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頭が忙しい

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 7組の教室、花井か阿部を探し辺りを見回すと、窓際の後ろの席からへらへらと笑い手を振る水谷の視線に気がつき、栄口は呼ばれたほうへ近づいた。
 出しっぱなしの教科書とノートにだらしなく書かれている文字に脇を飾る変な落書き。
「花井は?」
「知らない」
「阿部は?」
「わかんない」
 じゃあ待つか、と栄口は持っていた一枚の紙を水谷の机の上に置いた。水谷の手が窓辺に伸びて、ストローが刺さった飲みかけの紙パックを手元によせると、その紙をじっと眺めた。
 栄口は野球部の連絡網の作成を任されていた。ツリー状の表に一人ずつ名前と電話番号を記入してもらい、さっき同じクラスの巣山に書いてもらったのを最後に、ようやく完成したものを花井に渡す予定だった。
 水谷は、俺阿部から回ってくるのヤダなぁ、泉に回すの忘れそうだなぁ、と勝手なことをつぶやき、今度は部員の名前を一字ずつ声に出して読んだ。
 す、や、ま、しょー、じ。た、じ、ま、ゆー、いち、ろー。
 栄口には水谷が何のためにそんなことをするのか全く意図が掴めなかったが、頬杖をついたまま口をパクパク動かす動作は滑稽だった。
 さ、か、え、ぐ、ち、ゆー、と。
 声に弾かれて水谷を見ると、にやりと笑い、また繰り返した。
 さ、か、え、ぐ、ち、ゆー、と。
「何がおかしいんだよ?」
「つか『ゆうと』で合ってる?栄口の名前」
「そーだけど」
「俺はふみきです。」
 そうですか。
 水谷と話すのは正直力が抜ける。話の腰がカクンと折られる感じがする。栄口は連絡網に書かれた名前をまた奇妙なリズムで読み返す水谷に内心少し毒づいた。
「飲むー?」
 差し出されたイチゴ味の牛乳をありがとうと言って受け取り、ストローを口につけた。甘い。
 窓からは体育の授業を終えた生徒たちが校舎のほうに向けてだらしなく歩いてくる姿が見えた。もう半そでの格好をしている人もいる。ジャージの色から判断してあれは2年生だな、とぼんやり思っていると、ふと水谷からさっきまでの声が聞こえなくなっていた。
 栄口がどうしたものかと視線を水谷に戻すと、水谷は連絡網が書かれた紙に何か一生懸命に書いていた。よく目を凝らす。すると栄口勇人と書かれた名前の横に不器用な形のハートマークが付け足されていた。
「お、お前何やってんだよ!」
「えー、いいじゃん」
「何がいいんだよ!しかも油性ペンで書いたな!」
「そんなに怒るなよぉ」
「これコピーしてみんなに回すんだよ!」
「あらまぁ」
「修正液は!?」
 俺持ってないよぉ。へらりと笑ったその顔を視界の隅で捕らえ、栄口は修正液を取りに1組へと急いだ。
(あの野郎〜)
 筆箱の中から乱雑に修正液を探し、憎らしげに掴み取るとその足で7組へと向かう。廊下ですれ違った巣山と「どうしたー?」「後で話すー!」なんてやり取りをした後、再び入った7組。水谷は春の日差しに照らされながらのん気にいちご牛乳をすすっていた。
 息を切らして教室に現れた栄口に気がついた水谷は、また気だるげに手を振った。
「……花井は?」
「知らない」
「……阿部は?」
「わかんない」
 おいおいさっきと同じこと、なんでやってるんでしょうね。
「お前さぁ、どうしてこういうことするんだよ……」
 栄口は不機嫌に修正液を上下に振った。向かいに座った水谷はそ知らぬ顔で
「好きな子にはいじわるしちゃうってアレですよ」
と冗談めかして言った瞬間、栄口が握り締めたペン先からぐにゃりと余分に白が出た。紙の上に広がった修正液をなんとか伸ばし、不恰好なハートを塗りつぶす。黒をなぞっただけの白い線はまだハートを描いていたので、栄口はこれじゃなんのフォローにもならない、と周りを丸く囲って塗りつぶした。結果として自分の名前の横だけ変にでこぼこしている名簿ができあがってしまった。
「……怒ってる?」
「別に」
「ふつーに怒ってるじゃん!」
 それ花井に渡しといて。栄口はそう言い放って水谷の顔を見ずに踵を返した。後ろのほうからさかえぐち〜なんて情けない声が聞こえてきたのはとりあえず無視しておいた。
作品名:頭が忙しい 作家名:さはら