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君と僕の六ヶ月

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 ぱしっと手ごたえがあった。阿部はミットの中のボールを見、それから18.44メートル先の投手を見た。投手板の上のその少年は、阿部の視線にびくりと肩を上げた。
 球威はない。だが妙な感触はミットの中に残っている。
 なんだこれ。
 口で説明できない、不思議な感情が阿部の体の奥から沸き起こる。マウンドに球を投げ返す。何度もミットの位置を変え、球の運びを確かめる。球半分ミットの位置をずらしても、まるで引き合う磁石のように滑らかな球筋で白い硬球はミットの中に吸い込まれるように収まった。体の芯が熱くなるのを、阿部はひしひしと感じた。最後の球を受けた瞬間、強くもないその衝撃が伝わる手のひらからぞくっと全身に鳥肌が広がる。
 もう一度、もう一度感じたい。それが何なのかを知りたい。泣きそうになりながらそれでも阿部の言うとおりに必死に腕を振りかぶる三橋に、阿部は何度も何度も投げ返した。受け止める回数が増えるだけ、その感触の答えと、興奮と、自分でも分からない衝動がミットと阿部の中に湧き上がった。
 今思えば、その時もう既に、阿部は三橋を好きになっていたのかもしれなかった。


§

 洗面台の隅に見慣れた容器が置いてあって、阿部はシャツを脱ぎ捨てようとした手を止めた。何気なくそれを手に取って振ってみる。随分軽い。
「アレ?」
 いつも使っているシャンプーだった。確か昨日使った時にはまだ随分と残っていたような気がする。首を傾げながら廊下に通りすがった母親を捉まえて聞いてみると、どうも先に風呂に入った弟が全部こぼしてしまったらしい。
「マジかよ……」
 部活はびっしりあった。汗はしっかりかいていて、特にキャッチャーメットを被っていた髪はぐしゃぐしゃだった。兄ちゃん汗くせーとか弟が笑いながら通りがかる。おまえなあ、くせーんならこぼすなっつーの!
 阿部はむっつりしながら脱ごうとしていたシャツを着直してキッチンに置いてあった財布を取る。どこかいくの、と母親に聞かれるから、「コンビニ」とだけ答えてさっさと玄関を出た。
 夏を迎えた空の空気はもうすっかり熱を持っていて、肌触りもじっとりと重かった。阿部はスニーカーの紐をぎゅっと締めなおしてから空を仰いだ。真っ暗な空に暗い雲が覆いかぶさっている。雨はまだ降らないだろう。少しだけ考えてから、家の前の道を左に行く。ジョギングがてら少し遠いコンビニへと走り出した。
 全身の筋肉がゆるゆると動き始めると、ふいに今日の部活のことが思い出された。今日の三橋は調子がよかった。球のスピードもだんだんと上がってきている気がする。なのにコントロールのあの冴えは全く落ちていない。あれは本当にすごい。走りながら、じんわり三橋の球の感触が蘇ってきた手のひらをぐっと握り締めた。消えるのが惜しかった。あの感触を忘れたくない。榛名のあのがむしゃらな球とも違う、三橋の球はずっと阿部が思い描いていたボールを持っている。
 街灯の下をゆっくりと走り抜けていく。やっぱりもう一つ遠いコンビニにしよう。そんなことを考えながら住宅街を走り抜ける。なんとなく足は学校の方へと向かっていた。
「あっ」
 暗い通りを曲がると、突然後ろから声がした。聞き慣れた、今さっき思い出してた声だった。
 阿部は足をゆっくりと止めて振り返る。暗くて顔は見えない人影が近づく。街灯の光の輪の中にその影が入ると、ふわふわした茶色い髪が現れた。釣り上がった大きな目と、驚いてまん丸になった口。三橋だった。
「あっ、あべ、くん」
「お、おう」
 三橋はアンダーシャツとジャージ姿だった。ずいぶんもう走っているのか、顔が赤くて汗がびっしょりだった。
「こんなとこで、どうしたの」
 コンビニに、と言おうとして「お前こそ」と返すと、三橋は真っ赤に上気した頬でへにゃりと笑った。
「ランニングしてんの?」
「う、うん」
「毎日?」
 聞くと、三橋はうっと声を詰まらせた。首をゆっくり横に振る。
「あ、あの、毎日じゃ、ない……よ。たまに。だけど、今日は、なんか走りたくて」
 三橋はそういいながら、自分の手をじっと見つめた。今まで不安定だった三橋の顔つきがきゅっと引き締まるのを阿部は見た。まるでマウンドに立って阿部のサインに頷く時のように。
「俺も。今日の、なんかすげぇよかったよ、お前」
 だからちょっと体動かしたくなった。そういうと、三橋はへろっとまた柔らかく笑った。オ、オレもそう思ってたんだ、なんて嬉しそうに頷く。阿部も顔には出さなかったけれど、無性に嬉しかった。三橋も同じ昂揚を覚えていた。ちゃんとバッテリーとして繋がっている気がする。一人で野球してるわけじゃない。シニアの頃と違う充実感が、この手のひらの中にしっかりと納まっていた。
「明日もがんばろうな」
 そんな月並みな言葉しか出てこない自分を少し歯がゆくも感じながら、阿部は三橋と並んで歩いた。どんぐらい走った?なんて聞こうと横を向いて、すぐ傍にある三橋の首筋に目が止まる。びっしょりかいた汗がだらだらと流れるように吹き出している。
「汗、拭いとけよ。風邪引くだろ」
「う、ん」
 歯切れの悪い答えに、阿部は、こいつはまた、と思う。
「三橋、タオル持ってきてるか?」
「う……あ、えっと」
「持ってきてねんだろ」
「……ハイ」
「バカ」
 財布と一緒に掴んだ小さなタオルで、阿部はがしがしとその首と濡れた髪を拭く。ついでに顔もそのまま拭いてしまう。三橋ならそんなに気にしないだろう。乱暴に拭き続けるうちに、なんだか手の下の皮膚は自分のより随分薄いような気がして阿部は急に手を止めた。ミニタオルを三橋の手の中に押し込める。
「おまえさぁ、走んのもいーけどそういうのちゃんとしとけよ」
「うん。ゴメンね」
 渡されたタオルで頬を拭きながら、三橋は小さく小首を傾げた。それはびくびくと相手の様子を窺っていた頃の癖なのかもしれなかった。なにか急に見ているのが息苦しくなって、阿部は目をそらす。
「水分取ってる?」
「え、う、うん」
「嘘だろ」
「うん」
「おーまーえーさー」
「うおっ、ご、ゴメンナサイ!」
 なんてことないいつもの会話なのに、暗い道の、やけに明るい街灯の下だと言葉も気持ちも詰まってしまう。阿部は逃げ道を探すようにあたりを見回した。街灯の下に黄色いポールが見えた。見覚えのある柵に目を留めてその奥を見る。整備された生垣の向こうはよく見えない。
「あそこ、公園じゃねえ? 水飲み場ぐらいあるかもしんない」
 阿部が指差す先を三橋の目が追う。三橋が小さく頷いた。
 案の定そこは本当に小さな公園だった。端のペンキが少しだけ剥げた緑のベンチと砂場と幼児用の小さな滑り台があるだけだった。水道はあったけれど飲めるかどうかは甚だ疑問だ。
 なのに三橋は阿部の後に何の疑問もないようにすたすた付いて歩いてくる。迷った挙句にベンチに座ると、ちょっとだけ間を置いて三橋も腰を下ろした。空を見上げる。
 阿部は同じように空を見上げてから、隣に座る横顔に目を移した。
「あ、ほ、星が」
「え?」
「あ、阿部君、今見た? 流れ星が」
「マジ?」
「うん、ほら、あの辺にね」
作品名:君と僕の六ヶ月 作家名:せんり