その愛ゆえに
「レイジ。」
「‥‥‥ム。」
冥に話しかけられて御剣の浅い眠りは中断した。どうやら、仕事中にうっかり眠り込んでしまったらしい。
「ごめんなさい、起こす気はなかったのだけれど。」
御剣のデスクの前で仁王立ちになっている冥を見つめた。別段、すまなそうな顔をしているわけでもない。
「あまりにもうなされていたようだから。」
――――うなされて。
御剣は髪をかきあげると椅子に深く腰かけなおした。
「あの、夢を、見たようだ。」
「‥‥違う。」
冥はやたらと冷たい目をして御剣を見つめ返してきた。彼女はいつからこんな目をするようになったのだろう。
「どれだけ長い間あなたを見てきてると思ってるの?目を見れば分かるわ、それくらい。あなたはあの夢にうなされているのではない。‥‥あの時よりもっと‥‥‥。」
「絶望的な顔、か?」
「分かっているなら‥‥なんとかしなさい。」
「キミが関わる問題ではないだろう。」
そう突き放すように言うと冥は一瞬傷ついたような顔をしてから怒ったように言った。
「あなたがいつまでも沈んでいると私も仕事がしにくいのよ!」
「?‥‥何故だ、キミと組んでいる仕事は今、無いように思ったが?」
それに仕事と私事は別、だ。どんなにアイツに溺れていても。それくらいは理解しているつもりだった。
「そういうことではなくて‥‥‥ッ!」
冥は僅かに顔を赤らめると左手にしたムチをしならせた。空気を切り裂く音がする。思わず身を固くしたトコロで冥の怒号が飛んだ。
「そういうことではないけれど‥‥と、とにかく、私が仕事に集中できないの!」
それだけ早口に言って大股でドアまで歩いていって外に出るとばたん、と大きな音をたててドアを閉めた。
(‥‥ワケが分からん。)
完璧な狩魔の一族であるはずの彼女がどうしてそのようなことで仕事に集中できなくなるのか。
御剣はため息をついた。‥‥冥の言っていることは、正しい。あの事件があってから御剣の悪夢は別の姿に形を変えた。情けない話だが再会して3年の間に本当にあのオトコを愛してしまっていたらしい。
――――ふられてはじめて気づくなんて、な。
七年前のあの日‥‥確か成歩堂が弁護士バッジを剥奪されてからすぐのことだったと思う。
(『御剣‥‥別れよう。』)
別に何も感じなかった。当たり前だ、成歩堂に押しきられるカタチで付き合うことになったのだから。成歩堂も立派な成人男性でしかも生まれついてのホモというわけでもない。大方、好きな女性でも出来たのだろう。ただ、自分が成歩堂に遊ばれていたのだ、ということはなんとなく分かって‥‥それはなんとなく辛かった。しかし、それは成歩堂が好きだから辛いのではなく自分のプライド故なのだろう、と。
(『そう、か。』)
成歩堂が好きがどうかも良く分からないまま、付き合っていたのだから文句を言う筋合いはない、同罪だ。‥‥いや、別れようとはっきりいった成歩堂の方がまだ罪が軽いだろう。‥‥‥そう思っていた、その時は。
ようやく間違いに気づいたのは成歩堂がいなくなってから暫くのことだった。いつも隣にあった温もりはもう、ない。夜中悪夢にうなされても背中をさすってくれる手はもう、なかった。
成歩堂のあの手、あの声、あの優しさ。‥‥自分を求める時のあの息遣いまで覚えているのに‥‥‥彼はもう、いない。顔だけが靄がかかったように思い出せない。
当たり前だ、と思っていた。だから自覚するのが遅れた。‥‥あの時、泣いて成歩堂にとりすがることだってできたのに‥‥‥。あるいはプライドの高さがそれを許さなかったかもしれないが、それでも。
私は成歩堂を愛しているのだ、と。
出来たではないか、伝えることくらいは。だが、それからキミには会っていない。――――そう、キミにとって私はただの遊びとしての存在だったのだから。
(――――ふぅ、なんとかなった、な。)
本日の審理を終えた御剣は首元のクラバットを緩めた。
(『なんだ、そのヒラヒラ?』)
(――――ヒラヒラ、か。)
成歩堂のそんな台詞を思い出して御剣は思わず苦笑する。そんなキミのくだらない一言までもが今は愛しい。
「おじさん!」
下から少女の声に呼ばれて御剣は視線を落とした。
「キミは‥‥‥。」
綾里真宵や綾里春美のような妙な格好をした少女には慣れているつもりだったが目の前の少女の出で立ちはさらに妙だった。なんというか‥‥魔術師?のような。
「おじさんではなく、お兄さん、だ。」
一応訂正してから御剣は聞いた。
「どうしたんだ?」
「うん!おじさんさー。」
学習能力のない子らしい。
「すごく変な格好してるからみぬきの仲間なのかな、って思ったの!」
‥‥‥変な格好?このクラバットのことだろうか。みぬきというのがこの少女の名前なのだろうか。いや、それより自分はこの怪しげな少女に仲間だと思われ‥‥‥。
「みぬき!」
その時前方から男性の声がした。
「パパ!」
みぬきと呼ばれた少女は跳ねるように声のした方向へ駆け出していく。どこかで聞いたことのある声だな、と思った御剣は顔をあげる。初めは思い出の中とあまりにも違う風貌をしたその人物が誰なのか分からなかったが彼が振り向いた瞬間、思い出の中の彼と重なり‥‥‥御剣は、驚愕した。
――――いつもと変わらない裁判所。いつもと変わらない裁判後。
――――いつもと違う、キミがいた。
「知らない人に話しかけちゃいけないって言っただろう、みぬき。」
「だってあの人、ヒラヒラしてて魔術師かな、って思ったんだもん。」
「ヒラヒラ?」
怪訝な顔をして彼は顔をあげる。
一瞬、視線が絡んだ。
「み‥‥‥御剣?」
「キサマ‥‥‥。」
懐かしい、声。しかしそれは御剣の覚えているものとは違った。この男に言ってやりたいことは沢山ある。
「キサマ‥‥七年も姿を眩ましておいて‥‥よく今更のこのこと私の前に姿を現せたものだな。今まで私がどれだけ‥‥‥‥!」
言いながら思い出した。もう自分はこの男の恋人でも何でもないのだ。こんなことを言う権利はもちろん、ない。御剣は唇を噛み締めた。
「見せしめ、のつもりだったんだ。」
思いがけず成歩堂がぽつりと語る。
「見せしめ、だと?」
成歩堂の顔にはなんの表情もうつっていない。ただ用意された台詞を淡々と喋っている、そんな印象まで受ける。
「あんたは十五年間もぼくを置き去りにして、その後一年失踪している。‥‥七年なんて大したことじゃないだろ?」
「私は私の意志で動いている。キサマの与り知るところではないだろう。」
「じゃあ、ぼくのこともあんたの与り知るところじゃ、ない。」
‥‥‥くそ。
成歩堂龍一は七年間で随分生意気になったようだ。‥‥七年前の成歩堂なら、御剣に『あんた』なんていう二人称は使わなかっただろう。
「それ、でも、私はッ!」
泣きたくなった。
「遊びで‥‥私を追いかけていた、キミと違って‥‥本気、だ。」
七年間も追いかけて‥‥やっと捕まえた男はこのザマ、か。
「キサマの十五年間と私の七年間とでは重みが、違う。」
「あそ、び?」
成歩堂はその言葉の意味が分からないとでも言いたげに眉をひそめた。
「御剣‥‥‥ぼくが本当に‥‥‥。」
「ねぇ、パパ‥‥‥。」
「‥‥‥ム。」
冥に話しかけられて御剣の浅い眠りは中断した。どうやら、仕事中にうっかり眠り込んでしまったらしい。
「ごめんなさい、起こす気はなかったのだけれど。」
御剣のデスクの前で仁王立ちになっている冥を見つめた。別段、すまなそうな顔をしているわけでもない。
「あまりにもうなされていたようだから。」
――――うなされて。
御剣は髪をかきあげると椅子に深く腰かけなおした。
「あの、夢を、見たようだ。」
「‥‥違う。」
冥はやたらと冷たい目をして御剣を見つめ返してきた。彼女はいつからこんな目をするようになったのだろう。
「どれだけ長い間あなたを見てきてると思ってるの?目を見れば分かるわ、それくらい。あなたはあの夢にうなされているのではない。‥‥あの時よりもっと‥‥‥。」
「絶望的な顔、か?」
「分かっているなら‥‥なんとかしなさい。」
「キミが関わる問題ではないだろう。」
そう突き放すように言うと冥は一瞬傷ついたような顔をしてから怒ったように言った。
「あなたがいつまでも沈んでいると私も仕事がしにくいのよ!」
「?‥‥何故だ、キミと組んでいる仕事は今、無いように思ったが?」
それに仕事と私事は別、だ。どんなにアイツに溺れていても。それくらいは理解しているつもりだった。
「そういうことではなくて‥‥‥ッ!」
冥は僅かに顔を赤らめると左手にしたムチをしならせた。空気を切り裂く音がする。思わず身を固くしたトコロで冥の怒号が飛んだ。
「そういうことではないけれど‥‥と、とにかく、私が仕事に集中できないの!」
それだけ早口に言って大股でドアまで歩いていって外に出るとばたん、と大きな音をたててドアを閉めた。
(‥‥ワケが分からん。)
完璧な狩魔の一族であるはずの彼女がどうしてそのようなことで仕事に集中できなくなるのか。
御剣はため息をついた。‥‥冥の言っていることは、正しい。あの事件があってから御剣の悪夢は別の姿に形を変えた。情けない話だが再会して3年の間に本当にあのオトコを愛してしまっていたらしい。
――――ふられてはじめて気づくなんて、な。
七年前のあの日‥‥確か成歩堂が弁護士バッジを剥奪されてからすぐのことだったと思う。
(『御剣‥‥別れよう。』)
別に何も感じなかった。当たり前だ、成歩堂に押しきられるカタチで付き合うことになったのだから。成歩堂も立派な成人男性でしかも生まれついてのホモというわけでもない。大方、好きな女性でも出来たのだろう。ただ、自分が成歩堂に遊ばれていたのだ、ということはなんとなく分かって‥‥それはなんとなく辛かった。しかし、それは成歩堂が好きだから辛いのではなく自分のプライド故なのだろう、と。
(『そう、か。』)
成歩堂が好きがどうかも良く分からないまま、付き合っていたのだから文句を言う筋合いはない、同罪だ。‥‥いや、別れようとはっきりいった成歩堂の方がまだ罪が軽いだろう。‥‥‥そう思っていた、その時は。
ようやく間違いに気づいたのは成歩堂がいなくなってから暫くのことだった。いつも隣にあった温もりはもう、ない。夜中悪夢にうなされても背中をさすってくれる手はもう、なかった。
成歩堂のあの手、あの声、あの優しさ。‥‥自分を求める時のあの息遣いまで覚えているのに‥‥‥彼はもう、いない。顔だけが靄がかかったように思い出せない。
当たり前だ、と思っていた。だから自覚するのが遅れた。‥‥あの時、泣いて成歩堂にとりすがることだってできたのに‥‥‥。あるいはプライドの高さがそれを許さなかったかもしれないが、それでも。
私は成歩堂を愛しているのだ、と。
出来たではないか、伝えることくらいは。だが、それからキミには会っていない。――――そう、キミにとって私はただの遊びとしての存在だったのだから。
(――――ふぅ、なんとかなった、な。)
本日の審理を終えた御剣は首元のクラバットを緩めた。
(『なんだ、そのヒラヒラ?』)
(――――ヒラヒラ、か。)
成歩堂のそんな台詞を思い出して御剣は思わず苦笑する。そんなキミのくだらない一言までもが今は愛しい。
「おじさん!」
下から少女の声に呼ばれて御剣は視線を落とした。
「キミは‥‥‥。」
綾里真宵や綾里春美のような妙な格好をした少女には慣れているつもりだったが目の前の少女の出で立ちはさらに妙だった。なんというか‥‥魔術師?のような。
「おじさんではなく、お兄さん、だ。」
一応訂正してから御剣は聞いた。
「どうしたんだ?」
「うん!おじさんさー。」
学習能力のない子らしい。
「すごく変な格好してるからみぬきの仲間なのかな、って思ったの!」
‥‥‥変な格好?このクラバットのことだろうか。みぬきというのがこの少女の名前なのだろうか。いや、それより自分はこの怪しげな少女に仲間だと思われ‥‥‥。
「みぬき!」
その時前方から男性の声がした。
「パパ!」
みぬきと呼ばれた少女は跳ねるように声のした方向へ駆け出していく。どこかで聞いたことのある声だな、と思った御剣は顔をあげる。初めは思い出の中とあまりにも違う風貌をしたその人物が誰なのか分からなかったが彼が振り向いた瞬間、思い出の中の彼と重なり‥‥‥御剣は、驚愕した。
――――いつもと変わらない裁判所。いつもと変わらない裁判後。
――――いつもと違う、キミがいた。
「知らない人に話しかけちゃいけないって言っただろう、みぬき。」
「だってあの人、ヒラヒラしてて魔術師かな、って思ったんだもん。」
「ヒラヒラ?」
怪訝な顔をして彼は顔をあげる。
一瞬、視線が絡んだ。
「み‥‥‥御剣?」
「キサマ‥‥‥。」
懐かしい、声。しかしそれは御剣の覚えているものとは違った。この男に言ってやりたいことは沢山ある。
「キサマ‥‥七年も姿を眩ましておいて‥‥よく今更のこのこと私の前に姿を現せたものだな。今まで私がどれだけ‥‥‥‥!」
言いながら思い出した。もう自分はこの男の恋人でも何でもないのだ。こんなことを言う権利はもちろん、ない。御剣は唇を噛み締めた。
「見せしめ、のつもりだったんだ。」
思いがけず成歩堂がぽつりと語る。
「見せしめ、だと?」
成歩堂の顔にはなんの表情もうつっていない。ただ用意された台詞を淡々と喋っている、そんな印象まで受ける。
「あんたは十五年間もぼくを置き去りにして、その後一年失踪している。‥‥七年なんて大したことじゃないだろ?」
「私は私の意志で動いている。キサマの与り知るところではないだろう。」
「じゃあ、ぼくのこともあんたの与り知るところじゃ、ない。」
‥‥‥くそ。
成歩堂龍一は七年間で随分生意気になったようだ。‥‥七年前の成歩堂なら、御剣に『あんた』なんていう二人称は使わなかっただろう。
「それ、でも、私はッ!」
泣きたくなった。
「遊びで‥‥私を追いかけていた、キミと違って‥‥本気、だ。」
七年間も追いかけて‥‥やっと捕まえた男はこのザマ、か。
「キサマの十五年間と私の七年間とでは重みが、違う。」
「あそ、び?」
成歩堂はその言葉の意味が分からないとでも言いたげに眉をひそめた。
「御剣‥‥‥ぼくが本当に‥‥‥。」
「ねぇ、パパ‥‥‥。」