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奇跡が起こるなら

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御剣は服についた紙片を払って床に落とした。
「御剣検事、勝訴おめでとうございますッス!」
眉をひそめて声のする方を見ると糸鋸がいた。
「刑事、いい加減私が勝訴した時にハトを飛ばすのは止めたまえ。‥‥紙吹雪も、だ。掃除係が困るだろう。」
御剣のポケットからハトが顔を出す。
「そんなこと言ったらゴドー検事の方がヒドいッス!いつもコーヒーを投げつけてたから法廷はコーヒーでびしょ濡れッス!」
「‥‥そう、だったか。」
糸鋸の反論を適当に聞き流しながら御剣は控え室から廊下へ出た。糸鋸も犬のようにくっついてくる。
「検事、次の公判はどこッスか?自分、傍聴席を‥‥。」
「糸鋸刑事、今日の公判はもうない。時間を見たまえ。」
先程まで御剣が担当していたのが本日最後の公判だった。これから御剣は検事局に戻って明日の公判に備えなくてはならない。この数週間はずっとそれを繰り返していた。
「‥‥‥。」
ふと、御剣は考え込んで足を止めた。必然的に後ろを歩いていた糸鋸が背中にぶつかる。
「どうしたッスか?」
「‥‥‥。」
(何故‥‥だ?)
何故、私はこの日々の繰り返しに物足りなさを感じているのだ?今までずっとそうだったのに何故この数週間に限って―――。
(―――あ。)
御剣はここ最近裁判所で会わない青い友人を思い出した。今までは一週間に一回は会っていたのにそういえばぱったり姿を見せなくなった。‥‥‥悔しいが物足りなさはそのせいだったのかもしれない。と、いうかそれしか考え付かない。
「アイツはどうした?めっきり姿を見せなくなったが。」
「アイツ‥‥成歩堂龍一弁護士ッスか?」
糸鋸に訪ねても分かるはずがない。‥‥そんなことは知っていた。だが‥‥‥。
「よく『アイツ』だけで成歩堂だと分かったな。」
「それは渦中の人ッスから。」
「渦中?」
「あれ、御剣検事聞いてないッスか?噂。」
「噂?」
急に頭痛が御剣を襲った。
(世の中知らなきゃ良かったことばかり、よ。)
いつかの千尋の言葉が蘇る。そう、聞いてしまったら全てが終わってしまうような‥‥そんな感覚。‥‥それでも御剣は聞かずにはいられなかった。
「何の話、だ?」
その瞬間、御剣のポケットからハトが飛び出した。


「おいッ!」
成歩堂法律事務所の明かりがついているのを確認すると同時に御剣は扉を開けて中へと飛び込む。
いつもと変わらない、背中があった。
「成歩‥‥ゲホッ‥‥ゴホッ‥‥。」
全速力で走ってきたために口の中がカラカラに乾いて咳き込んでしまい生理的な涙が出る。振り返った成歩堂はそれを勘違いしたらしい。
「‥‥何、泣いてんだよ。」
そのエリに黄金色に輝くバッジがないのを見ると御剣は本当に泣きたくなった。
「どういうこと、だ。」
そっと表情を盗み見る。その顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。
「聞いたんだろう。ぼくは弁護士バッジを取りあげられたんだよ。」
「‥‥何を言っているんだ。冗談、だろう?‥‥ふざけるなッ!」
信じたく、ない。未だに成歩堂がいつもの笑顔で冗談だ、と言ってくれるのを待っている自分に気付く。だが、彼からの返事はなかった。
(当たり前、だ。)
分かっていたはず‥‥じゃないか。この事務所に足を踏み入れた時から分かっていた。
彼の立ち姿。いつもと違うその背中が真実を語っている事くらい。
「嘘、なんだろう?」
力なく首を振る成歩堂。頭の中が真っ白になって御剣は成歩堂を揺さぶった。
「嘘なんだよな?嘘だっていってくれよ!文句の一つも言わず揺さぶられ続ける成歩堂を見ているうちに涙が出てきた。
「‥‥貴様が弁護士を辞めたら‥‥私も検事をやっている意味など‥‥ない。」
そう御剣が呟くと初めて成歩堂の表情が変わった。
「‥‥駄目、だ。」
そして御剣の手を握ると続ける。
「お前は検事を続けることに意義を見出だした。それをそんなに簡単に辞めるなんて、駄目だ。」
「‥‥簡単に言っている訳ではない、ぞ。」
「ああ、分かってるよ。‥‥分かってるさ。」
成歩堂は自嘲気味に笑う。
「でも‥‥この上お前が検事を辞めたりしたら‥‥ぼく、もう本当に駄目かもしれない。」
それだけ言うと成歩堂は御剣の手を放して膝から崩れ落ちた。
「な、成歩堂!?」
御剣は慌てて成歩堂の身体を支えようとするが成人男性の体重というのは相当なもので御剣は成歩堂の身体の下敷きになってしまう。
「冗談じゃないんだ‥‥。」
成歩堂は御剣の上で囁いた。酒に匂いと共に真実が落ちてくる。
「弁護士バッジは‥‥もう、ない。見せろと言われても見せられないんだ。」
「‥‥酒臭い、ぞ。どれくらい飲んだんだ?」
御剣は成歩堂の身体の下から這い出ようとしながら机の上を見上げた。
―――日本酒のびんがゴロゴロと転がっている。
「‥‥貴様という奴は‥‥‥。」
御剣はため息をつくと抵抗するのを止めて背中を床にあずけて成歩堂の背中をポンポン、と叩いてやった。
生暖かい液体が流れてきて涙か、と理解するのに数秒かかった。
「分かった、分かった。だがバッジの件は本当だとしても捏造は嘘だろう?」
「‥‥そうだ、ね。こう言っても信じてもらえるかどうかわからないけれど‥‥。法廷に違法な証拠品を持ち込んだのはぼくだけど、捏造したのはぼくじゃない。‥‥って、何泣いてんだよお前。どうして御剣が泣かなくちゃいけないんだよ。」
相手のものだと思っていた涙には自分のものも混じっていたらしい。
「なんであろうと‥‥思い通りにならないものは許せない。」
御剣の上から身体を起こして成歩堂はため息をついた。
「挫折ばかり味わってきたぼくにはとても持てない怒りの感情、だな。」
まぁ、それがきみの良いところなんだけど、ね。と成歩堂は付け足す。
御剣も続けて腰をあげると背広をはたいた。
「それで‥‥どういうこと、なんだ?証拠品を持ち込んだのはお前だが‥‥捏造をしたのはお前ではない、と?」
「ああ‥‥。信じてもらえないだろうけど‥‥。」
「信じてやる。」
御剣は背広を椅子にかけると囁いた。
「君が何を証言しようと最後まで信じてやる。その言葉くらいは、な。だからそんな前置きは不要、だ。」
そして不敵に笑ってみせる。その表情に押されて成歩堂はポツリ、ポツリと語りだした。
「そうだな‥‥。どこから話し始めたら良いんだろう。ぼくは法廷の控え室である人物にその証拠品を渡されたんだ。手紙、のようなものかな。もちろんぼくは最初それが何なのかわからなかった。でも審理が進むうちに分かったんだ。‥‥ぼくはそれを提出しなければ勝てない。負けはしないけど勝てないってことに、ね。」
「それが捏造された証拠品だった‥‥そういうこと、か。ならば話は簡単だ。その証拠品を君に渡した人物が捏造を‥‥。」
「まさか、あり得ないよ。」
成歩堂はとんでもない、とでもいうように手を顔の前でふった。
「相手は子供、しかも10歳にもなっていないような、ね。しかも依頼人の娘なんだ。弁護士を陥れるような真似なんてするはずがない。」
御剣はいらいらして拳を握りしめた。―――こいつは何を言っているんだ?自分以外の全てを疑わなくてはならないような状況で何を言っているんだ、こいつは?
「だったら尚更怪しい。その少女が父親を助けるために‥‥。」
作品名:奇跡が起こるなら 作家名:ゆず