見えない星は光っているか
――――いつの間に眠ってしまっていたのだろうか。
俺は、母親の騒がしい声によって起こされた。
そして俺の両肩を掴みながら、こう言ったのだ。
「 月子ちゃんが居なくなったって! 」
寝起きでまだ脳みそが完全に働いていない状態の中で。
”月子”という単語だけが何度も何度も頭の中をぐるぐると駆け回っていた。
そして、母親が言った言葉を自分の口の中でゆっくりと繰り返してみる。
つきこちゃんが、いなくなったって。
その瞬間、俺の頭が完全に活動を始めた。
薬品くさい白い布団を、勢いよく剥ぐ。そして母親のほうをぎらっと凝視した。
「 いなくなったって…! もう10じじゃんか! 」
「 月子ちゃんのママから電話があってね、哉太の病院に行ったっきり戻って来ないんですって」
「 す、すずやはどうしたんだよ!? 」
「 月子ちゃんが先に帰ってていいって言ったらしいのよ。 哉太、月子ちゃんが居そうな場所わかる?」
月子が、居そうな場所。
俺は急いで頭の中にある記憶を必死に思い返し始めた。
昼間の時の悲しい月子の顔がよぎるが、それを無理やり通りこして必死に頭を振り絞る。
”ここって、てをのばせば、おほしさまにてがとどいちゃいそうだね”
月子の声が、フッと頭をよぎった。
月子の笑顔が、頭をよぎった。
その声を聴いた瞬間に、まるで時が止まったような感覚がした。
「 ちょっ…、哉太っ!? 」
母親が驚いている中で。
俺は、ただひたすらその場所に向かって全速力で走った。
大きく手を、足をふって。一歩一歩を大きく踏みしめながら。
…こんなにも走ったら、また心臓が痛くなってしまうかもしれない。
入院する期間が延びて、天体観測だって、しばらくは出来なくなってしまうかもしれない。
けれど、でも。
月子がその場所に居て欲しいと思いながら、ただただひたすら階段を駆け上った。
「屋上」と書かれたドアをバンと勢いよく開けると。
見覚えのある長い髪の、小さな後姿が目に入った。
はあと白い息を吐きながら、ただただ夜空を見上げている。
安心した気持ちと、何でこんなところに居るんだという怒りの気持ちをこめながら、月子の腕を強く掴んだ。
「 いたっ…! か、かなちゃん!? 」
「 なんで…、なんでこんなところにいるんだよ! 」
「 だってさっき、かなちゃんのおみまい… 」
「 そうじゃなくて! なんでおくじょうにいるんだよ! いつからいた!? 」
俺が怒鳴ると、月子はしゅんとしたように肩をすくめて体育座りの上にくんだ手の中に顔をうずめた。
そしてポツリと、聞こえるか聞こえないかのような声で呟く。
「 …おそらが、おれんじいろになったぐらいから 」
「 おれんじって…。 なんで、こんなくらくなるまで… 」
今の空は、オレンジどころではない。
真っ暗で、けれど分厚い雲がかかっていて。
今にも雨が降りそうだ。しかも、かなり肌寒く、吐く息がとても白く染まっている。
「 おまえのおかあさん、しんぱいしてるぞ 」
「 …うん、わかってる 」
「 はらへっただろ。 はやくかえってめしくえよ 」
「 …いやだ。 ぜったいかえらない 」
「 なんだよおまえ、おかあさんとけんかでもしてるのか 」
「 …ちがうよ。 けど、かえらない 」
「 はあ? なんでだよ 」
ふと。
苦しいような呼吸が、月子から聞こえてくる。
つきこと呼ぶけれど、月子は組まれた手の中から顔を上げようとしない。
心なしか、微かに震えているような気がした。
そんな中で、月子は俺に見えないように顔を上げた。
「 かえ、らない 」
「 …つきこ、ないてるのか? 」
「 ない、てないっ! 」
嘘だ。だって、こんなにも苦しそうに何かをすすっている。
だって、顔につけていた手の袖口が微かに湿っている。
月子は、泣いている。
…もしかして俺が、昼間怒ってしまったから?
そう思っていたら月子は、また空を見上げた。
「 …おねがいするの 」
「 は? 」
「 おねがいするまで、ぜったいかえらないの 」
「 つきこ…? なんのはなしをしてるんだよ 」
月子は肩を震わせながら、ゆっくりと俺のへと顔を向けた。
涙で、グチャグチャになった顔を。
俺の顔を見た途端、月子はふえええと勢いよく泣き始めたのだ。
そんな月子を見たのは初めてだったから、俺は驚きと焦りを隠しきれない。
俺は急いで月子の涙を拭う。しかし涙は止め処なく流れて、どんなに拭っても拭ってもきりがない。
「 かえらないのお! だって、ながれぼしがこないんだもん! 」
「 ながれぼし?ほしなんかないだろ 」
「 あるの!ながれぼしに、お願いしなきゃいけないの! 」
「 なにをおねがいするんだよ? 」
月子は、俺の顔を潤んだ瞳でじいっと見つめる。
そして、まるで俺の存在を確認するかのように、手で俺の頬をなでる。
そして月子は泣き喚きながら俺にぎゅうっとしがみついた。
「 かなちゃんのびょうきがなおりますようにって 」
どこにも行かないでと言うように、力強く俺の洋服を掴む。
「 さんにんで、てんたいかんそくができますようにって 」
どこにも行かないよと言うように、俺も月子の洋服をぎゅうっと掴む。
「 かなちゃんが…っ、どこかにいっちゃいませんようにって…! 」
だからながれぼしがくるまでかえらないの。
そう言って、月子は俺から離れてまた空を見上げた。
…曇っていて、星なんか一つも見えないのに。
今にも、雨が降り出してきそうなのに。
こんなにも、凍えそうなくらい寒いのに。
月子は、ただただひたすら空を力強く凝視する。
流れ星が流れてくるであろうタイミングを見計らっている。
「 つきこ… 」
「 かえらない 」
「 なあ、つきこ… 」
「 ぜったいに、かえ、らないっ! 」
「 もう、いいよ…… 」
ぼろぼろと零れて頬を伝い落ちていく涙。
その涙の生温かさは、冷え切った頬をそれなりに温めていく。
俺は、月子をぎゅうっと後ろから抱きしめた。
もたれかかった、という表現でも正しいのかもしれない。
ごめん、ごめんなつきこ。もういいから。もう、ながれぼしなんてさがさなくていいから。
そう謝り続けながら、俺と月子はひたすら泣いていた。
俺も月子も、喚くように泣き散らした。
もう一度、空を見上げる。
やっぱり夜空は曇っていて、星なんか一つもない。
分厚い雲が、これでもかというぐらいに空を包み込んでいた。
…もしも。
もしもさ、あの分厚い雲の中に、星があるんだとしたら。
隠れているだけで、実は幾千もの星が輝いているんだとしたら。
―――あの分厚い雲の中で、流れ星が流れていたとしたなら。
流れ星さん、お願いします。
俺の病気を治してください。
三人で天体観測に行かせて下さい。
俺を、どこにも連れて行かないで下さい。
――そして、もしも4つ目の願いを叶えてくれるのならば。
作品名:見えない星は光っているか 作家名:透子