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銀魂3Zログまとめ(ぱっつち)

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春よ、まだ目覚めるな



 夕日を反射するサッシが眩しい。
 ガラスによって屈折しても尚、夕日は嘗め尽くすように室内を照らしていた。
 あー、と実に気怠げな声が口から零れて、思わず銀八の口元に苦笑が浮かんだ。
 カランと口内でロリポップを転がせば、手持ち無沙汰な右手はそのままがしがしと頭を掻いた。
 大分小さくなってしまったロリポップを噛み砕いてしまおうかと思ったそのタイミングで、準備室の扉ががらりと開いた。

「今日はいつもより早いね」

 時計代わりのロリポップが溶ける前に銀八の待ち人はやってきた。
 いつもは溶け切ってしまうロリポップは、小さいながらもまだ口内に残っている。
 銀八はそれをカリッと奥歯で噛み砕いた。残った棒を足元にあったごみ箱に落として、準備室の扉を開けたきり、中に入ってこない少年を手招いた。

「……失礼します」

 何度もここを訪れているにも関わらず相変わらず少年の口調は固かった。
 しかし銀八は知っている。この扉が少年にとって境界線なのだ。
 扉の向こう側、廊下側にいる限り少年は一生徒である。そして扉の内側、銀八のいる準備室は、この学校の中で唯一彼が生徒ではなくただの少年になる場所だった。
 だから彼はあの扉を潜るまで固い態度を軟化させることはないし、銀八もそれでいいと思っていた。その方がこの狭い準備室の価値が上がるような気がする。
 少年が一歩踏み出した。扉を、境界線を越える。
 銀八から少年に歩み寄ることはしない。銀八の元に少年が来て初めて、少年は生徒の仮面を外せるのだ。
 あと一歩で互いが腕を伸ばせば触れ合えるような位置まで少年が来た。
 距離のもどかしさに先に堪えられなくなったのは銀八だ。
 ぐっと腰から上半身を折り、腕の届く範囲を伸ばす。
 そうすることで少年が手を伸ばさずとも、銀八が一方的に手を伸ばすだけで目の前の存在を捕まえることが出来た。
 銀八が右手で少年の左腕を掴めば、彼は僅かに顔を顰めた。約束を破ったのは銀八なのだから、少年のこの反応は当然かもしれない。

「つーかまえた」

 わざとふざけたように言えば、今度は思い切り顔を顰められた。

「自分から取り付けた約束破るなんて、センセー最低」

 顔を顰めつつも、少年の口調は本気で嫌悪している訳ではない。
 扉の向こう側、一生徒である場合の彼からは決して向けられないであろう軽口が、逆に銀八にとっては心地良かった。
 くい、と軽い力で掴んでいた手を引けば、少年は簡単にこちらの腕の中に収まった。
 ここにいるときは、少年に少しだけ肩の力を抜いて欲しかった。
 だからこその境界線であり、だからこその約束だった。
 それらを曖昧にしてしまいかねない自分の行動は苦笑一つでは済まされないだろう。
 だのに銀八の腕の中に収まる少年は溜息一つで許してしまった。

「ごめんね、先生ってば目の前の多串君に我慢できなかった」
「土方だって言ってんだろこのクソ天パ」

 殊更軽い調子で謝ってみたが、土方は静かに怒っていたらしい。
 いつものやり取りの中で銀八の背に腕を回したかと思うと、じわりと爪を立ててきた。
 白衣とシャツの上から爪を立てられるとそれなりに痛い。約束を反故した罰がこんなに可愛いものならば、たまに約束を破ってみるのもいいかもしれない。
 そんなことを考えている内心を悟られてしまえば、今度は鉄拳制裁だろうなァと、ほとんど身長の変わらない少年の首筋に唇を押し付けながら思った。


 銀八は土方に好きだとも愛しているとも伝えたことがなかった。
 ただ「苦しくなったらいつでもおいで」と曖昧な一言で、二人の曖昧な関係が始まった。
 「準備室」のみの関係であり、「土方が自ら銀八に接触しない限りは有効ではない」という、二人の関係性を示す単語が一切抜け落ちたものだった。
 きっかけも動機も基準も何もかも曖昧な関係であっても、土方は時たまふらりと銀八のいる準備室を訪れた。
 以前はそれほど頻繁ではなかったのだが、日が短くなるにつれて土方が境界線を越える回数は増した。
 たとえ土方が準備室にやってきても、彼から銀八に接触がなければ銀八は何もしてやれなかった。
 そういうときは下校のアナウンスが鳴るまで、二人でじっと準備室で過ごすのだ。会話らしい会話など皆無で、ましてや接触もない。用らしい用がなくても成り立つ奇妙な空間だった。
 何もない空間であっても、むしろなにもない空間だったからこそ互いの心はぷかりと浮き上がってしまったのかもしれない。
 一度も好きだと口にしたことはない。
 どちらかが口にしたのを聞いたこともない。
 明文化された関係でないにも関わらず、銀八と土方は準備室内において、確かに恋人同士だったのだ。

「土方がここに来れなくなったら、言いたいことがあるんだ」
「来れなくなったら、ってどういうことだよ」
「卒業したら、ってこと」

 ひゅっ、と腕の中の存在が息を飲むのが分かった。
 ゆっくりと優しくその背中を叩いて遣りながら銀八は続きを紡ぐ。

「土方が俺の生徒じゃなくなるまで言えないけど、さ。もう少しだけ待ってろ」

 お前が欲しい言葉、やるよ。

 ゆっくりと溶けるようにして銀八はその言の葉を唇に載せた。
 まだ、言えないのだ。恐らく土方も望んではいても現状では受け取れない、その言葉。

「馬ァ鹿、言われる前にこっちが先に言ってやる」

 真正面から銀八を見据えた土方は不敵に笑んでみせた。
 薄い唇が描く弧は少年が浮かべるものにしてはやけに色めいていた。
 銀八はその唇に触れたい衝動に駆られるも、ぐっと押さえ込む。
 先程自分達が教師と生徒である限りは決して口にしない、と言ったばかりではないか。
 愛しい言葉には吐息となり吐き出される運命しか用意されていない。
 本来ならばこの接触も無効だ。
 だが言葉にできない代わりに触れていなければ、気が狂いそうなのも事実であった。

 夕日が沈む。準備室を嘗め尽くした橙の舌先は夕闇に消えた。
 ノイズ混じりの下校のアナウンスが鳴る。
 爪を立てていた土方の手は、銀八の白衣を掴んで白衣に皴を寄せていた。


(ただ一つ不安があるとすれば、迎える春に積み重ねすぎた想いを言い表せる言葉があるかということ)


090925