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川を渡る

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「いやー、ごめんなぁ」
 水谷は栄口が謝るのはこれで何度目かなぁと考えたけれど、思い出せなかった。
 二人がどこに行ったかというと、コンビニから歩いて10分くらいのところにあるまだ新しいスーパーだった。日曜であるということを念頭においても明らかに混み過ぎている店内に入る前に、水谷に1000円札を渡し、「サラダ油と、お醤油と、ティッシュを買ってくんない?」と言った栄口は、お一人様1個なんだよ協力してくれーと付け加え人の波の中へ飲み込まれていった。
 なるほど、こういうことですか……。
 自分を誘ってくれた栄口に淡い期待を抱いていたので水谷は少し落胆した。しかし、好きな人の頼みとあれば俺はなんだってやっちまうぜと気合を入れて自動ドアをくぐると、そこは戦場だった。主婦に親子連れ、おじいちゃんおばあちゃんまでもが皆目の色を変えて買い物をしていた。特に、頼まれた3つの商品の近くは身動きが取れないほどで、店員が補充していくその手からもぎとって醤油を持っていく人の姿に水谷は圧倒された。
 あぶらーしょうゆーてぃっしゅーと呪文のように繰り返し、ぎゅうぎゅう押されながらレジで勘定を済ませてなんとか外へ出ると、栄口は水谷よりスーパーの袋を2つ多くぶら下げ、いたって爽やかな笑顔で水谷を迎えた。
「……これおつり……。」
「おー、ありがとー!助かったー。」
 弟が直前にどっか逃げやがってさー、本当どうしようって思ってたんだよ。水谷に偶然会ってよかった。
 栄口の最後の一言で、先ほどの自分の苦労が報われた気がした。

 二人並んで歩き出すと、自分より多く荷物を持っている栄口が気になった水谷は1個持とうか?と声をかけた。その申し出に一瞬キョトンとして、マジでーなんか今日はサービスいいなぁと笑いながらネギのはみ出たビニール袋を水谷にひとつ渡した。
「つか、こんなに買い物するならチャリで来たほうがいいんじゃね?」
 水谷の問いに栄口は表情を曇らせてせつせつと語りだした。
「……今日みたいな日にさぁ、一度チャリで来たことあるんだけど、帰る途中でカゴから何か落ちて」
「うん」
「チャリ止めて拾いに行ってる間にチャリがひっくり返って」
「……。」
「卵が割れたんだ……」
 栄口が暗い顔つきをしているのがなんだかおかしくて、水谷は思わず笑ってしまった。
「そんなにおかしいか?」
「だって卵でしょー?そんな深刻になることないじゃん」
「お前はドロドロの卵を持って帰る悲しみがわかってないよ」
 栄口がとても真剣に訴えたので、水谷はいよいよ笑いをこらえることができなくなった。目の端に涙をためて笑う水谷を見たら、不思議に栄口も笑ってしまう。二人の笑い声が路地にこだました。


 このままじゃなんだからなんか飲み物でも飲んでく?という栄口の提案に至極自然なつもりでいいっすねーと答え、水谷はそのまま家の中に通された。
 初めて入った栄口の部屋はこざっぱりとしていた。机に科目ごとに教科書が並べてあるのがなんだか栄口らしいなぁと水谷は思った。窓から外を見ると、様々な色の屋根の奥を分けて、川が細く、遠くにあった。
「あっちの方が学校だよ」
 指差された方は薄く霞がかかっていてよく見えなかった。
 水谷はたぶん、と前置きをしたあと、栄口が学校と言った方向から少し手前の送電線と送電線の間を指でくるくる囲った。
「俺んちはあのへん」
「ぜんぜんわかんないな」
 窓ガラスへ顔を近づけて目を凝らす表情がかわいかった。すぐ近くに栄口がいて、自分の心臓の音が聞こえてしまわないか気が気じゃなかった。
作品名:川を渡る 作家名:さはら