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スキのない裁判。
完璧な立証。
それはあの日の裁判と同じものだろうか。
いや、違う―――。
あの裁判より、さらに冷酷で非情に。でもきちんと筋は通っている。彼らしいといえば彼らしいだろう。
御剣‥‥怜侍―――。
千尋はパタン、とファイルを閉じると有罪判決に終わった裁判から目を逸らして傍聴席を立ち上がった。
―――あの裁判から二ヶ月。千尋は弁護の依頼を受けられないでいた。‥‥母を破滅させた男を探し出すために弁護士になった。立ち止まっているヒマなどないことくらい‥‥分かっている。
けれども弁護席にたつとあの時の光景が蘇るような気がして――――。
そんな恥を晒してまでも進むことができない私のなんと愚かで惨めなことか。
それに比べて同じ傷を負ったはずの御剣はあれから多くの公判を担当し、有罪判決を生み出している。
『検事局きっての天才検事』
そんな言われ方ならまだ、いい。
『有罪判決生産機』
彼の才能を疎ましく思う人の中にはそういう人もいる。
―――でもそれは彼の本当の姿ではない、と千尋は思うのだ。彼は唯、有罪判決を求めているのではない。念には念を入れて調査した結果の起訴。だからこそ、彼はあんなにも堂々と胸を張って法廷で罪を立証出来るのではないか。
―――それに比べて私は―――依頼人を信じること、すら。
信じた結果がアレ、ならば。
私が立証していったことが彼の命を奪う原因となったならば‥‥弁護士、なんて―――。
(‥‥‥はあ。)
裁判所を出た千尋は小さくため息を吐くとどんより曇った空を見つめた。ポツリ―――また、ポツリと冬の雨が降ってくる。一粒が千尋の顔の上にのり頬を伝って顎から滴り落ちた。
どうして彼はあんなにも強くあれるのか―――。きっと、その答えが見つかるまで御剣の裁判を傍聴し続けるのだろう。
―――彼に『何か』を求めて。
雨は瞬く間に土砂降りになった。必然的に千尋はびしょ濡れになる。
(もう―――。)
放っておいて欲しい。雨さえも私をこの世界から逃れさせてはくれないのか。こんな惨めで無様で醜くて―――そんな私にはもう構わないで欲しいのに―――。
その時後ろから若い男女の声が聞こえた。
「レイジ、素晴らしかったわ。今日の裁判も。」
「そうか、そういえば君も検事になったのだな。」
「ええ。これからアメリカに帰ってすぐ裁判よ。」
「頑張ってくれ。あ、先生はアメリカにいるのか。」
「ええ。」
「じゃあ、宜しく伝えておいてくれ。‥‥それじゃあ。」
「ええ、またね。」
後ろの方で交わされていた会話が途切れると車の発車音がした。と、同時に千尋の頭上に傘がかざされる。
―――相手は、分かっていた。
「さて、こんなところでずぶ濡れの理由を聞こうか、綾里弁護士‥‥。」
(それでも―――。)
それでも彼はこんな無様な私を放っておいてはくれないのか。
振り返った先にはもちろん御剣怜侍。
―――雨の音が、した。


「す、すみません。」
タオルを渡されて千尋は申し訳なさそうに髪を拭いた。
御剣怜侍の部屋は天才検事と呼ばれるそれには相応しい造りだった。
(星影センセイの事務所‥‥いや、それ以上かも‥‥。)
千尋は落ち着かなくなって腰をモゾモゾ動かした。その座っているソファーにしたってかなり高級なものだろう。
「あの‥‥私、こんなところにいたらアレですよね。アレ‥‥。」
「そうだな。」
御剣は奥にあるティーセットを取り出しながら呟いた。
「検事と弁護士が同じ部屋で話しているというだけでアレだが、それが検事局の私の執務室で相手が若い女性となれば‥‥余計にそのようなアレ、だろうな。」
「あ、じゃあ私‥‥そのようなアレなので‥‥帰りますから‥‥。」
もう、これ以上―――私の醜い部分を他人に晒したく、ない。
慌てて荷物をまとめる千尋に御剣は呼び掛けた。
「千尋さん。」
「は、はい。」
名前で呼ばれて驚きのあまり立ち止まってしまう。
「紅茶はアールグレイとダージリン、どちらがお好みだろうか。」
「あ、いえ‥‥私は。」
断ろうとする千尋に御剣は尚も問いかける。
「私はアールグレイの方が香りが高くて好きなのだが。」
(私、コーヒー派なんだけど。)
「‥‥じゃあ、アールグレイで。」
千尋は諦めたようにソファーに座った。
(まあ‥‥いいか。)
どうせ彼と話したかったのも事実、だ。そうでなければ御剣の裁判ばかり傍聴するわけも、ない。
―――私をこの法曹界に繋ぎ止めているのは彼一人、なのだから。


暫くして、千尋の前に一杯の紅茶が置かれた。
(紅茶って本当に紅いのね‥‥。)
そう心の中で呟くと千尋は目の前の紅い検事を見つめた。
「すみません‥‥わざわざ。」
「いや、この寒い冬の日に雨でずぶ濡れになってカゼを引かれても困るので、な。」
紅茶を一口すすると暖かい香りが千尋の中を満たした。
「で。」
御剣は机の上の書類を隅に寄せると椅子に座って聞いた。
「今日はまた、どうしてあんなところでずぶ濡れになっていたのだろうか?」
「あ、いえ‥‥。」
‥‥言うには少し恥ずかしい。
「それに貴女はあの裁判から全く仕事を引き受けていないようだが。」
「それは‥‥。」
うつむいてから千尋ははっと気づいた。そういえばどうして――――。
(どうして彼、が―――。)
「どうして御剣検事がそんなことを知っているんですか?」
特に親しい訳でもないのに、検事が弁護士の仕事の状況を知っているなんて不自然だ。
御剣は少し目を逸らして答えた。
「あの裁判‥‥私に責任がある。キズを負った弁護士を立ち直らせるくらい、私の仕事だ、と思うが?」
「え―――?」
―――驚き、だった。
(ずっと‥‥見られてたんだ。)
このところ、その辺の弁護士ならば喜んで飛び付きそうな仕事が多く回ってくると思ったら―――。そういうこと、だったのか。‥‥まさか、御剣が‥‥。
それでも千尋はあの裁判から全く仕事をしていない。‥‥答えが見つからないまま前に進んでも意味を成さない、と思ったから。
御剣はわずかに紅に染まった顔を上げる。
「それでも貴女は仕事をしなかった。そのくせ裁判所に来るとは‥‥どういう風の吹き回し、だ?」
千尋はティーカップをソーサーの上に置くとため息をついた。
「貴方の裁判を‥‥傍聴していたんです。」
「何‥‥?」
「今日だけじゃない。貴方の公判は全て見ています。普通の検事の仕事のペースじゃありません。貴方は私と同じ傷を負っているはずなのに、どうしてそんなに強くあれるのか‥‥その理由が‥‥知りたい。」
御剣は暫く目を丸くしていたがやがて小さく呟いた。
「‥‥強くある、か‥‥。何度、そう望んだろうな。」
「え?」
御剣の呟きに千尋は思わず聞き返す。
「私は強くあろうとしているが決して強い訳ではない。‥‥もし本当に私が強かったら検事などにはならなかっただろう。だが、私は弱かった。だから‥‥検事になったのだ。」
法廷では見ることのできない御剣の苦悩する表情。
(こんな――――。)
弱気な表情も見せるんだ。
「検事になったのは目的がある。その目的の為にも‥‥‥目の前に進むべき道が伸びている以上‥‥過去を振り返り、立ち止まる訳にはいかないのだ。」
―――DL6号事件。
作品名: 作家名:ゆず