩は咳払いをした。照れ隠しにカレーをかき込んでみるが、皆守は見咎めなかった。ラッキーだ。
「ああでもさあ、……小さい頃近所に住んでいたお姉さんに、引越しの日に『俺が十八になったら迎えに行く』って約束はしたなあ。彼女も頷いてくれてさあ。涙ながらのお別れになって……大好きだったなあ。うちって放任な上に多忙な両親だったから、その人によく遊んでもらっててね」
ふっと蘇ったおぼろげな光景があったので、それを皆守に告げてみる。昔から女友達は自然にできたが、艶っぽい関係といえばそれくらいしか浮かばない。まったく……青春を宝捜し屋になるための訓練や勉強に捧げてきた自分らしいと、葉佩は苦笑する。ささいで、微笑ましい思い出話を語ったつもりだったが、皆守は険しい顔つきになる。
「お前がいくつの頃だ?」
「え?ええっと……九歳くらいのときかな」
「相手は何歳だ?」
「高校生だったよ。十六とかだったような…」
「ちっ、今は25か。七歳差なんか、よくある話しだしな。……お前は結婚したいくらい本気だったんだな?」
「え……あ、まあ。当時はね!子供なりには真剣だったような、気がするけど……」
九歳の時に考えていたことなんかしっかり覚えている訳がない。詰問、というレベルの皆守剣幕に圧倒されてしまう。昔から引越しばかりしてきて、毎回注目の転校生の立場だったため誰かに質問攻めにされることは珍しくないが、皆守に真顔でされると恐ろしいものがある。
喩えるならば、恐妻に浮気相手の素性を吐かされている心境だった。結婚の経験もないが、そんな鬼気迫るイメージだ。
「……迎えに行くのか?お前、もう十八だろ」
皆守はついにスプーンを置いた。食べる手を休めた!あの皆守がカレーを前にして!ただごとではない雰囲気に、葉佩はくらくらとする。
「だ、だからあ。昔のことだって!今じゃあ顔も曖昧だし……」
「でも、忘れられない女なんだろう?」
「忘れてた!忘れてました!さっきチラッと思い出しただけです!今は皆守甲太郎くん一筋です!」
と、宣誓のポーズをとったら、ようやく皆守の視線から尖った針のようなものが抜け落ちる。ずいぶん長い針だった。
「……お前はそんな冗談ばっかりだな。別に、訊いたのに意味はないっての」
「明確な意図のある感じだったよ!?」
「考えすぎだ、ばか」
皆守の口元が緩む。だってそういう冗談言うと、皆守嬉しそうなんだもん。というのが本音だが、これは指摘しないほうが楽しい。葉佩もやっと息を付けた。まったく、自分が何故こんなにこの男の顔色を伺い、悪く言えば媚びているのかと疑問も覚えるが、感情は理性では動かない。怒らせたくないし、笑わせたいと思うのは理屈じゃない。それに少しだけ、ほんの少しだが。昔のことに関心を寄せられるのは気分がよかった。
「皆守の嫉妬大王」
「なんだそりゃ」
「妬いてばっかりいると、カレー星人に連れて行かれるぞ?」