旅立ちの日は
「準備出来た?」
ドアをカチャリと開けて成歩堂が顔を出す。
「あ、うん。」
真宵はスーツケースをひいて成歩堂の元に駆け寄った。
「‥‥それだけ?少ないね。」
「うん。いらないもの処分したら、こんなもんだったよ。」
そう言って真宵はもう一度成歩堂法律事務所を見回した。‥‥今日から真宵は霊媒師の修業に戻る。この事務所とも、しばしのお別れ。
‥‥もちろん、成歩堂とも。
「自分のものが無くなった事務所って、なんか別の場所みたいだね。」
まるで真宵がやって来たばかりの事務所。‥‥あの日、千尋が真宵の目の前から姿を消してしまってからも真宵を受け入れてくれたのはこの事務所、だった。
ここを中心に生活が回っていって、もう三年。そんなこの事務所でも真宵の私物が無くなってしまうと‥‥。
「なんか、あたしの居場所‥‥無くなっちゃったみたい。」
成歩堂が驚いたように口を開く。
「電車でちょっとじゃないか、大袈裟だな。それに真宵ちゃんの居場所は、いつだってここだよ。」
「分かってるよ、なるほどくん。分かってるんだけど‥‥。」
真宵は悲しげに笑ってみせた。
「すごく、辛いんだ。」
映画のポスター、デスク、本棚、ソファー、テーブル、チャーリー君、そして‥‥なるほどくんとの思い出。初めて来たときから増えているのはなるほどくんとの思い出だけなのに、それが生活の一部になってしまっていただけに胸が痛い。
「真宵ちゃん‥‥そんなに辛いなら‥‥どうして‥‥。」
成歩堂がたまらなく寂しそうな顔をする。真宵はそんな彼を見たくなくて目を伏せた。
「なるほどくん、これはあたしが決めたことだから、最後までやりとげる。‥‥止めないで、ね?」
(あたしは、大丈夫。‥‥だからそんな顔しないで、なるほどくん。)
そんな顔されたら、ますます行きにくくなる。
「止めないよ‥‥、止めないさ。」
成歩堂は自分に言い聞かせるようにゆっくりと呟く。
「立派な霊媒師になって、そうしたらいつでも戻ってきて、良いよ。」
「‥‥うん。」
何度も何度も助けてもらったのに、そういう大きな思い出は心に残らなくて‥‥今、こうやって思い出すのは、この場所でなるほどくんと笑って、喧嘩して、お菓子食べて、仲直りして‥‥そんな些細なことばっかり。
でも、そんななるほどくんとの思い出がたくさん詰まった事務所だから、好きになれた。
「じゃあ、味噌ラーメンでも食べてから駅に行こうか。」
そう言ってスーツケースを引っ張る成歩堂の腕を真宵は掴んで引き留めた。
「ま‥‥待った。」
「?」
不思議そうに成歩堂が振り返る。
「どうしたの?」
今更、こんなことを言っても、怒らないですか、なるほどくん‥‥。
「‥‥あたしね、最初、この事務所、好きじゃなかった。‥‥なるほどくんのことも。お姉ちゃんが死んじゃった所だし、なるほどくんもあたしのこと疑ってたみたいだし。」
それでも今、こんなにここが好きになれたのは、なるほどくんのおかげだ、と。
「でもね、最後はなるほどくん、あたしのこと、信じてくれた。それで三年間、この事務所にいて、なるほどくんとの思い出、たくさん出来た。‥‥だからあたしは今、成歩堂法律事務所も、そこで仕事してるなるほどくんも、そこにあるなるほどくんとの思い出も大好き。」
本当に、別れると言う時になって、今更。
「ごめんね。これだけはいっておかなくちゃ、って思って‥‥。」
真宵は顔を紅くして俯いた。
そんなあたしの居場所が無くなってしまうのはたまらなく寂しい。‥‥それこそ、泣いてしまいたくなるほど。
‥‥言い切ってしまうと、涙が溢れそうになって、真宵は上を向いた。成歩堂はそんな真宵の肩をポンポンと叩く。
「そんな辛そうな顔、するなよ。‥‥ぼくはね、辛くない。真宵ちゃんがいなくなっても、この事務所に真宵ちゃんとの思い出がたくさん詰まっているからね。それにホラ‥‥。」
続いて、自分の胸を叩く。
「ここにも、真宵ちゃんとの思い出がある。」
驚いたように顔をあげると、そこにはいつもの成歩堂の笑顔があった。‥‥そんな笑顔を見ていると、こらえていた涙が溢れてくる。
「うう‥‥‥‥。なるほどくーん‥‥。」
「あー、だから、もう泣くなって‥‥。ぼくはキミの泣き顔に弱いんだから‥‥。」
「ま、まだ泣いてないもん!」
真宵はしゃくりあげた。成歩堂はますます困ったような顔をする。‥‥でも、彼は決して涙を流さない。
「なるほどくんは、強いね。」
(本当になるほどくんはあたしがいないとダメなんだから。)
いつか別れる時にいった台詞。
――――大嘘。
彼がいないとダメなのは自分の方だった。気付いたところで、もう‥‥どうしようも、ない。
なるほどくんがいたから‥‥元気でいられた、前向きでいられた、苦しい日も楽しい日になった、笑顔でいられた。‥‥なのに、それなのに。‥‥これから彼がいなくなってしまったら、あたしはどうなってしまうのだろう。
「‥‥強くなんか、ないよ。でも、真宵ちゃんとの三年分の思い出が残っているからね。‥‥寂しくなんか、ないよ。」
そういう成歩堂の顔はとても寂しそうだった。
「‥‥嘘、だ。」
「‥‥バレた?」
成歩堂はペロッと舌を出す。
「‥‥嘘は、下手なんだ。」
‥‥勾玉なんて使わなくても分かる。寂しくないんだったら、あんな顔は、しない。
「ぼくは強いんじゃなくて、強がりなんだ。‥‥辛くないけど、やっぱり寂しいよ‥‥。」
成歩堂も同じなのだ、と気づいて真宵は少し安心して笑う。これで、真宵だけが寂しくて泣いていたりしたのだったら、冗談にならない。
「だから、さ。」
成歩堂は少し恥ずかしそうに頭を書きながら呟く。
「一人前にならなくても、辛くなったら、たまに戻ってきてよ。多分、その時には、ぼくも辛くなってるんだろうし‥‥真宵ちゃんのモノが無くなっても、この事務所に真宵ちゃんの居場所はあるし‥‥それに、さ‥‥‥‥あの‥‥‥‥。」
「ナニ?」
真宵の問いに成歩堂は顔を真っ赤にして答えた。
「この事務所じゃなくても‥‥ぼくの隣が真宵ちゃんの居場所、だろ?」
「なるほどくん‥‥‥‥。」
全身が熱くなるのが嫌でも分かった。
「な、ナニ言ってるの?‥‥いや、確かにそりゃ、そうだけどさ‥‥。」
もちろん、否定はできない。なるほどくんがあたしの隣にいて、あたしの隣になるほどくんがいて。‥‥いつの間にかそれが当たり前の日常になっていた。
成歩堂が呟く。
「ぼくはさ、真宵ちゃんがいるのが当たり前だと思ってた。でも、ヒトって当たり前が無くなると、こんなに苦しいものなんだね。前はこの事務所に千尋さんがいるのが当たり前だと思ってた。」
真宵も大きく頷く。
「あたしも。‥‥でも、ヒトって寂しいのに慣れちゃうものなんだよ。お姉ちゃんがいないことさえも、いつの間にか当たり前になっちゃうんだよね。」
いつか空いている成歩堂の隣を埋めるものが現れれば、真宵がいないのもきっと当たり前になってしまう。‥‥そうしてヒトは変わっていく。良い方へも、悪い方へも。
でも、なるほどくんには変わらないでいてほしい。例え、そんなこと無理だと分かっていても。
――――どうか、その胸には‥‥かわらずにあたしを‥‥。
ドアをカチャリと開けて成歩堂が顔を出す。
「あ、うん。」
真宵はスーツケースをひいて成歩堂の元に駆け寄った。
「‥‥それだけ?少ないね。」
「うん。いらないもの処分したら、こんなもんだったよ。」
そう言って真宵はもう一度成歩堂法律事務所を見回した。‥‥今日から真宵は霊媒師の修業に戻る。この事務所とも、しばしのお別れ。
‥‥もちろん、成歩堂とも。
「自分のものが無くなった事務所って、なんか別の場所みたいだね。」
まるで真宵がやって来たばかりの事務所。‥‥あの日、千尋が真宵の目の前から姿を消してしまってからも真宵を受け入れてくれたのはこの事務所、だった。
ここを中心に生活が回っていって、もう三年。そんなこの事務所でも真宵の私物が無くなってしまうと‥‥。
「なんか、あたしの居場所‥‥無くなっちゃったみたい。」
成歩堂が驚いたように口を開く。
「電車でちょっとじゃないか、大袈裟だな。それに真宵ちゃんの居場所は、いつだってここだよ。」
「分かってるよ、なるほどくん。分かってるんだけど‥‥。」
真宵は悲しげに笑ってみせた。
「すごく、辛いんだ。」
映画のポスター、デスク、本棚、ソファー、テーブル、チャーリー君、そして‥‥なるほどくんとの思い出。初めて来たときから増えているのはなるほどくんとの思い出だけなのに、それが生活の一部になってしまっていただけに胸が痛い。
「真宵ちゃん‥‥そんなに辛いなら‥‥どうして‥‥。」
成歩堂がたまらなく寂しそうな顔をする。真宵はそんな彼を見たくなくて目を伏せた。
「なるほどくん、これはあたしが決めたことだから、最後までやりとげる。‥‥止めないで、ね?」
(あたしは、大丈夫。‥‥だからそんな顔しないで、なるほどくん。)
そんな顔されたら、ますます行きにくくなる。
「止めないよ‥‥、止めないさ。」
成歩堂は自分に言い聞かせるようにゆっくりと呟く。
「立派な霊媒師になって、そうしたらいつでも戻ってきて、良いよ。」
「‥‥うん。」
何度も何度も助けてもらったのに、そういう大きな思い出は心に残らなくて‥‥今、こうやって思い出すのは、この場所でなるほどくんと笑って、喧嘩して、お菓子食べて、仲直りして‥‥そんな些細なことばっかり。
でも、そんななるほどくんとの思い出がたくさん詰まった事務所だから、好きになれた。
「じゃあ、味噌ラーメンでも食べてから駅に行こうか。」
そう言ってスーツケースを引っ張る成歩堂の腕を真宵は掴んで引き留めた。
「ま‥‥待った。」
「?」
不思議そうに成歩堂が振り返る。
「どうしたの?」
今更、こんなことを言っても、怒らないですか、なるほどくん‥‥。
「‥‥あたしね、最初、この事務所、好きじゃなかった。‥‥なるほどくんのことも。お姉ちゃんが死んじゃった所だし、なるほどくんもあたしのこと疑ってたみたいだし。」
それでも今、こんなにここが好きになれたのは、なるほどくんのおかげだ、と。
「でもね、最後はなるほどくん、あたしのこと、信じてくれた。それで三年間、この事務所にいて、なるほどくんとの思い出、たくさん出来た。‥‥だからあたしは今、成歩堂法律事務所も、そこで仕事してるなるほどくんも、そこにあるなるほどくんとの思い出も大好き。」
本当に、別れると言う時になって、今更。
「ごめんね。これだけはいっておかなくちゃ、って思って‥‥。」
真宵は顔を紅くして俯いた。
そんなあたしの居場所が無くなってしまうのはたまらなく寂しい。‥‥それこそ、泣いてしまいたくなるほど。
‥‥言い切ってしまうと、涙が溢れそうになって、真宵は上を向いた。成歩堂はそんな真宵の肩をポンポンと叩く。
「そんな辛そうな顔、するなよ。‥‥ぼくはね、辛くない。真宵ちゃんがいなくなっても、この事務所に真宵ちゃんとの思い出がたくさん詰まっているからね。それにホラ‥‥。」
続いて、自分の胸を叩く。
「ここにも、真宵ちゃんとの思い出がある。」
驚いたように顔をあげると、そこにはいつもの成歩堂の笑顔があった。‥‥そんな笑顔を見ていると、こらえていた涙が溢れてくる。
「うう‥‥‥‥。なるほどくーん‥‥。」
「あー、だから、もう泣くなって‥‥。ぼくはキミの泣き顔に弱いんだから‥‥。」
「ま、まだ泣いてないもん!」
真宵はしゃくりあげた。成歩堂はますます困ったような顔をする。‥‥でも、彼は決して涙を流さない。
「なるほどくんは、強いね。」
(本当になるほどくんはあたしがいないとダメなんだから。)
いつか別れる時にいった台詞。
――――大嘘。
彼がいないとダメなのは自分の方だった。気付いたところで、もう‥‥どうしようも、ない。
なるほどくんがいたから‥‥元気でいられた、前向きでいられた、苦しい日も楽しい日になった、笑顔でいられた。‥‥なのに、それなのに。‥‥これから彼がいなくなってしまったら、あたしはどうなってしまうのだろう。
「‥‥強くなんか、ないよ。でも、真宵ちゃんとの三年分の思い出が残っているからね。‥‥寂しくなんか、ないよ。」
そういう成歩堂の顔はとても寂しそうだった。
「‥‥嘘、だ。」
「‥‥バレた?」
成歩堂はペロッと舌を出す。
「‥‥嘘は、下手なんだ。」
‥‥勾玉なんて使わなくても分かる。寂しくないんだったら、あんな顔は、しない。
「ぼくは強いんじゃなくて、強がりなんだ。‥‥辛くないけど、やっぱり寂しいよ‥‥。」
成歩堂も同じなのだ、と気づいて真宵は少し安心して笑う。これで、真宵だけが寂しくて泣いていたりしたのだったら、冗談にならない。
「だから、さ。」
成歩堂は少し恥ずかしそうに頭を書きながら呟く。
「一人前にならなくても、辛くなったら、たまに戻ってきてよ。多分、その時には、ぼくも辛くなってるんだろうし‥‥真宵ちゃんのモノが無くなっても、この事務所に真宵ちゃんの居場所はあるし‥‥それに、さ‥‥‥‥あの‥‥‥‥。」
「ナニ?」
真宵の問いに成歩堂は顔を真っ赤にして答えた。
「この事務所じゃなくても‥‥ぼくの隣が真宵ちゃんの居場所、だろ?」
「なるほどくん‥‥‥‥。」
全身が熱くなるのが嫌でも分かった。
「な、ナニ言ってるの?‥‥いや、確かにそりゃ、そうだけどさ‥‥。」
もちろん、否定はできない。なるほどくんがあたしの隣にいて、あたしの隣になるほどくんがいて。‥‥いつの間にかそれが当たり前の日常になっていた。
成歩堂が呟く。
「ぼくはさ、真宵ちゃんがいるのが当たり前だと思ってた。でも、ヒトって当たり前が無くなると、こんなに苦しいものなんだね。前はこの事務所に千尋さんがいるのが当たり前だと思ってた。」
真宵も大きく頷く。
「あたしも。‥‥でも、ヒトって寂しいのに慣れちゃうものなんだよ。お姉ちゃんがいないことさえも、いつの間にか当たり前になっちゃうんだよね。」
いつか空いている成歩堂の隣を埋めるものが現れれば、真宵がいないのもきっと当たり前になってしまう。‥‥そうしてヒトは変わっていく。良い方へも、悪い方へも。
でも、なるほどくんには変わらないでいてほしい。例え、そんなこと無理だと分かっていても。
――――どうか、その胸には‥‥かわらずにあたしを‥‥。