煉獄
ex. S.H.
「はぁ……」
今日の坂上はどこかおかしい。部室にやってきてからずっと心ここにあらずといった様子でため息ばかりついている。
「はぁ……」
ちなみに、これで十二回目だ。時が経つにつれ間隔が狭まってきている。
原稿を書く手は先程から止まったまま、視線はぼんやりと窓の外へ向けられていた。
「おい、坂上」
──放っておけば、坂上は二度とこちら側に戻ってこないんじゃないか。
俺は心配になって思わず声をかけた。
「え、あっ、何ですか?」
「さっきからため息ばかりついて、一体どうしたんだ?何か悩みでもあるのか」
「それは……」
「俺でよければ、相談にのってやるよ」
坂上はしばらく言い淀んでいたが、やがて意を決したように打ち明けた。
「実は最近、気になる人がいて……」
「何だって!?」
聞き捨てならない。
顔を赤らめ目を潤ませて俯く坂上に、俺は動揺のあまり身を乗り出して詰め寄った。
「気になるって、どこのどいつだ。俺の知っている奴か?」
「は、はい」
坂上は驚いて首をすくませながらも、馬鹿正直にこっくり頷く。
「誰だ?」
俺に話せる、ということは、残念だが俺ではないのだろう。
ならばやはり荒井か?それとも新堂か?まさか風間じゃないだろうな……!?
思いつく人物を頭の中に並べていると、坂上は恥ずかしそうに視線を逸らし予想外の名を口にした。
「あの、倉田さんってかっこいいですよね!」
「……は?」
倉田?俺の知人に倉田なんて男はいない。ということは……。
「もしかしてそれは倉田恵美のことか?」
「はい!彼女、しっかりしてて元気で、しかもすごく強いんですよ!この間なんて、自分よりかなり背の高い変質者を投げ飛ばしてたんですから!僕、それを見てドキドキしちゃって……これが恋なのかなって!」
──そうだった。こいつは自分を男だと思い込んでいるんだった。女に走る可能性だってあるんじゃないか。俺としたことが、うっかり見落としていた。
「く、倉田はやめておいた方がいいんじゃないか?」
「どうしてですか?」
「いや、何と言ったらいいか……とにかくあいつはお前には合わないだろ」
「……そうですよね。僕なんかじゃ、倉田さんに釣り合いませんよね……」
「いや、そういう意味じゃない」
嗚呼。勝手な解釈をして落ち込む坂上に、言ってやりたい。
お前は女なんだ。倉田も女だ。それじゃ同性愛になってしまうぞ、と。
「坂上。変質者が怖いなら、俺がお前を守ってやる。だから倉田は……」
「先輩、大丈夫ですよ。僕は男ですし」
「いや、最近の変質者は男でも見境なく襲うんだ」
「えぇっ!?」
「そういうわけだから今日は一緒に……」
「大変だ、昭二さんが危ない!」
「は?」
「すみません日野先輩、昭二さんが心配なので僕はこれで帰ります!」
「え、いや、ちょっ……坂上!?」
すごい勢いで帰り支度を調え去って行く坂上を、俺はただ呆然と見送った。
「な……何故なんだ坂上ぃ……っ!!」