彗クロ 2
「レプリカの体組織は頭からつま先まで、基本的に第七音素だけで構成されているからさ。髪や爪は乖離しやすくて純度も低いから、あまり割のいい仕事ではないけど」
「……んな業者アリか」
「もちろん、理容系の各種免許が必須の上、滞在許可証の取得審査の厳しさや手数料ときたら、一般的な旅券発行手続きの比じゃないけどね。ほらほら、これが許可証」
薬売りは渋面をすっかり引っ込め、銃を持っていないほうの手で懐をまさぐると、取り出したパスケースをにこにこと掲げて見せた。
手のひら大の上質紙には、偽造防止のためと思しき細緻な模様で囲い込まれた中央に、流麗な筆記体が踊っている。チーグルののたくった文字で共用(フォニック)語を学んだレグルは、鼻に皺を寄せつつ苦心して文面を読み解いた。
「マルクト帝国は、右の者の、トクベツホゴジチク、のタンキタイザイを許可する……対象者氏名、アゲート……フラター……?」
「アゲイト・フラーテル。あ、名乗ってなかったっけ?」
「興味ねぇ」
「アハハ。つれないなあ」
「……アゲイト?」
胡乱な呟きを零したのはレグルではなかった。見れば、ルークはなんとも微妙な顔つきでアゲイト・フラーテルなる薬売りを注視している。……出会って丸一日、これまで見た中で一番人間臭い表情に見えるのは、気のせいだろうか?
「……って、いうんですか? 名前……」
「うん? そうだよ?」
「そう……ですか……」
釈然としないとばかりに尻すぼみに語尾が沈んでいき、ルークは顎に手を当てて考え込んでしまった。気難しく皺を寄せるその顔つきにはいやに見覚えがある気がして、レグルは改めて自分たちが瓜二つな姿をしていることを自覚し、それで妙にほっとしてしまった。
曖昧な空気にもこだわりなく、薬売りことアゲイトは用の済んだ許可証を懐に戻した。
「ここで一番近いのはフーブラス川のとこだから……前に立ち寄ったのが晩夏だから、今頃はいい塩梅に伸びてるかな」
「羊の毛刈りじゃねっつの!」
「まあ、こちらもボランティアじゃないからね。ビジネスライクな利害関係であっても、とりあえずはひとつの共生の形として成立してるんだから、レプリカたちにとっても悪い仕組みじゃないはずだ」
「なんかムカつく……」
腹減り音素銃もホルスターに収められ、紳士然と手のひらが差し出される。条件反射でそれに掴まってしまったレグルは、いかにも大義に立ち上がってから、力を貸してくれた手をすげなく振り払った。
アゲイトは弾かれた右手を浮かせて、少々困ったように苦笑した。
「結局、それが現実だから」
嫌味も蔑みもなく、ただ、羊は羊として生まれたのだから仕方ない、そんな当たり前のような口調だった。レグルは反駁のひとつも返さず、黙りこくったままそっぽを向いた。
自治区などと称されながら、それが名ばかりの題目であることは周知の事実だ。レプリカたちはオリジナルの庇護のもと、地を耕し、堤を築き、時に持ち込まれる簡単な軽作業を唯々諾々とこなす。そしてその代価として配給を受け取り、日々をただ漫然と通り過ぎていく。……奴隷にたとえるほどの不遇では決してないが、ある意味、家畜にも劣る境涯であると、レグルには思えて仕方がない。
ひとつの種族として、生きていくことの真理を持たず、目的もなく、知恵や知識もすべてが借り物。身一つで自立できない彼らは、いまだ施しに相応なだけの働きを返すこともできず、各国の財政を圧迫し続けている厄介な存在だ。世界になんら益することのない、人類のお荷物。
存在していることと、自らを生きることとは、似ているようでまるで違う。自治区で飼い殺されているレプリカたちは、本当の意味で生きているとは言えないのかもしれない。長老に言いつけられるまでもなくレグルが自治区暮らしを頑なに選択しない、最たる要因だ。
そんな厄介者の集団を、強欲で薄情なオリジナルたちがいまだに見捨てず、曲がりなりにも国家レベルで人道的な扱いをやめずにいるのは、レグルに言わせればちょっとした奇跡の部類に入る事実だった。それを思えば羊扱いなど些細なことだ。同胞が体よく利用されているのは普通にムカつくが、結局のところ、利用されてしまうレプリカの側にも問題があるのだ。