鉄のラインバレルログまとめ(森次受中心)
バロット(8巻・早瀬と森次)
ふと、あの人のことを思った。
自分より十は年上であろう、感情に乏しい青年だ。
早瀬は手にしたファイルをベッドに放り投げ、自身もぼすんと沈み込む音を立ててスプリングを軋ませた。思考を放棄したくなった。
腕を延ばせば届くところに放置した、さして分厚くもない黒いファイル。
あの人がこれからどれだけ生きるかなど、早瀬には見当もつかない。ファクターとマキナの原則とやらで、もしかしたらこのまま停止してあの姿を保ったまま生き続けるのかもしれない。それは嫌だな、と思うと同時に、老いて衰えた姿の方がもっと想像できなかった。
少なからず、早瀬の指先が触れるファイルにはあの青年、森次玲二の人生の四半世紀が収められている。収める、といった言い方は大袈裟であろうか。ここには書類という客観的事実しかなく、主観などどこにもない。早瀬と同い年のとき、森次が何を考えていたかなど想像できる材料など、なかった。
(あの人は、カラだ)
殻か、空か。
早瀬は一瞬、後者の字を当て嵌めた。こころが空っぽ、何もないから人の気持ちなど微塵も考えない。記憶の端の端に追いやられようとしていた米国の衛星破壊のことを思い出した。山下に対する彼の態度を思いだし、あまりいい気分にならなかった。
思考を放棄したくてたまらないのに、早瀬の頭の中身はどんどん泥沼にはまっていく。飲み込まれている、と自覚したときには遅かった。
(空、殻、かな。こっちの方がしっくりくる)
早瀬はごろりと寝返りを打った。柔らかく沈むのは身体だけで、思考は重く深く落ちていく。
(内側が空っぽなんじゃない。空っぽに見せ掛けているだけで、中身はしっかりとある殻、だ)
その証拠に、彼は何も考えていない訳ではない。森次は森次なりに人に気を遣うし、多分、恐らく、と推量がいくつも重なるが優しいのだとも思う。残念ながら早瀬は森次の優しさの欠片を受け取ったことなどないが。
そして今回のことで思い知った。
あの人は、見えない。硬く分厚い殻に覆われている。
中身は何であろうか、と想像することはできても、その殻を割ることはできないのだ。
今、早瀬が触れているファイルには、確かに森次の過去がある。自分のことなど全く語らなかったということは、自分の過去を知られたくなかったのではないだろうか。早瀬よりも森次と付き合いの長い山下でさえ、彼に痛覚がないということを知らなかった。痛覚がないといったことでさえ、仲間に話していなかった。そのことを述べた時でさえ、事実のみ告げてひどく淡々とした様子だったという。
自分のことなど、どうでもいいということなのだろうか。
(俺がこのファイル読んだって言っても「そうか」の一言だけで済みそうだよなあ)
その時の表情まで容易に想像できてしまい、それが早瀬には面白くない。
この分厚いファイルでさえ、あの人の殻に傷一つ付けられないような気がした。
「あーっ、なんかもう頭痛ぇ!!」
がばっと勢いよく起き上がれば、ベッドのスプリングが小さく軋んだ。
さっき彼を殴った右の手が、彼の熱を覚えている。避けなかった、殴られた、では、何故?
確信に変わりつつある。しかし、決定的な一打が足りない。恐らく、本人の口から告げられねば意味がないのだ。
(とりあえず次に会ったら、殴るんじゃなくて言いたいこと全部言ってやろう)
早瀬がそう結論付けたとき、一際大きな唸りが空に響いた。
080911
作品名:鉄のラインバレルログまとめ(森次受中心) 作家名:てい