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篠原こはる
篠原こはる
novelistID. 11939
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こんなつもりじゃなかったんだよ

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※学パロ!同級生だよ!

張り付いたシャツが汗を吸って、更に体感温度が増した気がした。
窓の外を気の早い蝉が鳴いて、夏なんだなと意識の遠いところが認識していた。頭から伝う汗が米神を伝って、輪郭を辿り、顎から落ちたあたりで伺いみた少年の横顔はどこまでも後悔に歪んで今にも泣き出しそうだった。本来、泣くのはこちらじゃないのだろうかと冷静な部分が零していたけれど、少年の横顔を見るとそれすら躊躇われた。うわごとのようにごめん、と繰り返す少年に帝人は力の入らない腕を無理やり伸ばした。うつ伏せの状態から差し出した腕は疲れたけれど、今そうしなければいけないような気がして無理やり伸ばす。触れた瞬間、驚きで彼は身体を一度揺らしたが洩れっぱなしの謝罪の台詞は止まることはなかった。
窓から射す日差しの眩しさに一瞬、瞳を閉ざす。ちかちかと点滅するように瞳の裏で妖しいプリズムが光る。痛む身体を堪えて床に座った。近付いた距離で伸ばした手は彼の米神辺りにまで触れて、じわりと手のひらに汗が滲んだ。不意に夏を思わせて、触れた手はそのまま引くことはできなかった。


***


「竜ヶ峰」

「?――どうしたの、平和島くん」


声を掛けられて、不思議に思った。普段、彼から聞いたこともないような声音で名前を呼ばれて、戸惑いのまま帝人は返事を返した。唇から落ちた名前があまりに、不安定で危なげな音だったからだ。いつもそんな風に呼ばないから、少しの動揺でうまく笑顔を添えられたかどうかまではわからない。
教室には誰もいなかった。帝人と、教室の入り口で声を掛けたまま動こうとしない少年――平和島静雄――以外は誰もいない。だからか、驚きで跳ね上がった心臓の音が教室に響いたように思えて帝人は恥ずかしさで熱くなった。差し込んだ日差しが肌を焼くように暑い。終業式も終わって、これから更に暑さが増す時間帯だ。仕方ないといえば仕方ない。開け放たれた窓からは、遠くの方で部活動に勤しむ生徒たちの元気な声が聞こえてくる。風すらないのでカーテンは日差しを避けるためだけにあるようなものだ。カーテン越しに聞こえる生徒の声に混じって蝉の声も煩かった。けれど、静雄が動いたときに当たった机の擦れる音は帝人の心臓が跳ねた音同様にいやに教室に響くようだ。


「なにか忘れ物?」

「――」

「それか、探し物?……良かったら手伝うよ?」


ゆっくりと座席から立ち上がって、読んでいた本を閉じた。そして、不思議に感じた感覚を追った。
あの平和島静雄が竜ヶ峰帝人という人間に話しかけることは少ない。話し掛けさえすれば応えてくれるが、自ら声を掛けてくるというのは数えるほどだ。実際に数えてはいないが、帝人はクラスメイトである平和島静雄のことをひどく気に掛けていた。それは自分がクラス委員だという役職にあるからとか、とても怒りっぽくて近付いたら殴られて下手をすると殺されるなんていう風に友人たちが噂するからか。帝人にもわからないが、気が付いたら目はいつも彼を追っている。
痛みが激しいんだと嘆く友達と同じように染め抜いた金色の髪の毛だとか。
少し長い前髪から覗く鋭いけれど、硬質で静かな色を宿した瞳だとか。
思いのほか、その長身のわりにひどく姿勢がいい立ち姿だとか。
恐る恐る物に触れて、あとでこっそりと吐息を零す唇だとか。
平和島静雄という人物がかたちどる全てを帝人は視線で追い、確認し、網膜にやきつけるように記憶しようとしている。気が付いたら、瞳は彼の姿を探していることを自分の正面に捕らえて初めて知る。こんなに近くで彼を見たことがないので、暑さのせいでもあるのか頭がぐらついた。


「忘れ物……になんのかな、」

「え?」

「――ごめんな、竜ヶ峰」


ひときわ大きな音を立てて、近くの机が倒れた。そのことを認識するまえに、帝人の視界は静雄の顔と光を受けて眩しく光る金髪でいっぱいになった。同時に感じた背中の痛みと息苦しさに襲われて一瞬思考は彼方へと飛ばされる。何も考え付かない頭なのに、どういうわけか静雄に口付けられているということは理解できて更に焦った。
反射的に開いてしまった口の中に感じたことのない触感が蠢いて、小さく喘ぐ。呼吸を塞がれている感覚と、口の中を触られて心地よい感覚とが混ざり合って打ち付けられたはずの背中が戦慄いた。
情けなく喘ぐだけの帝人が耐えかねて静雄のカッターシャツを掴んだところで、動きが止まった。間抜けすぎるほど間抜けな音が口元から洩れて、開けっ放しの口からは唾液が零れた。きっと自分は今、ひどい顔をしている。自覚があったから顔を反らした。鼻についた匂いは埃っぽい教室の床のものだ。押し倒されたのだとこの時に気付いた。迂闊すぎて笑いそうになったが、乱れた呼吸ではそれはできそうにない。


「、へ……わ、じま、く」

「竜ヶ峰――」

「なん……で、」


顔を見ないように、呼吸を整えるようにゆっくりと話す。回答は得られず、静雄は何度も帝人の名を繰り返すばかりだった。
焦れたように視線を向ければ、なんとも真摯な瞳で見つめられていたことを知る。ただ、浮かんだ表情は苦悶に歪んで一瞬、泣いてしまうのではないだろうかとすら思った。涙など見当たらないのに伸ばそうとした腕は強引に近付いてきた唇によって目的は果たされることはなくなった。
今までキスひとつまともにしたことがない帝人はただただ、その行為に翻弄されるばかりで他事を考える余裕などなくなってしまう。薄く開けてしまった瞳の向こうで、恋われるように求められてしまえばそれも仕方ないかとも思う。
口内で蠢くものの正体を彼の舌と知れたときは身体に衝撃が走った。抗議しようと声を出そうとすれば舌と舌がぶつかって、吸い上げられた。情けない声が喉の奥からせり上がり、吐息とともに彼の口の中に吸い込まれる。息さえ帝人の意思でできない状態で、思考は白く塗りつぶされていた。

(なんで、僕……平和島くんと、教室で、キス、してんの)

ようやくぼんやりと浮かんだ疑問が脳裏をよぎったとき、帝人の腕がそばにあった椅子に当たって大きくはないが音が教室に響いた。
塞がれていた唇が擦れすぎたのか、ひどく熱い。心臓がそこにあるみたいにあつくてあつくて、どうにかなりそうだ。その熱は静雄が響いた音で唐突にやめた口づけの反動なのか、教室に満ちる空気は暑さよりあついように思えた。


「っは、……も、むりだ」

「は、……っ、あ」

「――無理なんだ、ごめんな……」

「、な……に、が」


辺りに満ちた空気の暑さは焼けるように肌を刺す。背中にある床など、冷たさとは無縁の代物になっていた。おかげで帝人も静雄も肌を伝う汗は絶え間なく流れ続けていた。静雄から落ちた汗が幾筋かのうちのひとつが口に落ちた。しょっぱいはずのそれが何故か甘露のように思えてしまい、慌てる。合わない呼吸の狭間に見上げた彼の顔は、相変わらず帝人を魅了するかのようにそこに存在している。ずっとずっと見ていた。
感情の種類はわからないけれど、見ていて魅了されておかしくなってしまっていることぐらい帝人にだってわかった。