奥州にて
雨中での一戦の後、慶次は去った政宗たちを追って、再び伊達の屋敷に引き返した。手痛くやられはしたが、この程度で諦めるつもりはない。再度面談を申し出るつもりだったのだ。
簡単に門をくぐれるとは思ってなかったのだが、いざ訪ねてみると門番たちは「中へ入れよ」と言ってくれた。
「へ? いいのかい?」
「いいも何も、筆頭がそうしろっておっしゃったんだよ」
「え?」
「先程お戻りになられたときにさ。じきに奇天烈な格好をした優男がやってくるだろうから、中で傷の手当てをしてやれ、って」
これは些か意外であった。先刻の様子では完全に歯牙にもかけられていないと思っていたのに。
ともあれ慶次は、その申し出を有り難く受けることにした。幸い傷は大したことないのだが、手当てをしてもらうに越したことはないし、少々腹も減っている。そう話したら、兵たちの詰め所に案内してくれた。
「筆頭とサシでやり合うなんて、あんたも相当命知らずな野郎だな」
飯の支度が調うまでと、ことの顛末を慶次が話せば、詰め所の兵たちは笑った。
「それにしても運がイイぜ。この程度で済んだんだからよ」
「まったくだ。腕の一本持ってかれたっておかしかぁねぇや」
外見からは粗暴な印象を受けるが、話してみると皆気のいい連中ばかりだ。慶次は彼らを好ましく思った。
振る舞われた飯も質素ながら存分に旨い。「片倉様のお作りになった野菜だからな。心して食えよ」と言われ、慶次はまたもや驚いたが、そういえば確かに先程会った竜の右眼は、農作業帰りといった装いをしていた。伊達家主従は、まだまだ底の知れない存在のようだ。
そういえば、屋敷に足を踏み入れて思ったことが二つある。
一つは建物の中の様子だ。政宗にも言った通り、男臭い場所だという印象は変わらないが、そこはさりとて殺風景という訳でもなかった。全体的に小綺麗で、木々の手入れは行き届いており、要所要所には華が活けられてもいる。
その感想を素直に告げると、彼らは誇らしげに笑った。
「そりゃそうさ。身の回りの行き届かない奴には仕事もできる筈がねぇ、ってのが筆頭の方針だからよ」
「庭もすげぇぜ。片倉様が丹精こめられてるからな」
「へぇ。そいつぁ凄いねぇ」
「ま、お忙しい方なんで、基本的には庭師がやるんだけどさ。それでも時間を作っては、ご自身でも鋏を入れられたりするよ」
「ふぅん。じゃあ華もかい?」
「いや、あっちは筆頭さ」
「ええ?!」
一体今日は何度驚かされれば済むのだろうか。いや、この様子ではまだまだ先がある気がする。
「それにしてもさ」
慶次はもう一つの疑念を口に乗せる。
「ここに来るまで、全然女の気配がなかったんだけど。まさか、まるっきりいないってわけじゃないよね?」
「ああ、それは――」
答えかけたひとりは口籠もったが、すぐに他の男が後を接ぐ。
「筆頭、女が苦手だからなぁ」
「馬鹿! 黙れって!」
他の者に窘められ、言った男は慌てて口を噤んだが、一度放たれてしまった言葉は戻らない。このままでは慶次の好奇が修まらないだろうと思ったのか、最初の男が軽い溜息混じりの声で続けた。
「少なくとも上屋敷には、下働きも含めて女はいねぇよ。でも全くってわけじゃないぜ。東や奥には、まあ、ある程度な」
その口調には慶次も、さすがにそれ以上踏み込むことを憚った。なので、さらりと「ふぅん」とだけ返し、それから続けて話題を変える。
「じゃあ、この飯もあんたたち自分で作ったんだな。いや、ほんっと旨いぜ、これ。俺はこっち方面、あんまり得意じゃないからさぁ。何かコツとかあれば教えてくれるかい?」
その言葉に、ほっとしたように空気が緩む。それから彼らは少しの間、他愛のない会話を交わした。
帰る前に庭でも見ていけと薦められ、慶次は中へ続く廊下に出た。もちろん屋敷の奥へは行くなと釘はさされたけれど、別に誰かを見張りにつけるようなことはされなかった。見くびられているとも思えない以上、これも政宗の命なのだろうか。
なるほど、中庭は見事な代物だった。豪奢ではないが、簡素にも過ぎない。花と緑が程よい調和を醸している。悪くないなと、慶次は感心した。
そこへ奥の方からひとりの男が姿を現した。小十郎だった。恐らく政宗の部屋から戻る途中なのだろう。彼は慶次に気がつくと、面白くもなさそうに呟いた。
「まだ居たのか」
慶次が屋敷にいることは、小十郎も先刻承知だったらしい。側に来た彼は険のある声を吐いた。
「用は終わった筈だろ。待ったところで政宗様はお会いにならねぇ。とっととけぇんな」
「つれないねぇ」
慶次は肩を竦める。
「飯、ご馳走になったよ。旨かった」
「当然だ」
「野菜さ、あんたが作ったんだって? 忙しいだろうに大したもんだね」
「そいつぁ嫌みか?」
「なんでそうなるんだよ」
小十郎は答えず、そのまま立ち去ろうとする。慶次は引き留めたい一心で、その背に思わず言っていた。
「独眼竜は女嫌いだってね」
小十郎の足が止まる。振り返った彼は静かな怒気に満ちた顔をしている。
「……そんなつまらねぇ話をてめぇみたいな風来坊に吹き込む馬鹿が、うちの軍に居るとは思わなかったぜ」
その言葉が持つ気迫に、慶次は慌てた。このままでは世話になった連中に迷惑をかけることになる。
「ちょ、ちょっと待てって! 俺が無理矢理聞き出したんだよ! あいつらは全然悪くないから!」
そんな慶次の必死な様に、少しだけ小十郎の態度は和らいだようだった。彼は小さく溜息を吐く。
「嫌いなわけじゃねぇ、苦手なだけだ」
「似たようなもんだろ」
「まったく違う」
恋を信条に生きる慶次にしてみれば、どちらも同じようなものに感じられるのだが、小十郎は頑なに否定する。
「あれかい? 昔手痛い失恋でもしたとかさぁ」
「……お喋りな野郎は長生きできねぇぜ」
吐き捨てた小十郎は、再び背を向け歩き始めた。とりつく島もないやと、慶次は肩をすくめる。と、再度足を止めた小十郎が、軽く半分振り返って言った。
「何をぼさっと突っ立ってやがる。目障りだから、さっさと来い」
どうやら彼は、この場で対話を続けるのではなく、場所を移そうとしているだけらしい。
最初からそう言やいいじゃん。些か呆れた気持ちになりつつ、慶次は慌てて小十郎の後を追った。
簡単に門をくぐれるとは思ってなかったのだが、いざ訪ねてみると門番たちは「中へ入れよ」と言ってくれた。
「へ? いいのかい?」
「いいも何も、筆頭がそうしろっておっしゃったんだよ」
「え?」
「先程お戻りになられたときにさ。じきに奇天烈な格好をした優男がやってくるだろうから、中で傷の手当てをしてやれ、って」
これは些か意外であった。先刻の様子では完全に歯牙にもかけられていないと思っていたのに。
ともあれ慶次は、その申し出を有り難く受けることにした。幸い傷は大したことないのだが、手当てをしてもらうに越したことはないし、少々腹も減っている。そう話したら、兵たちの詰め所に案内してくれた。
「筆頭とサシでやり合うなんて、あんたも相当命知らずな野郎だな」
飯の支度が調うまでと、ことの顛末を慶次が話せば、詰め所の兵たちは笑った。
「それにしても運がイイぜ。この程度で済んだんだからよ」
「まったくだ。腕の一本持ってかれたっておかしかぁねぇや」
外見からは粗暴な印象を受けるが、話してみると皆気のいい連中ばかりだ。慶次は彼らを好ましく思った。
振る舞われた飯も質素ながら存分に旨い。「片倉様のお作りになった野菜だからな。心して食えよ」と言われ、慶次はまたもや驚いたが、そういえば確かに先程会った竜の右眼は、農作業帰りといった装いをしていた。伊達家主従は、まだまだ底の知れない存在のようだ。
そういえば、屋敷に足を踏み入れて思ったことが二つある。
一つは建物の中の様子だ。政宗にも言った通り、男臭い場所だという印象は変わらないが、そこはさりとて殺風景という訳でもなかった。全体的に小綺麗で、木々の手入れは行き届いており、要所要所には華が活けられてもいる。
その感想を素直に告げると、彼らは誇らしげに笑った。
「そりゃそうさ。身の回りの行き届かない奴には仕事もできる筈がねぇ、ってのが筆頭の方針だからよ」
「庭もすげぇぜ。片倉様が丹精こめられてるからな」
「へぇ。そいつぁ凄いねぇ」
「ま、お忙しい方なんで、基本的には庭師がやるんだけどさ。それでも時間を作っては、ご自身でも鋏を入れられたりするよ」
「ふぅん。じゃあ華もかい?」
「いや、あっちは筆頭さ」
「ええ?!」
一体今日は何度驚かされれば済むのだろうか。いや、この様子ではまだまだ先がある気がする。
「それにしてもさ」
慶次はもう一つの疑念を口に乗せる。
「ここに来るまで、全然女の気配がなかったんだけど。まさか、まるっきりいないってわけじゃないよね?」
「ああ、それは――」
答えかけたひとりは口籠もったが、すぐに他の男が後を接ぐ。
「筆頭、女が苦手だからなぁ」
「馬鹿! 黙れって!」
他の者に窘められ、言った男は慌てて口を噤んだが、一度放たれてしまった言葉は戻らない。このままでは慶次の好奇が修まらないだろうと思ったのか、最初の男が軽い溜息混じりの声で続けた。
「少なくとも上屋敷には、下働きも含めて女はいねぇよ。でも全くってわけじゃないぜ。東や奥には、まあ、ある程度な」
その口調には慶次も、さすがにそれ以上踏み込むことを憚った。なので、さらりと「ふぅん」とだけ返し、それから続けて話題を変える。
「じゃあ、この飯もあんたたち自分で作ったんだな。いや、ほんっと旨いぜ、これ。俺はこっち方面、あんまり得意じゃないからさぁ。何かコツとかあれば教えてくれるかい?」
その言葉に、ほっとしたように空気が緩む。それから彼らは少しの間、他愛のない会話を交わした。
帰る前に庭でも見ていけと薦められ、慶次は中へ続く廊下に出た。もちろん屋敷の奥へは行くなと釘はさされたけれど、別に誰かを見張りにつけるようなことはされなかった。見くびられているとも思えない以上、これも政宗の命なのだろうか。
なるほど、中庭は見事な代物だった。豪奢ではないが、簡素にも過ぎない。花と緑が程よい調和を醸している。悪くないなと、慶次は感心した。
そこへ奥の方からひとりの男が姿を現した。小十郎だった。恐らく政宗の部屋から戻る途中なのだろう。彼は慶次に気がつくと、面白くもなさそうに呟いた。
「まだ居たのか」
慶次が屋敷にいることは、小十郎も先刻承知だったらしい。側に来た彼は険のある声を吐いた。
「用は終わった筈だろ。待ったところで政宗様はお会いにならねぇ。とっととけぇんな」
「つれないねぇ」
慶次は肩を竦める。
「飯、ご馳走になったよ。旨かった」
「当然だ」
「野菜さ、あんたが作ったんだって? 忙しいだろうに大したもんだね」
「そいつぁ嫌みか?」
「なんでそうなるんだよ」
小十郎は答えず、そのまま立ち去ろうとする。慶次は引き留めたい一心で、その背に思わず言っていた。
「独眼竜は女嫌いだってね」
小十郎の足が止まる。振り返った彼は静かな怒気に満ちた顔をしている。
「……そんなつまらねぇ話をてめぇみたいな風来坊に吹き込む馬鹿が、うちの軍に居るとは思わなかったぜ」
その言葉が持つ気迫に、慶次は慌てた。このままでは世話になった連中に迷惑をかけることになる。
「ちょ、ちょっと待てって! 俺が無理矢理聞き出したんだよ! あいつらは全然悪くないから!」
そんな慶次の必死な様に、少しだけ小十郎の態度は和らいだようだった。彼は小さく溜息を吐く。
「嫌いなわけじゃねぇ、苦手なだけだ」
「似たようなもんだろ」
「まったく違う」
恋を信条に生きる慶次にしてみれば、どちらも同じようなものに感じられるのだが、小十郎は頑なに否定する。
「あれかい? 昔手痛い失恋でもしたとかさぁ」
「……お喋りな野郎は長生きできねぇぜ」
吐き捨てた小十郎は、再び背を向け歩き始めた。とりつく島もないやと、慶次は肩をすくめる。と、再度足を止めた小十郎が、軽く半分振り返って言った。
「何をぼさっと突っ立ってやがる。目障りだから、さっさと来い」
どうやら彼は、この場で対話を続けるのではなく、場所を移そうとしているだけらしい。
最初からそう言やいいじゃん。些か呆れた気持ちになりつつ、慶次は慌てて小十郎の後を追った。