空を泳ぐ
アルフレッドは幼い頃からアーサーに「人は空を飛べない」と教えられてきた。
青い空を銀の機影が飛んでいる今の世の中、少し知恵をつけた子供ならばアーサーの言い分の矛盾に気付くものである。
人自身は飛べなくとも、世の中にはそれを補うだけの技術があるではないか。
それはアルフレッドも思ったことだった。散歩の途中や、何気なく窓の外を見てぽつりと零すアーサーに、何度反論しようとしたか分からない。
そして段々とアーサーの言う「人は空を飛べない」という言葉の意味がそれだけではないと気付く。
アーサーはそういった意味でアルフレッドに言い聞かせてきた訳ではないのだと察したとき、アルフレッドの中に夢が生まれたのだ。
「俺はね、アーサーに人が空を飛べるってことを証明したいんだ」
アーサーは何かい痛そうな顔をしていた。しかし彼は唇をへの字に曲げたままで、口を開こうとはしない。
自分が言い終わるのを待ってくれているんだ、とアルフレッドは嬉しくなった。アーサーが自分の言い分を最後まで聞く姿勢を取ってくれるのが堪らなく嬉しかった。
自然と喜びが力強さに変わり、言葉に力が篭る。
「アーサーが空が嫌いだって言うのは嘘だよ。そうじゃなきゃ、」
あんな苦しそうな顔、するもんか。
大きくアーサーの目が見開かれた。小さく唇が震えている。
「俺が飛空士になったらアーサーを空に連れてってあげるんだぞ。アーサーに素直になって欲しいから、俺は空を飛ぶんだ」
満面の笑みで言い切ったアルフレッドに対し、アーサーはか細く吐息を吐き出した。
その様子を見て、アルフレッドはアーサーが泣き出すのではないかと思った。大きな瞳には薄く水の膜が張っている。
アーサーは何か言おうと口を開こうとする。だが唇は戦慄くばかりでしっかりと動いてくれない。
「どうして」
アーサーはやっとその一言を吐き出した。目尻に浮かんだ涙は零れる寸前のところで止まってしまっている。
「どうして、お前もフランシスも同じ理由で飛ぶんだよ。俺がお前らを空に駆り立ててるみたいじゃないか……!」
搾り出すようにアーサーが言う。それでも涙は不思議と零れなかった。
「人は空を捨てたんだ。空を飛ぶ自由を捨てる代わりに、誰かを抱き締める腕を得たんだ。それなのにお前らときたら、腕があるのに空に行くって……お前らに翼はないのに、どうして……」
「それは」
アルフレッドゆっくりと口を開く。つられるように瞳も口元も笑みを浮かべていた。
「君が喜ぶ顔を見たいからね。きっとフランシスも同じ気持ちだったんじゃないの?」
破顔一笑のアルフレッドにアーサーは何を思ったのだろう。対照的に彼の表情は重く沈んだ。
しまった、とアルフレッドは後悔した。アーサーの性格を考えれば、自責の念に捕らわれるのは目に見えて分かっていたはずだ。
一度は伏せた顔を上げて、アーサーは言う。
今度こそ彼の目尻から涙が零れた。
「俺は空なんて嫌いだ。俺の大事なもの、全部持っていきやがる」
組んだ両手に額を当て、アーサーは項垂れた。
彼が空ばかり見上げるから、自分は彼の視界に入ろうとその青を目指すというのに。
アーサーが空を見上げる理由は、彼の大事な人がそこを目指すからだ。
互いが互いの想いに気付かず、その視線の先だけを目指す。
「ああ、そっか」
アルフレッドはふと自解した。小さな呟きは俯くアーサーには届かなかったらしい。
確かに人は空を飛べない。
両の手を広げ、空を掻く様は、飛ぶというより溺れているといった方が適切だ。
「空に泳がされているんだ、俺達」
091109