真・戦国最強伝説
甲斐の山道を佐助は進んでいた。
普段のように木々の上を飛び回って移動しているのではない。地面をてくてく歩いている。それは隣に幸村がいるからだ。
途中までは馬に乗ってきたのだが、若干足場の悪い道を通るので、少し手前に繋いできた。この辺りは野盗の噂も聞かないし、領地内のことだ、心配する必要はないだろう。
「それにしてもお館様は何を考えておられるのか」
幾分むっつりしながら幸村は呟く。
「もちろん主命とあれば、この真田源二郎幸村厭う筈もないが、幾ら最近大きな戦がないとはいえ――否、大きな戦がないからこそ、湯に浸かる暇があれば鍛錬に努めるべきであろうに」
先頃見つかった、新しい湧き湯の様子を調べてくるように。それが今朝方信玄によって、突然幸村が与えられた任務であった。当然一個部隊を率いる程のことでもないから、得物は持って来ているものの、供には地の利がある佐助しかついてきていない。
ほんと幸村の旦那も鈍いよなぁ。佐助はそっと笑う。
これは信玄が幸村に与えた特別報酬のようなものだと、佐助は認識していた。まあ突然に過ぎる感は無きにしもだが、下手をすれば休みも取らず精力的に働く幸村に、たまには温泉にでも入ってゆっくり休むようにとの親心なのだろう。もっとも、言外のそれを理解できるような幸村ならば、信玄がわざわざこういった回りくどい手段を用いる筈もない。
「まあまあ、いいじゃないの。どんな仕事も仕事だよ、旦那」
佐助は幾分力の入った幸村の肩を叩いた。
「それにさ、今後またぞろ戦になれば、傷を癒すための拠点も必要になるかもしれないぜ?」
とにかく幸村には大義名分を与えるに限ることを、付き合いの浅くない佐助は知っている。案の定彼は「う、うむ」と頷き、黙って前に進み始めた。
今回の目的地に、佐助は一度行ったことがある。あれは半月程前であったか、それこそ湧き湯が見つかった直後のことだ。そのときは剥き出しの地面から湯が湧き上がっている状態を、露天の岩風呂に整えるための作業をしている最中であった。
とはいえ他の任務の途中に差し掛かっただけなので、最終的にどうなったかまでは見ていない。だから結構楽しみだった。ちらりとみた限りは白緑色の濁り湯で、湯温も高そうだった。恐らく湯質も期待できるだろう。
まもなく目的の地点に差し掛かろうとしたとき――その方向から水音が聞こえて来た。幸村が呟く。
「……先客がいるようだな」
「猿でも入りに来てんのかね」
山の奥だ、そういうこともあるだろうと思ったが、不意に六感が違和感を訴えた。感覚を研ぎ澄ませた佐助は、先に進もうとした幸村を急いで制する。
「――旦那、ちょっと待った」
「どうした」
声を潜めた佐助に釣られるように、立ち止まった幸村も小声になる。
「獣じゃないぜ。あれは人の気配だ」
「なに?」
「あー、でも残念ながら女じゃないようだね」
「何が残念なんだ」
「えぇ? だって折角なんだしさぁ」
「だから何が折角なんだっ!」
思わずという風に叫んでしまった幸村は、直後はっとして口に手を当てたが、当然それで声が消える訳ではない。あちゃ、と佐助が顔を顰めた瞬間、風呂のある側から呼応するように声が聞こえた。
「うっせぇーぞ、真田幸村! 気分が台無しになるじゃねぇか」
聞き覚えのある響きに、思わず二人は顔を見合わせた。そして次の瞬間、幸村は槍を構えながら走り出した。佐助も急ぎ、その後を追う。茂みを掻き分け、身を躍らせた幸村が叫ぶ。
「ど、独眼竜っ!」
果たして、そこにいたのは確かに奥州筆頭・伊達政宗だった。意外と広い岩風呂を一人で占拠し、頭に手拭いなどを乗せ、のうのうと浸かっている。右眼を覆う眼帯は、いつもの刀の鍔ではなく、黒い布製のものだった。
脱いだ衣類を畳んで入れてあるのだろう、風呂敷包みが少し離れた木の枝にぶらさげられているが、それでも脇差しは手の届く場所に置かれているのは流石に抜け目ないなと、佐助は一瞬に見て取った。ちなみに、その傍らには朱塗りの瓢箪が置かれている。中は水だろうか、それとも酒か。なんとなく見覚えがある代物に思えたが――まあ瓢箪など似たり寄ったりだろう。
「でけぇ声出すなよ、鬱陶しい」
一瞥した政宗は、ぱちゃりと顔を洗う。
「こんなところで何をしているっ!」
「見りゃわかんだろ。湯に入ってるよ」
「そういうことを言いたいのではない! 我が武田の領内で、何を勝手な真似をされているのかと……!」
槍を構えた姿勢のまま、一歩踏み出した幸村に怯むことなく、溜息混じりの声を政宗は返してきた。
「……まったく……ごちゃごちゃごちゃごちゃ、相変わらず熱っ苦しい奴だぜ」
「なにっ?!」
「まぁまぁ、真田の旦那ぁ。ちょっと落ち着きなって」
佐助はいきり立った幸村の肩を、いなすように軽く叩いた。
「丸腰の相手一人に騒ぎ立てるようじゃ、旦那の質が問われちまうよぉ?」
「うっ」
幸村は言葉に詰まった。そんな二人の様を面白そうに見詰めながら、政宗は悠然と続ける。
「この前武田信玄と会ったときにさ、甲斐には良い湯が幾つもあるから、機会があれば寄るといい、って言われたんだよ。で、最近暇だし、ちょっと来てみるかと思ったのさ」
だからといって、まだ完全には整っていない湯に、わざわざ奥州から浸かりにくるとは――大物なのか馬鹿なのか。佐助は判断に迷ったが、幸村はもっと困惑しているようだった。それは尤もな話だ。運命の好敵手と定めた筈の相手がこの調子では、どうしたらいいかわからないだろう。 政宗はまるで自分がここの主であるかのように、当然の調子で声を重ねた。
「ぼさっと突っ立ってないで、お前らも入ればいいじゃねぇか――支度して来てんだろ?」
勘の働く御仁だぜ。佐助はそっと感嘆の息を吐いた。事実彼の背には、幸村と二人分の手拭いやら湯桶やらが負われているのだが、布にくるまれた状態だ、一見したところではそうとわかる筈もないだろう。
「む……」
幸村は軽く呻くと、佐助に視線を走らせて来た。その目に逡巡の色が宿るのを見て、佐助は少し可笑しくなった。なんだかんだと言ってはいたが、幸村も温泉を楽しみにしていたらしい。佐助は背中を押してやることにした。
「入んなよ、旦那。もともとウチの湯なんだしさ」
「だが」
「元来それが、お役目――でしょ?」
その言葉が決め手になったらしい。幸村は不承不承といった態度を取りつつ、佐助から荷物を受け取る。それからわざわざ茂みに入った。支度を調えに行ったようだが、男しかいないこの場所で何を遠慮してるものかと、佐助は少し呆れた。
「忍者のにーちゃんは入んねぇのか?」
「俺は遠慮しとくよ」
佐助は肩をすくめる。幸村には呉越同舟を勧めてみたものの、完全に油断できるわけではない。むしろ政宗が単身であることの方が気に掛かった。常に影の如く付き従っている、あの男がいないのは不自然に思えたのだ。
「ふーん。ま、別にいいけどよ」
普段のように木々の上を飛び回って移動しているのではない。地面をてくてく歩いている。それは隣に幸村がいるからだ。
途中までは馬に乗ってきたのだが、若干足場の悪い道を通るので、少し手前に繋いできた。この辺りは野盗の噂も聞かないし、領地内のことだ、心配する必要はないだろう。
「それにしてもお館様は何を考えておられるのか」
幾分むっつりしながら幸村は呟く。
「もちろん主命とあれば、この真田源二郎幸村厭う筈もないが、幾ら最近大きな戦がないとはいえ――否、大きな戦がないからこそ、湯に浸かる暇があれば鍛錬に努めるべきであろうに」
先頃見つかった、新しい湧き湯の様子を調べてくるように。それが今朝方信玄によって、突然幸村が与えられた任務であった。当然一個部隊を率いる程のことでもないから、得物は持って来ているものの、供には地の利がある佐助しかついてきていない。
ほんと幸村の旦那も鈍いよなぁ。佐助はそっと笑う。
これは信玄が幸村に与えた特別報酬のようなものだと、佐助は認識していた。まあ突然に過ぎる感は無きにしもだが、下手をすれば休みも取らず精力的に働く幸村に、たまには温泉にでも入ってゆっくり休むようにとの親心なのだろう。もっとも、言外のそれを理解できるような幸村ならば、信玄がわざわざこういった回りくどい手段を用いる筈もない。
「まあまあ、いいじゃないの。どんな仕事も仕事だよ、旦那」
佐助は幾分力の入った幸村の肩を叩いた。
「それにさ、今後またぞろ戦になれば、傷を癒すための拠点も必要になるかもしれないぜ?」
とにかく幸村には大義名分を与えるに限ることを、付き合いの浅くない佐助は知っている。案の定彼は「う、うむ」と頷き、黙って前に進み始めた。
今回の目的地に、佐助は一度行ったことがある。あれは半月程前であったか、それこそ湧き湯が見つかった直後のことだ。そのときは剥き出しの地面から湯が湧き上がっている状態を、露天の岩風呂に整えるための作業をしている最中であった。
とはいえ他の任務の途中に差し掛かっただけなので、最終的にどうなったかまでは見ていない。だから結構楽しみだった。ちらりとみた限りは白緑色の濁り湯で、湯温も高そうだった。恐らく湯質も期待できるだろう。
まもなく目的の地点に差し掛かろうとしたとき――その方向から水音が聞こえて来た。幸村が呟く。
「……先客がいるようだな」
「猿でも入りに来てんのかね」
山の奥だ、そういうこともあるだろうと思ったが、不意に六感が違和感を訴えた。感覚を研ぎ澄ませた佐助は、先に進もうとした幸村を急いで制する。
「――旦那、ちょっと待った」
「どうした」
声を潜めた佐助に釣られるように、立ち止まった幸村も小声になる。
「獣じゃないぜ。あれは人の気配だ」
「なに?」
「あー、でも残念ながら女じゃないようだね」
「何が残念なんだ」
「えぇ? だって折角なんだしさぁ」
「だから何が折角なんだっ!」
思わずという風に叫んでしまった幸村は、直後はっとして口に手を当てたが、当然それで声が消える訳ではない。あちゃ、と佐助が顔を顰めた瞬間、風呂のある側から呼応するように声が聞こえた。
「うっせぇーぞ、真田幸村! 気分が台無しになるじゃねぇか」
聞き覚えのある響きに、思わず二人は顔を見合わせた。そして次の瞬間、幸村は槍を構えながら走り出した。佐助も急ぎ、その後を追う。茂みを掻き分け、身を躍らせた幸村が叫ぶ。
「ど、独眼竜っ!」
果たして、そこにいたのは確かに奥州筆頭・伊達政宗だった。意外と広い岩風呂を一人で占拠し、頭に手拭いなどを乗せ、のうのうと浸かっている。右眼を覆う眼帯は、いつもの刀の鍔ではなく、黒い布製のものだった。
脱いだ衣類を畳んで入れてあるのだろう、風呂敷包みが少し離れた木の枝にぶらさげられているが、それでも脇差しは手の届く場所に置かれているのは流石に抜け目ないなと、佐助は一瞬に見て取った。ちなみに、その傍らには朱塗りの瓢箪が置かれている。中は水だろうか、それとも酒か。なんとなく見覚えがある代物に思えたが――まあ瓢箪など似たり寄ったりだろう。
「でけぇ声出すなよ、鬱陶しい」
一瞥した政宗は、ぱちゃりと顔を洗う。
「こんなところで何をしているっ!」
「見りゃわかんだろ。湯に入ってるよ」
「そういうことを言いたいのではない! 我が武田の領内で、何を勝手な真似をされているのかと……!」
槍を構えた姿勢のまま、一歩踏み出した幸村に怯むことなく、溜息混じりの声を政宗は返してきた。
「……まったく……ごちゃごちゃごちゃごちゃ、相変わらず熱っ苦しい奴だぜ」
「なにっ?!」
「まぁまぁ、真田の旦那ぁ。ちょっと落ち着きなって」
佐助はいきり立った幸村の肩を、いなすように軽く叩いた。
「丸腰の相手一人に騒ぎ立てるようじゃ、旦那の質が問われちまうよぉ?」
「うっ」
幸村は言葉に詰まった。そんな二人の様を面白そうに見詰めながら、政宗は悠然と続ける。
「この前武田信玄と会ったときにさ、甲斐には良い湯が幾つもあるから、機会があれば寄るといい、って言われたんだよ。で、最近暇だし、ちょっと来てみるかと思ったのさ」
だからといって、まだ完全には整っていない湯に、わざわざ奥州から浸かりにくるとは――大物なのか馬鹿なのか。佐助は判断に迷ったが、幸村はもっと困惑しているようだった。それは尤もな話だ。運命の好敵手と定めた筈の相手がこの調子では、どうしたらいいかわからないだろう。 政宗はまるで自分がここの主であるかのように、当然の調子で声を重ねた。
「ぼさっと突っ立ってないで、お前らも入ればいいじゃねぇか――支度して来てんだろ?」
勘の働く御仁だぜ。佐助はそっと感嘆の息を吐いた。事実彼の背には、幸村と二人分の手拭いやら湯桶やらが負われているのだが、布にくるまれた状態だ、一見したところではそうとわかる筈もないだろう。
「む……」
幸村は軽く呻くと、佐助に視線を走らせて来た。その目に逡巡の色が宿るのを見て、佐助は少し可笑しくなった。なんだかんだと言ってはいたが、幸村も温泉を楽しみにしていたらしい。佐助は背中を押してやることにした。
「入んなよ、旦那。もともとウチの湯なんだしさ」
「だが」
「元来それが、お役目――でしょ?」
その言葉が決め手になったらしい。幸村は不承不承といった態度を取りつつ、佐助から荷物を受け取る。それからわざわざ茂みに入った。支度を調えに行ったようだが、男しかいないこの場所で何を遠慮してるものかと、佐助は少し呆れた。
「忍者のにーちゃんは入んねぇのか?」
「俺は遠慮しとくよ」
佐助は肩をすくめる。幸村には呉越同舟を勧めてみたものの、完全に油断できるわけではない。むしろ政宗が単身であることの方が気に掛かった。常に影の如く付き従っている、あの男がいないのは不自然に思えたのだ。
「ふーん。ま、別にいいけどよ」