【文三木/甘】巡る季節と私たち
「田村。」
「潮江…先輩?」
三木ヱ門が木に背を預け、空を眺めていると背後から声がした。何故文次郎がここにいるのか、自分に何の用があって来たのか、あるいは…。
いくつもの選択肢をざっと頭に並べてみたが、しっくり来る理由が何も浮かばない。
「何か御用ですか?」
一番無難な言葉を文次郎に投げかける。なんと言われても動じない。狼狽ない。今日はそうすると決めたのだから。
「いや、何となく…だ。」
ほら。いつだって理由は後から考える。いつかの委員会の日に走る理由を後から考えたように。貴方はそういう人だから。ほんの少し一緒にいただけだけど、ずっと貴方を見ていたから…。なんて、口が裂けても言わないつもりだけど。
「そうですか…。」
一言そう返すと、二人の間に沈黙が流れる。
数日前より少し暖かくなった風が三木ヱ門の髪を撫で、文次郎の頬をくすぐる。冬を越え、春に向けて進んでいくのは、彼らだけではないようだ。
「先輩は…」
「ん?」
「先輩は…行ってしまうのですか」
思わず口から出そうになった本音を抑え、握った拳に力を入れる。少し伸びた爪が肌に食い込んで痛かったが、そんなことはどうでもよかった。
「何だ、田村。言ってみろ。」
「いえ…先輩は、とても強い人だなぁ…と思いまして」
とっさに口から出た、いつも思っていたこと。六年生にもなれば弱い人間なんて周りにいないから当然のことなのだが、文次郎の背中を見るといつも感じていた、尊敬の念。残念ながら今はその背中は見えないけれど。
「お前は…いつもそうだな。」
何がですか、と振り向いたが、文次郎の姿はない。ついに私は幻聴まで聞こえるようになってしまったのかと口元に微妙な笑みを浮かべていると…。
「何がおかしい。」
「…いきなり目の前に来るの、やめてもらえますか?」
心臓に悪いので…と呟くと、視線を少し下げた。どうやら自分が先ほど会話していたのは本物の潮江文次郎だということが分かり、肩から力が抜けたようだ。
そんな三木ヱ門を見て、文次郎はすまん、と一言詫びた。謝るつもりなどなかったのだが、寂しそうな彼を見てしまっては、詫びなければと思ってしまったのだ。前より少し長くなった髪に手を伸ばすと、一瞬ためらいながらもそれに触れる。久しぶりに触れる三木ヱ門の髪に満足しながら、十数秒前に自分の言った言葉を繰り返す。
「お前は、いつもそうだな。」
「だから、何の話ですか?」
目の前にいる文次郎を直視することが出来ず、俯いた状態で返事をする三木ヱ門。それに気づいた文次郎は、両手を三木ヱ門の頬の辺りに添え、強引に顔を上げさせる。
「言いたい事は言え。次に会えるのは、いつになるのか分らんのだから。」
嗚呼、聞きたくなかった。彼は私に別れを告げに来たのだろうか。数日前から急に自分を襲った恐怖。潮江先輩が学園からいなくなる。鍛練だと言いながら校庭を一緒に走る事もなくなる。共に月を眺めることも、共に食事を取ることも。同じ時間を過ごすことは、もう出来ないのだと…。
「全く…仕方のない奴だな」
小さな声でそう漏らすと、三木ヱ門が視線をこちらに向けた。心なしか、涙が目に溜まっている。すみません…と俯く彼に、文次郎は優しく問いかける。
「何か私に言いたい事があるのではないのか?三木ヱ門。」
「…!?」
初めて名前で呼ばれた事に驚き、思わず顔を上げる。その拍子に涙が一筋流れる。ああ、泣かずに別れようと思っていたのに…と思うも、流れたものは彼に見られていたようで…。
「何を泣いているのだ、バカタレ。」
呆れられると内心ビクビクしていたのだが、その声色は思った以上に柔らかいものだった。
驚いた。涙ってものは悲しい時に出るものではないようだ。
「泣いてなんかいませ…」
「少し、黙っていろ」
言い訳を返そうとすると、間髪入れずに体を引き寄せられた。どうしたんだろう今日の先輩は。いつもと感じがまるで違う…僕の知っている先輩じゃないようで…もう、知らない先輩になってしまったかのようで…悲しくて、悔しくて、切なくて。
文次郎の肩に頭を寄せ、ぐっと唇を噛みしめる。痛い、いたい、イタイ。心臓が押しつぶされるようにギシギシ痛む。
「…う……れば…っ。」
「…田村?」
「どうすれば僕は貴方に近付けるのか…っ!こんなに近くにいるのに、とても遠い気がして…」
黙っていようと心に決めたにも関わらず、普段以上に舌が回る。
「先輩は私よりも早く学園を出て、私よりも早く戦場へ身を投じるでしょう?」
「……。」
「次があるか分からない。敵同士になるかもしれない世界だということを理解しているからこそ、酷く心が痛むんです。」
こんな事を言って貴方を困らせたいわけでも、この現状をどうにか出来るとも思っていない。だが、三木ヱ門は13歳の少年。心の奥に溢れんばかりの不安を抱えていたのだろう。
文次郎がなんの反応を返すこともなく顔を顰めている事に気付いたのは、言い終えてすぐのことだった。
「潮江…先輩。」
三木ヱ門が顔を上げ、少し潤んでいる目元に手を当てた。それから少しの間沈黙が生まれ、三木ヱ門は小さくつぶやく。
「先輩は…行ってしまうのですか。」
文次郎の顔を見るのが怖くなり、目を伏せる。その三木ヱ門の言葉を聞くと文次郎は小さくため息を吐く。そして重い口を開いた。
「三木ヱ門。」
「…はい。」
「俺は、学園一忍者していると言われている潮江文次郎だ。…言いたいこと分かるか?」
極力柔らかい声で三木ヱ門に問うが、三木エ門は下を向いたまま体を震わせる。
「俺はプロの忍を目指して今まで生きてきた。だから足を止めたり、振り返ることは出来ない。」
「……。」
分かっていた。彼がそういう考え方を持っていた事も、自分がそれに憧れていた事も。だからこそ彼に付いていこうと心に決めたのだ。分かっている、つもりだった。だが、頭では理解していても心が付いていかない。
「田村三木ヱ門!」
「は、はい!」
頭の中で悶々と悩んでいた三木ヱ門の名を大きな声で呼ぶ文次郎。驚いた三木ヱ門は勢い良く返事をして、文次郎の顔を見る。
「お前はどうしたいんだ。」
「えっ…?」
「お前は先を歩く俺の背を見て、そのまま足に根を生やしているのか?」
「そ、それはっ…!」
「それは、何だ。」
何と情けない事態なのだろう。本来ならば学園を出る先輩たちを笑顔で見送らなければならないはずだ。それなのに私は…。自分に対しての怒りと悔しさが入り混じりながら、ようやく一言を絞り出す。
「嫌…です。」
その一言を自ら耳にし、はっと気付く。今の自分は何て女々しいのだろう。旅立つ貴方に縋って、困らせて…。そしてそんな貴方に酷い有様の私を見せている。その事実にまた目元が潤む。
「ごめんなさい…こんな、情けない姿を潮江先輩にお見せして…。」
「そう思うなら行動で示せ。言葉で繕おうとするな。」
「潮江…先輩?」
三木ヱ門が木に背を預け、空を眺めていると背後から声がした。何故文次郎がここにいるのか、自分に何の用があって来たのか、あるいは…。
いくつもの選択肢をざっと頭に並べてみたが、しっくり来る理由が何も浮かばない。
「何か御用ですか?」
一番無難な言葉を文次郎に投げかける。なんと言われても動じない。狼狽ない。今日はそうすると決めたのだから。
「いや、何となく…だ。」
ほら。いつだって理由は後から考える。いつかの委員会の日に走る理由を後から考えたように。貴方はそういう人だから。ほんの少し一緒にいただけだけど、ずっと貴方を見ていたから…。なんて、口が裂けても言わないつもりだけど。
「そうですか…。」
一言そう返すと、二人の間に沈黙が流れる。
数日前より少し暖かくなった風が三木ヱ門の髪を撫で、文次郎の頬をくすぐる。冬を越え、春に向けて進んでいくのは、彼らだけではないようだ。
「先輩は…」
「ん?」
「先輩は…行ってしまうのですか」
思わず口から出そうになった本音を抑え、握った拳に力を入れる。少し伸びた爪が肌に食い込んで痛かったが、そんなことはどうでもよかった。
「何だ、田村。言ってみろ。」
「いえ…先輩は、とても強い人だなぁ…と思いまして」
とっさに口から出た、いつも思っていたこと。六年生にもなれば弱い人間なんて周りにいないから当然のことなのだが、文次郎の背中を見るといつも感じていた、尊敬の念。残念ながら今はその背中は見えないけれど。
「お前は…いつもそうだな。」
何がですか、と振り向いたが、文次郎の姿はない。ついに私は幻聴まで聞こえるようになってしまったのかと口元に微妙な笑みを浮かべていると…。
「何がおかしい。」
「…いきなり目の前に来るの、やめてもらえますか?」
心臓に悪いので…と呟くと、視線を少し下げた。どうやら自分が先ほど会話していたのは本物の潮江文次郎だということが分かり、肩から力が抜けたようだ。
そんな三木ヱ門を見て、文次郎はすまん、と一言詫びた。謝るつもりなどなかったのだが、寂しそうな彼を見てしまっては、詫びなければと思ってしまったのだ。前より少し長くなった髪に手を伸ばすと、一瞬ためらいながらもそれに触れる。久しぶりに触れる三木ヱ門の髪に満足しながら、十数秒前に自分の言った言葉を繰り返す。
「お前は、いつもそうだな。」
「だから、何の話ですか?」
目の前にいる文次郎を直視することが出来ず、俯いた状態で返事をする三木ヱ門。それに気づいた文次郎は、両手を三木ヱ門の頬の辺りに添え、強引に顔を上げさせる。
「言いたい事は言え。次に会えるのは、いつになるのか分らんのだから。」
嗚呼、聞きたくなかった。彼は私に別れを告げに来たのだろうか。数日前から急に自分を襲った恐怖。潮江先輩が学園からいなくなる。鍛練だと言いながら校庭を一緒に走る事もなくなる。共に月を眺めることも、共に食事を取ることも。同じ時間を過ごすことは、もう出来ないのだと…。
「全く…仕方のない奴だな」
小さな声でそう漏らすと、三木ヱ門が視線をこちらに向けた。心なしか、涙が目に溜まっている。すみません…と俯く彼に、文次郎は優しく問いかける。
「何か私に言いたい事があるのではないのか?三木ヱ門。」
「…!?」
初めて名前で呼ばれた事に驚き、思わず顔を上げる。その拍子に涙が一筋流れる。ああ、泣かずに別れようと思っていたのに…と思うも、流れたものは彼に見られていたようで…。
「何を泣いているのだ、バカタレ。」
呆れられると内心ビクビクしていたのだが、その声色は思った以上に柔らかいものだった。
驚いた。涙ってものは悲しい時に出るものではないようだ。
「泣いてなんかいませ…」
「少し、黙っていろ」
言い訳を返そうとすると、間髪入れずに体を引き寄せられた。どうしたんだろう今日の先輩は。いつもと感じがまるで違う…僕の知っている先輩じゃないようで…もう、知らない先輩になってしまったかのようで…悲しくて、悔しくて、切なくて。
文次郎の肩に頭を寄せ、ぐっと唇を噛みしめる。痛い、いたい、イタイ。心臓が押しつぶされるようにギシギシ痛む。
「…う……れば…っ。」
「…田村?」
「どうすれば僕は貴方に近付けるのか…っ!こんなに近くにいるのに、とても遠い気がして…」
黙っていようと心に決めたにも関わらず、普段以上に舌が回る。
「先輩は私よりも早く学園を出て、私よりも早く戦場へ身を投じるでしょう?」
「……。」
「次があるか分からない。敵同士になるかもしれない世界だということを理解しているからこそ、酷く心が痛むんです。」
こんな事を言って貴方を困らせたいわけでも、この現状をどうにか出来るとも思っていない。だが、三木ヱ門は13歳の少年。心の奥に溢れんばかりの不安を抱えていたのだろう。
文次郎がなんの反応を返すこともなく顔を顰めている事に気付いたのは、言い終えてすぐのことだった。
「潮江…先輩。」
三木ヱ門が顔を上げ、少し潤んでいる目元に手を当てた。それから少しの間沈黙が生まれ、三木ヱ門は小さくつぶやく。
「先輩は…行ってしまうのですか。」
文次郎の顔を見るのが怖くなり、目を伏せる。その三木ヱ門の言葉を聞くと文次郎は小さくため息を吐く。そして重い口を開いた。
「三木ヱ門。」
「…はい。」
「俺は、学園一忍者していると言われている潮江文次郎だ。…言いたいこと分かるか?」
極力柔らかい声で三木ヱ門に問うが、三木エ門は下を向いたまま体を震わせる。
「俺はプロの忍を目指して今まで生きてきた。だから足を止めたり、振り返ることは出来ない。」
「……。」
分かっていた。彼がそういう考え方を持っていた事も、自分がそれに憧れていた事も。だからこそ彼に付いていこうと心に決めたのだ。分かっている、つもりだった。だが、頭では理解していても心が付いていかない。
「田村三木ヱ門!」
「は、はい!」
頭の中で悶々と悩んでいた三木ヱ門の名を大きな声で呼ぶ文次郎。驚いた三木ヱ門は勢い良く返事をして、文次郎の顔を見る。
「お前はどうしたいんだ。」
「えっ…?」
「お前は先を歩く俺の背を見て、そのまま足に根を生やしているのか?」
「そ、それはっ…!」
「それは、何だ。」
何と情けない事態なのだろう。本来ならば学園を出る先輩たちを笑顔で見送らなければならないはずだ。それなのに私は…。自分に対しての怒りと悔しさが入り混じりながら、ようやく一言を絞り出す。
「嫌…です。」
その一言を自ら耳にし、はっと気付く。今の自分は何て女々しいのだろう。旅立つ貴方に縋って、困らせて…。そしてそんな貴方に酷い有様の私を見せている。その事実にまた目元が潤む。
「ごめんなさい…こんな、情けない姿を潮江先輩にお見せして…。」
「そう思うなら行動で示せ。言葉で繕おうとするな。」
作品名:【文三木/甘】巡る季節と私たち 作家名:鳩崎桃