七時間戦争
折原臨也にとって、たいくつとはわりと死活問題だった。
だって、折原臨也の恋人が、ろくでもないことを言い出すから。
「甘楽さん、脱衣ポーカーをやりましょう」
今日も今日とて、あついあついと部屋のなかでクーラーもつけずにふたりでごろごろいちゃいちゃしていた結果、ふと立ち上がった恋人が、しばらくシャワールームにこもったかと思ったら、これでもかと厚着をして出て来て、クーラーを稼働させて扇風機を回してからそんなことを言った。
正々堂々と卑怯だった。
「ねえ、自分の格好に疑問を感じない?」
「まあ、夏なのにちょっと厚着ですよね。でも女の子はあんまり体を冷やさないほうがいいので。体こわしちゃいますから」
「ふうんニットキャップかぶってマフラーしてチュニックの下にキャミソール着て上にカーディガン羽織ってアームウォーマーしてタイツの上にレッグウォーマーしてそういうこというの」
ワンブレスで言いきった。
「あ、設定温度下げていいですか?」
けれど恋人は聞いてなかった。
「地球温暖化をなんと心得る!」
「流行りです」
身も蓋もない。さっきまで、ホットパンツにキャミソールなんていう格好でぐだぐだとしていたとは思えない。ついでに、温暖化を理由にクーラーをつけることを拒否し、さんざん暑いので離れて下さいと突き放した人間とは思えない変わり身だった。
折原臨也の恋人は、ときどき、折原臨也に輪をかけて身勝手だった。
「なんで脱衣ポーカー?」
「暑いじゃないですか」
「ふつうに脱げ」
「脱がせたかったら勝てばいいんですよ」
そういう問題ではない。
すでに、折原臨也の恋人は、折原臨也の話を聞かずに自分のペースを崩さない守りの態勢に入っていた。つまり、何を言っても無駄ということ。付き合うか、無視するか、という二択。このまま、恋人のペースにはまりっぱなしなのもおもしろくない。恋人はすでにトランプをきりはじめている。けれど、ポーカーは、どう考えても折原臨也の方が有利だった。そのための厚着だろう。あの程度なら、わりと正当性のあるハンデだ。
伸れば暇つぶしになる。けれど何かしらの弊害の気配を感じる。反れば事態は回避される。結局先延ばしになるだけだけれど。
「わかった、やろう」
勝てばいいのだ、と思う。その思考自体も彼女が提示したゲームの枠から一歩も出ない選択肢なのだけれど、伸ることにした。恋人の提案に無条件でのってしまったのは、きっと、多少の罪悪感もある。
ぱぱぱ、と意外と手際よくカードが配られる。手札をのぞきこむふりをして恋人の様子を窺った。手札をのぞきこんだ彼女の様子は、見事に少しの変化もなかった。ふむ、と頷く。
恋人はおそらくずいぶんと準備をしてこのゲームに臨んでいるのだろう。たしかに、見切り発車で暇つぶしを決行するときもあるが、彼女の性格を考えるかぎり、それすらも本番に向けてのブラフだろう。入念に他人の心理を読んでの見極めと思い切りが彼女の持ち味だった。そこから考えるに、ゲームの流れもシミュレート済みと考えるのが正しい。単純にポーカーだったら折原臨也は負けないだろう。場数が違う。然るに、彼女の最初の行動はゆさぶり、と言ったところか。
「じゃあ、ベットですね。レイズですか?と、いうわけでアームウォーマーを二枚」
「ねえみかどくん、俺、二枚でコールしたらパンツなんだけど」
「わーい」
「わーいじゃねえよ!」
ゲームの序盤でパンツとは、恐ろしいゲームを考えたものだ。自宅だからまあいいか、と折原臨也は比較的、このとき脳みそが働いていなかったと考えるのが正しい。
手札をのぞきこむ。Jのスリーカード。基本的に折原臨也はおそろしく運が強くて引きが良い。恋人の意図を考える。パンツ姿が見たかったとか。馬鹿馬鹿しいけどわりと説得力がある。けれどそんなに単純か。勝つか負けるか考える。賭け金の不平等さにも。つまり、服の代わりに賭けられるものが提示されるのだろう。ならば、勝っておく方が無難だ。準備の段階で負けているのだ。余裕は、ある方が良い。二枚ドロー。
彼女は一枚ドローした。微妙だな、と思う。けれど、セオリーと彼女の性格を考えるなら、この段階で勝つ必要はない。せいぜい、伏線を張ってくるくらいだろう。そう、ある程度年齢を重ねていれば伏線と分かる程度の伏線。未熟なブラフ。その伏線を回収する必要があるのかさえ微妙で微細。けれど気づくと錯綜しており、どこまでが意図でどこまでが偶然かわからなくなるほど、事態が混然とする。挙句、その段階になってえげつなくワイルドカードを投入するのが折原臨也の恋人だった。
レイズですね、ちょっと後ろ向いてて下さい、と折原臨也の恋人は言った。まあ、ゆさぶりだろう。男がどのあたりの衣服にいちばん反応するかはわかりやすいが、それにしても微妙だ。残念ながら、折原臨也はフェティシズムはないし、下着程度でゆさぶりになるか、と言ったら否だ。
ぬるい。一言で言うならそうなる。けれど、そのぬるさが逆に気になる。
あ、もういいです、と声がかかったので折原臨也は振り返る。ぱさり、と置かれたのは毛糸のパンツだった。脱力した。想像の斜め上をいかれた。
「あ、パンツ脱ぎますか?」
おそろいですね、と聞こえた気がした。なんかもう、この子俺の全裸が見たいだけかも、という気がした。なんだかとってもばかばかしいきぶん。
「恥ずかしい秘密でもいいです」
そっちが本命かよ。
見事なゆさぶりだった。
つまるところ、俺の恥ずかしい秘密が聞きたいと、そういうこと?
微妙だ。微妙なのだ、とても。このポーカーは来るべきときに向けてのブラフか、それともその来るべきとき、なのか。
「おすすめはパンツですが」
「それ脱いだら、なんか恥ずかしい秘密がその場で即席で出来ちゃうよね?!」
「脱がしますか?」
「やめて」
「脱がしますよ?」
「やめろ」
にこにこにこにこと折原臨也の恋人は至極ごきげんだった。
「わかった、秘密をひとつ」
「パンツ脱ぐより恥ずかしい秘密をお願いしますね」
「そろそろ黙れ」
なんでこの子は、自分の前だとこんなふうに変態でときどきかわいくないんだろうと自問自答。自業自得、と脳裏で響いた。スルー。
む、と彼女は眉を寄せて首をかしげた。折原臨也がゲームを降りなかったことが不満、という表情。さてこれは素なのか、ポーズなのか。
彼女がコールをかけたので、ショウダウンとなる。折原臨也の手札はJのスリーカード。恋人のものは、3はじまりのストレート、と見せかけて最後の一枚が隠されている。引っ張り出せば、残念ながら、7ではなくてAだった。
「秘密が聞けませんでした。次に期待します」
アームウォーマーと毛糸のパンツが折原臨也のところに移動した。
「ちなみに、着て下さっても構いません」
「着ないからね」
「そうですか」