彗クロ 2
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一点の曇りもない青には、太陽さえ浮かんでいなかった。鮮やかすぎて透明すぎて、吸い込まれてしまわないのが不思議なくらいだ。あまりに超越したその色彩ときたら、頭の上にどっかりと居座られるのはちょっとしんどくさえ感じるほどだった。
人生三年目、抜けるような青空という言い回しの真髄を知る。存在感はとびきりだ。傍迷惑なほどに。
それに比べて、自分のいる地上の平坦さといったらなかった。地面一面、真っ黒け。建物どころか、木の一本、雑草ひとふさ、あまつさえ石ころひとつも見当たらない、闇とかいうものを麺棒でのっぺり伸ばしたようなまあるい大地。地平線(もしかしたら水平線?)に至るまでわずかの起伏も流動もない、まっ平らな黒の海。
見覚えのない世界の中心であてもなく途方に暮れていると、偉大すぎる青にのしかかられた哀れな闇の平面が、不意に、針でつついたようなささやかな波紋を描いた。
ほんの目と鼻の先で、さっきまでは確かにいなかったはずの少年が黒い海に溺れかけているのに仰天して、とっさに手を伸ばす。地面であるはずの闇は、なぜか少年の周囲だけが粘っこい泥のような流動を起こしていて、下へ下へ、底があるとも知れない漆黒の沼へと少年を引きずり込もうとしているのだ。タ、ス、ケ、テ、タ、ス、ケ、テ。か細い悲鳴を道連れにずぶずぶと沈んでいく。青すぎる空に助けを求めて取り残された手を掴み取ってやった時にはもう、少年は首まで黒い泥に浸かってしまっていた。助けるからな、頑張れ。らしくもないような励ましの声をかけてやりながら流体と固体の境目で両足を踏ん張って相手の肩が抜けるのではないかというくらい力いっぱい引っ張り上げようとするのだが、泥にまとわりつかれた身体はびくともしない。かあちゃん、とうちゃん。息も絶え絶えこぼれたささやきが少年の最後の言葉になった。目の前でなすすべなく死に向かう命という現実に全身が粟立った。あきらめるな馬鹿、男なら根性見せろ! 縮み上がる心臓を誤魔化すように、もはや耳まで沈んでしまった少年へと声を張り上げる。沈下は一向に緩まらない。
黒い大地を、いつの間にか群集が埋め尽くしている。幽鬼のように佇むものが、視界一面。三万はいないだろうが、一万ではきかないかもしれない。老若男女取り揃え、皆一様に生気のない顔つきでじっとこちらを見つめている。瞬時に思い当たったのは、レムの塔。かつて世界に蔓延した毒を消滅させるための生贄になることを半ば強要され、結果、遺される同胞たちのためという言葉を希望に自らこの世を去った一万人のレプリカたち。それにしては数が多く、あからさまにレプリカらしからぬ者も混ざっている気がしたが、まじまじ確かめる余裕はなかった。じっとりとまとわりついてくるような暗く恨みがましい眼差しが彼らの思いを物語っていた。命輝かせるものすべてへと向けられる、死者の嫉妬。まるで、今まさに死に瀕している少年をはらからのように見つめ、その手を掴んで生死の境から引き戻そうとする者を仇のように睨みつけている――そんな理不尽を感じて頭がかっとなった。
ふざけんな。全身全霊で泥のちからに抗いながらがなり立てた。つらいとかいたいとかくるしいとか、生きてても死んでてもあたりまえだ。目の前で苦しんでるやつがいて、そいつを助けようともしないで、それができなくてもせめて助かってくれって願うこともしないで、自分の苦しみばっか主張してるようなやつに生きてる人間恨む権利なんかねぇよ。不幸自慢ならよそでやれ、助ける気がないなら今すぐ消えろ! 我ながら無茶苦茶を言っていると自覚しつつも、偽らざる本心からの言葉だった。
「だけど、レグルもぼくを助けてくれなかった」
聞き知った声に、全身が総毛立った。
振り返る。流れていく景色がパラパラ漫画のようだった。気づけば周囲を埋め尽くしていた二万人の亡者も、がっちりと両手に捕まえていた人肌の感触も、黒い海がゆっくり少年を食らっていく気配も、すべて消え去っていた。背後にはよく見知った――オリジナルの定義に当てはめればそう、幼なじみと呼べる唯一の人間がそこにいる、はずだった。
だが、違った。
「レグル/レグル」
二つの声に、同時に呼ばれた。
ぞっとした。魂を引っこ抜かれるんじゃないかと思った。
人影は、ずっと背が高かった。混じりっけない赤毛を長々と背に流していた。
血液のような光沢の深紅だった。
被験者。
「きみ/お前は、ぼくを/俺の――」
すべてを聞いてしまう前にレグルは耳を塞いだ。目を閉じた。そうしなければとても正気でいられそうになかった。
絶叫が喉を割り、無窮の青に吸い込まれていった。