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「やんごとなき読者」(夏コミ新刊サンプル)

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木漏れ日を透かす枝越しに空を見上げて、望は吹きすぎていく風の心地よさに目を細めた。
 この庭を歩くのは久方ぶりだ。望の母校、幼児教育から大学まで一貫教育を受けられる国立校。飛び級を重ねて十五歳で大学部を卒業してから十有余年。時折こうして公の用で訪れることもあったが、前回の訪問からはもう数年が経っている。
 在学中から、望はこの緑豊かな校庭が好きだった。背の高い広葉樹が心地よい木陰を作り、所々に腰をかけて休めるベンチも設えてある。
 ひとりで校内を散歩などすることに時田は良い顔をしなかったけれど、今日は校内への立ち入りは生徒かもしくは事前に身元を確かにした招待客や来賓に限られている。その校内にいる人たちにしたところであと一時間もしないうちに天覧試合が始まるとあって、もう皆武道館に集まっているようだから、誰に出会うこともないはずだった。
 今日の主役は、国際的な大会で頂点に立つ活躍をした、この学校の在校生であるスポーツ選手と、その栄誉をたたえて行われる国内外の花形選手を集めた天覧試合を観覧する、才媛と名高い美貌の次期女王だ。
 望の存在はほんのおまけにすぎないのだから、そもそも時田が我が身を案ずるほどの要もない。
 ──しかし、歩みを進めようとした先にある校庭のベンチに、ゆったりと腰掛ける人の姿があるのを見かけて、望は微かに緊張した。
 誰もいないと思っていたのに。
 立場上、意図しない相手との不意の遭遇というものには警戒心を抱くようになっている。
 足を止めて逡巡する望に気付いて、ベンチの人物がこちらに視線を向ける。
 そうして、
「おはようございます──先生」
 そう声をかけられて、望は少し目を見張った。そして、それと同時に、望の背筋を強張らせていた緊張は、するりとほどけてなくなっていた。
 たった一言で、敵意や悪意というものがまったくないということを分からせるほどの、それは穏やかな少年の声だった。
 ベンチに座ったまま会釈をするのは、この学校の生徒と思しい一人の少年。
 制服と年格好からして高等部の生徒だろう。長い足をゆったりと地面に伸ばしてベンチに掛け、手に分厚い本を持っている。すずやかに整った顔立ちの少年だが、目尻が少し下がっていて、それが柔和な印象を加えていた。
 この穏やかそうな少年に危害を加えられる恐れはないだろう。望はその緊張からは解放されたものの、思いがけず『先生』などと呼びかけられて、どう答えていいものかと困惑した。
 望は明らかに、この学校の教諭ではなかったからだった。