Christmas Carol Nightmare
第二夜
目が覚めると窓の外は暗く、腕時計を見ればまさに零時になろうという頃でした。
まさか、一日中眠っていたのでしょうか。その間、誰も部室に来なかったのでしょうか。
おかしな姿勢で寝ていたがために痛む節々を解すようにしながら、日野は首を傾げました。
その時、第二の幽霊がぼんやりと窓に浮かび上がりました。新堂と比べて随分と横幅が広く、カレー色の光を帯びています。臭いまで漂ってくるような気がして、日野は思わずのけ反りました。
「こんばんわ、日野さん。僕は細田友晴。今夜は僕が案内するからね、うふうふ」
フードの下から現れた顔は、想像通り丸く肥えています。あまりお近づきになりたくないタイプです。
「お前は何を見せてくれるんだ?」
「ついてくればわかるよ」
細田にぎゅっと肩を掴まれて、日野はよろけそうになります。二人の周りには既にカレー色のとぐろが発生していました。
ぐるぐると回る背景に感覚を狂わされ、それが止まった頃にはフラフラです。
「さあ、ついたよ」
そこは、トイレでした。鳴神学園でも、あの小学校でもありません。日野が三年前まで通っていた中学校のものでした。
窓の外からは蝉の声が響き、トイレには肌にまとわりつくような湿気と熱気がこもっています。
どうやら、季節は夏のようです。
「ほら、もうすぐ来るよ」
何が、とは聞きません。日野にはこの後の展開がわかっていました。
パタパタと近づく足音と共に、懐かしい声がします。
「あ、ちょっとトイレ」
「俺も」
シャツの襟元を大きく開いて風を送るようにパタパタ仰ぎながら駆け込んで来た少年達は、そのまま小用の便器の前に立って用を足しはじめます。
それはあの頃より成長した中学三年生の日野と神田でした。
「なあ、日野」
「何だ」
「お前、高校は何処に行くんだよ」
「……言ってなかったか?鳴神学園だ」
「へえ、偶然。俺もだよ」
「……」
神田の嬉しそうな横顔に、しかし日野は苦しげに顔を歪めます。ベルトを締め直している神田は、それに気付きません。
──偶然ではありませんでした。日野は神田が鳴神学園を目指している事を風の噂に聞いて、自分も鳴神学園を志望したのです。
一年生の時は運よく同じクラスだった二人ですが、二年生からクラスが離れてしまいました。
この時には日野も物怖じしないようになり、それぞれ別の友人とつるんでいましたが、日野が心から打ち解けているのは、いまだに神田ただひとりでした。
たとえクラスが違っていても、同じ学校に通っていればこうして顔を合わせ言葉を交わす機会はあります。
神田のいない学校生活など、日野には堪え難いことでした。
日野は神田が日野と同じ高校だという事を喜んでくれている事には安堵しましたが、それを今まで確かめてくれなかった事は不満でした。
「でも、いいの?お前なら、もっと上も目指せるだろ?」
神田は、日野が神田を思うほどには日野を大事に思っていないのでしょうか。離れ離れになっても平気だというのでしょうか……。
詰りそうになるのを堪えて、日野は微笑みました。
「ああ。鳴神学園は広くて、施設も充実しているだろ。それに何と言っても伝統がある。俺は、ああいう学校で学びたいんだ」
「そうか。相変わらずマジメだなぁ、お前」
「……神田はどうして鳴神学園がいいんだ?」
「俺?……あそこ、マンモス校だろ?人数が多いと確率が上がるんだろうな。美人が多いんだよ!」
「……そうか」
日野は溜息をついて胸を押さえました。
神田は中学に入って、ますますモテるようになりました。日野自身も決して女子に人気がないわけではなかったのですが、可愛い女の子に潤んだ瞳で見上げられても、何の感情も湧きません。
女子に呼び出され告白を受ける神田を見かけるたびにざわつく心臓は、神田に笑顔を向けられる時だけ高鳴ります。
自分は神田に恋をしているのだ──日野が自覚したのは、この時でした。
「目が合うたびに苦しくて、でも幸せだったんだよね。うふうふ……」
細田が憐れむような口調で囁きます。
気付けば日野はふたたび部室に戻っていました。
「お前に何がわかるんだ……」
日野は机に肘をつき、両手で顔を覆いました。
新堂と細田に見せられた過去の幻影は、どちらも日野にとって宝物のように大切なものです。
だからこそ、それらは今の日野の心をひどく抉ります。
「消えてくれ」
日野の悲痛な声に従うように、細田は窓に吸い込まれていきました。
作品名:Christmas Carol Nightmare 作家名:_ 消