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たくさんの山、たくさんの海

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その男は世界を旅しておりました。

山を越え、海を越え、たくさんの、たくさんの場所を歩いていきました。
男がたくさんの場所を旅してきた理由はたった一つでした。
自分にしか見つからないたった一つを探そうと、そう思ったのです。

そんな男を見て、たくさんの人が声をかけました。
ある者は笑いました。
どうして移動するためのたくさんの乗り物が世界には存在しているというのにわざわざ歩くのかと。
ある者は泣きました。
どうしてそんなぼろぼろになってまで頑張ろうとするのかと。
ある者は怒りました。
どうして大事な仕事を放り出してそんなくだらないことをするのかと。

それぞれに男はきちんと返事をしました。
ある者は深く頷いて納得し、ある者は悲しそうな顔をしながらも納得し、ある者は怒りは収まらないもののひとまずは納得してくれました。
普段の男ならば、彼らのそういった声も聞かなかったことでしょう。
ふんふんと適当に頷いたふりをして、なにもかもを除外して好き勝手歩いていたに違いありません。
だけれども、今回ばかりはそれらすべてを律儀に受け入れ、血に、肉に、骨にしました。
彼らの真摯な言葉はどれも確かに男をしっかり前に進ませてくれる原動力になったのです。

ある日男は山に出会いました。
彼はとても大きく、とても厳しい山でした。
弱い者は容赦なく振り落とすようなその山は、苦しい顔をしながらもなんとかしがみついて歩く男に興味を持ち声をかけました。
そこの君、君よ、君は一体どこに行くと言うんだい。
男は答えました。
行き先は決まってないよ。あえて言えばどこまでもさ。
どこか分からない場所なんぞに行くために、こんな厳しい山を登るのというのか、君は。
だってここが通過点なのか到達点なのかはそんなの登ってみないと分からないじゃあないか。あのね、俺はたった一つを探しているんだ。俺だけの、俺のものを世界を旅して探している途中なんだ。この山の頂きは俺のたったひとつのものか確かめようと思って登るのさ。
なるほど、と山は唸りました。
どうだい、この山は君のたったひとつになりえそうかい?
だから登ってるんだろう?
男が軽快なウィンクを返すのを見て、山は黙ります。
黙ったままの山を気にもとめず、男は山を登り続けます。
頂きに到着するまで長い長い時間がかかりました。男は疲れきって息をするのもやっとでした。