BASARAログまとめ(腐向け)
飛竜(真田主従と政宗)
「飛ばないのですか」
「飛べると思うかね」
「いいえ。ですが、飛ばないのでしょうか」
「飛べるものならば飛んでいるのだがね」
「飛べば良いでしょう」
全くその通りだ、と幸村は思った。
胡座をかいた脚の上に置いた冊子を閉じて、ぽんと縁側に投げ出してしまいたい。
しかしそれが出来ないのは、この冊子が幸村の想い人から贈られたものだからだ。
たとえ肌に合わない相愛の男女の話だとしても、贈られた手前読み切らなければならないだろう。
普段から書に親しみのない自分がこれを読み終えたとなれば、あの片目の竜は異国の言葉で何等かしらの褒め言葉をくれるに違いない。
そう思うとそれまで槍を持ちたくて堪らなかった手が静まった。自然と次の一面へと手が伸びる。
ぱらりと乾いた音がした。
一枚紙を捲り、果たしてあの竜は一体どんな心持ちでこれを読んだのだろうかと思う。
槍ばかりを振るい、芸も学も自分は何ひとつ身につけてはいない。
武芸にのみ秀でていてもそれでは人はついてこない。
そのくらいは乱世を生きる一人の武士として分かっていた。
尊敬する信玄に諭されても、幸村の手はなかなか筆を取ろうとはしなかった。やはり槍にばかり手が伸びる。
それに比べ幸村よりも僅かに年上の奥州王は、武芸に芸能、果ては異国の知識なども持ち合わせておりとても同年代の人間とは思えなかった。
同年代であり互いを好敵手と認めたからこそ、彼の蒼竜はこうして自分に大事な蔵書の一冊を贈ってくれたのだろう。
幸村としても、こうしてあの男と共通の話題が出来ることは嬉しかった。
二人で話していても幸村の学の浅さばかりが目立ち、恥ずかしく情けない気持ちになる。
幸村の羞恥を見透かすような独眼がすうと細まったとき、彼は思いがけないことを口にした。
「俺が最近読んで面白かったやつ貸してやるよ。きっとアンタも気に入るぜ」
くくっ、と喉の奥で彼特有の笑い方をした竜はやけに楽しそうだった。
自分が書に通じていないことは相手も知っていたはずだ。思わず断ろうとしたのだが、どこから現れた自分の抱える忍が勝手に話を進めてしまった。
そうして暫くしないうちに幸村の元に書物が届いた。藍で染められた表紙が何とも美しい一冊だった。
一面捲ったきり、それ以降話が頭に入ってくることはない。
(これを読めば政宗殿と話が弾むだろうに)
もう一度書に視線を落とすが、やはり文字は文字でしかない。
鮮やかな情景など浮かぶはずもなかった。
「お、旦那ちゃんと読んでるんだね。感心感心」
音もなく忍が幸村の背後に立っていた。
自分の忍であるのだから、彼がどこから現れようと幸村は今更驚くことはない。だが少しばかり意地の悪い物言いをしたくなった。
彼が余計な口を出さなければ幸村は不慣れな書を読むことはなかったのだ。
それで独眼竜が馳せる世界がどんなものであるか垣間見ることが出来ずとも、幸村は先の楽しみよりも今の苦痛を解消することを優先した。
「佐助が声を掛けてきたから気が散ってしまったではないか」
「はいはい見え透いた嘘吐かない。とっくに飽きてたんでしょー?」
にやにやと笑う佐助にむっと唇を尖らせることで返事をする。
その反応すらも予想通りだったのか、忍はからからと笑った。
ことりと傍らに置かれたものに思わず幸村の顔がぱっと明るくなる。
佐助は素直過ぎる主に苦笑しながらも、それをすっと差し出した。
「ずっと読んでたら飽きるでしょ? 休憩がてらどうぞ」
「……うむ」
表面は仕方がないように装っているが、幸村の手が盆に載った団子を掠うのは早かった。
佐助は今度こそ苦笑を隠し切れずに吹き出してしまう。
じとりとこちらを睨んできた幸村に「ごめんごめん」と気持ちの篭っていない形ばかりの謝罪。
それでも逸らされない視線にどうしたものか、と佐助は話題の転換を試みた。
「独眼竜の旦那の蔵書、どんな感じ?」
「某には全く分からん。なぜ想いを寄せる男女が飛ぶ飛ばないの問答を延々と繰り返しているのだ」
行儀が悪いと皆に叱られているせいか、幸村はきちんと頬張っていた団子を飲み込んでから返事をした。
再び尖った唇は元々幼く見える幸村を更に幼く見せた。
その様子を見て、尚且つ話の中心が男女だと聞いて、思わず佐助は深く考えずに返事をしてしまった。
「そりゃあ旦那にゃまだ早いってことじゃないの?」
「そんなことはない。某とて破廉恥破廉恥と騒ぎ立てているだけではないのだ」
そうかなあ、と佐助は主に疑いの視線を向けるが、幸村はそんな視線にも気付かず次の団子へと手を伸ばした。
どう考えてもまだ子供だ。佐助は藍色の装丁の冊子を読んではいないが、幸村には難しすぎるような気がした。
だいたいこの書の贈り主は何も考えていないようで実に思慮深い。
一国の主であるのだからそうでなければならないのだが、必要以上に彼は先を見据え過ぎている節がある。
自分が天下統一を果たすのだと、武士であれば誰もが胸に秘めている。
あの独眼の竜はその一つ目でそれよりも先を見詰めている。そうでなければ異国の言葉を操り、海の向こうにまで手を出そうとは思わない。
この藍色の冊子に込められた意を、果たしてこの子供は汲み取れるのだろうか。
もっとも、佐助とて朧げにしか掴めないのだ。己よりも幼いであろう主には到底無理なような気がした。
「男と女がどこにいるかも書いておらん。ただ漠然と、男が飛ばねばならん状況であることは分かる。女は飛べとも言わず、飛ばぬのかと尋ねるばかり。なあ、佐助」
「ん?」
「政宗殿は、一体これのどこが面白いと思ったのだろうか」
心底困り果てた様子で幸村が呟いた。
思わず佐助も眉尻を下げて困ったような顔になってしまう。
飛ぶ飛ばないの問答を面白いと思える人間は稀だろう。大概は目の前の幸村のように困惑するはずだ。
「政宗殿は某が気に入ると思ってこの書を下さったのだ。だのに某はさっぱり面白みが分からない」
やはり浅学だからか、と尾のように伸ばした後ろ髪までも心なし力無く見える。
佐助は自然と幸村の頭を撫でていた。
空を見上げれば藍よりも青い空が広がっている。
「旦那は空、好き?」
「なんだいきなり」
「俺様はね、あまり好きじゃない」
怪訝そうな顔で佐助を見上げる幸村の瞳が細まる。
忍の橙の髪が頭上の空と相俟って痛いのだ。
「独眼竜の旦那はどうだろうね」
「あの方は……好んでおられよう」
鉤爪のように六爪の刀を振るい、鮮やかな青を翻し戦場を駆ける様はまさに竜と呼ぶに相応しい。
誰といても彼の竜は自然と空を見上げている。
敵を見据えている戦場ですら、敵の背後に広がる空を視界に映す男なのだ。
「空ばかり見ておられるから、某は独眼竜殿はいつか空に帰られるのではないかと思ってしまう」
幸村の物言いを茶化す言葉はいくらでもあった。
天女も姫もいつかは空に帰ってしまう。しかし竜が帰る話というのは聞いたことがない。
人がいるところから上へと昇り、帰るのはいずれも美しい女ばかりだ。
作品名:BASARAログまとめ(腐向け) 作家名:てい