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川を渡る

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 このままでは消しゴムに『栄口勇人』と書いて使い切るなんていう得体の知れないものに頼ってしまいそうで、というかそんなことすら考えてしまうような自分が恐ろしくなり水谷は外へ出た。家の中でもんもんとしているからくだらないことばかり思いつくのだろうと。
 しかしこれといった目的もなく歩いていると、気がついたときには自分と栄口との家を隔てて流れる川の橋の上にいるのだった。
(こいつは重症だ)
 水谷は橋の欄干に頬杖をつき、自分の姿を映しながらゆるりと流れる水面を見つめた。土手の木々は一様に新たな葉を生やし、川を薄緑色に染める。
 栄口と帰るときはいつもこの橋の手前で別れる。栄口の家はここからまだかかるのだという。橋の向こうにはまたたくさんの家があってその中のどれかに栄口が住んでいる。それだけでその町が輝いて、自分の手の届かないような場所であるかに見えた。
 水谷はしばらくじっと対岸を眺めた後、くるりと踵を返し来た道を引き返した。おかしい、まったくおかしい。たかが部活の仲間がいる町、それだけではないか。そう、それだけなのであって……。
(ただ川向こうにいくだけ。……こういうのってストーカー……?栄口に会ったらどうするんだよ。
それはラッキー!……じゃなくて散歩とでも言い訳すれば……そうですよねー、そうですよー!)

 自問自答しながら結局橋を渡り、栄口の住む町をうろうろしていると変な罪悪感がわきあがってきて、なんとなく近くにあったコンビニに逃げ込んだ。読んでいるつもりのジャンプの内容は頭の中にほとんど入ってこなかった。こんなことに利用されるなんてコンビニもたまったもんじゃないだろう。
(栄口に会いたいなぁ)
(ほらやっぱり下心があったんじゃないか)
 水谷はまた、ぐるぐると悩みだした。
(今何してるんだろう、さかえぐち……)
「……たに?」
「なんだ、やっぱり水谷じゃん。」
 声のしたほうに顔を向けるとそこに栄口がいたので、水谷は妄想の延長戦かと思ったのだけれど、お前さぁ、俺が外で手振ってんのにぜんぜん気づかないんだもん、別人かと思って中入ってきちゃったよ、と言ってグーで胸の辺りをこづかれて正気に戻った。
「つーかお前、なにしてんの?」
「……散歩?」
「なんで疑問形なんだよ」
 笑う栄口は妄想ではなく現実だ。俺を見る目、短く切った色素の薄い髪、この前着ていたグレーのパーカー、今日は手ぶら。ひとつひとつを確認するたびに、触れたい、自分のものにしたいと思う衝動は、異常なものだと水谷は分かっている。
「水谷、これから暇?」
「そうだけど。」
「じゃあ俺に付き合わない?」
「『俺と』付き合わない?」だったらいいなぁ……なんてありえないことを考えた。
 そのやましい気持ちを振り払って、なになに?どっかいくの?と尋ねたら、栄口はニカリと笑って、まぁついて来れば分かるよ、と言った。
 コンビニの中をさくさく歩く栄口のスニーカーを追って水谷は外へ出た。澄み渡る空の下、新しい空気を吸い込むと、さっきまで感じていなかった春のにおいがして、本気で自分はおかしくなっているんじゃないかと思った。
作品名:川を渡る 作家名:さはら