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無音世界

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 人は全ての言葉を頭の中で組み立てて終えて発しているわけではない。いや、確かに組み立てて発してはいる。意識していない部分で、脳がそれを処理している。だが、必ずしも事前にそれをきちんと自らが飲み込んで、これでいいと思って口にするわけではない。口から出まかせ、勢いで何かを言う時、人は声にして相手に何かを伝えることと同時進行に、また自らもその内容を理解している場合もあると思うのだ。
 臨也は今目の前にいる静雄のように力で相手を丸めこむタイプというわけではない。寧ろ臨也の場合は言葉で惑わすタイプである。つまりは、極端に言えば臨也は司令塔の脳と声帯とそれから聴覚があれば済む。勢いで詰っても次の手を打てる。
 ところが、現状では例え口からついて出た詰った内容さえも分からない。それが分からなければ次の手も打てない。
 表情で読み取るにも無理があるだろう。例えば今何かを静雄に言って、彼が素直に怒りを面に出したとしよう。だが、彼の怒りを引きだす言葉は臨也にはごまんとある。それでは意味がない。
 考え込んで言葉を遣ってもいいが、それでも意味がない。返答に対してそれに即した答えができない。
 自分の最大の武器である言語が使えないと分かると、途端に臨也は自分の足元は脆くなったような気がした。知らず知らずのうちに血の気が引いていく。

「   」
 声は聞こえない。ただ、口の動きから何と無く静雄が口にした単語は分かった。それもそうだ、それは自分が『臨也』という名である限り、何度も繰り返される単語。己の記号。
 いつもであれば口喧しく言い返してくる自分がずっと噤んだままでいるので、流石に静雄も可笑しいと気付いたのだろう。眉間に皺を寄せて、訝しげに此方を窺う表情が浮かんでいた。
 拳は飛んでこない。逃げる気も失せた。
 臨也はきちんと伝わるかどうか分からないが、何かにすがる様に口を開いた。


――ねぇ、俺のたった五文字の言葉はきちんと届いてる?

(「聞こえない」 )



作品名:無音世界 作家名:佐和棗