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コロイド(白正)

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「天使の梯子?」

 人工的な明かりが煌々と室内を照らす。蛍光灯の明かりはどこまでも単調で、温かみなどあるはずもない。
 モスカの継ぎ目を溶接していたスパナは、手にしたゴーグルを上げて素顔を晒した。その先には浮かない顔の正一がいる。
「この前白蘭さんと一緒のときに見たんだ。『薄明光線ですね』って言ったら『夢がない』って返されたよ」
 ぎゅう、と膝を抱え込んで正一が言った。
 自分の殻に閉じ篭る気満々だね正一、とスパナは思ったが口にすることはなかった。
「キリスト教圏では割と知られた言い方だからね」
 自分でも驚くくらいにつまらなさそうな声が出た。平坦な調子のスパナとは反対に、正一は微かに興味を引かれたらしい。
「キリスト?」
「んー、ユダヤ教?」
「どっちだよ」
 正一は呆れ顔でスパナに返す。スパナがとても有神論者には思えないので、正確な知識に則った解答はどのみち得られないのだろう。
「どっちの聖書か忘れたけど、聖書に天使が上り下りするところを夢で見た、って男が出てくるんだよ。だからそれにちなんで、天使の梯子」
 スパナ自身も聖書をいつ読んだのか記憶が定かではない。
 家が熱心なクリスチャンだった、ということでもなく慣例的に読んでいたに過ぎない。謡と同じような感覚で読み聞いていた。
 幼い頃のあやふやな記憶を手繰り寄せての説明なのだから、これくらいアバウトなのは目を瞑って欲しい。
 ふうん、と正一は気の抜けた返事を返す。
 スパナの説明が投げやりなせいで、訊ねてきたとき程の興味もなくなってしまっている。
 それでも何かコメントを返そうとしているらしい。小さく唸って何か考えている正一は、スパナには少し真面目過ぎるように見える。
「確かにロマンチックな現象だけど……僕には薄明光線以外の何かに言い換えるのは無理だ」
「正一らしい」
 スパナはゴーグルと溶接機材を台に置き、終えたところまでの出来を確認する。ぐるりと回してみて特に目に着く箇所はなかった。
「正一はあの人に気に入られたいのか?」
 何気なさを装ってスパナが尋ねた。
 先程は意図せずつまらなさそうな声が出てしまったが、今度は自分でも分かるくらいに不機嫌な調子だった。
「え……」
 正一もスパナの声に潜む何かに気付いたらしい。眼鏡の奥の瞳が、小さく怯えに震えたのをスパナは見逃さなかった。
「白蘭に気に入られたいから、言われたことをいちいち気にしてるのか?」
 溶接した部品も台に置き、膝を抱える相手に尋ねる。
 正一ははくはくと唇を動かすだけで明朗な言葉を返せなかった。
「そんなこと、ない」
「…………」
「だってあれはコロイド粒子に光が当たっているだけだ。天使が降りてくる訳でも、ましてや人間があの梯子を昇って天国に行ける訳でもない。触れられない気象現象なのに、どうしてあの人はあんな顔をして……」
 ひゅう、と息を吸い込んだきり、正一は黙り込んだ。
 スパナは当事者ではないから白蘭が一体どんな顔で天使の梯を見ていたのか分からない。
 ただここまで正一が気に留めて感情を露にするぐらいには、珍しい顔をしたのだろう。スパナにはそれぐらいの予想しか立てられない。
 いつの頃からか自覚した感情。自分といる時に、正一がスパナ以外の誰か――特にあの、白くていけ好かない笑みを浮かべた、我らのボス――のことを考えるのが嫌だった。
 自分と一緒にいるのだから、この場は自分との会話に集中して欲しい。自分がこの場にいないときに、正一が何処の誰と話していても気にしない振りは出来るから――そう、物分りの良いような振りをしてスパナは正一を見つめた。
「ねえ、正一」
「なに」
 力なく正一が返す。何か言葉を掛けようと思って、どうにもことばが見つからない。
 まさかこの身に渦巻く感情をさらけ出す訳にもいかない。
 下手なことを言って気難しい正一の琴線に触れでもしたら、面倒なことになる。
 一瞬の脳内検索/検索キーワード=「この状況から気を逸らせる話題」。
 スパナの頭の検索エンジンが真っ先に見つけた話題を、スパナ自身は全く確認することなく――つまるところ、思ったことをそのまま――口にしていた。
 
 0と1の二進数の減法は冒頭にマイナスの符号を付ける。
 この際に後ろの数字は反転する。
 例えば10進数86を二進数にすると01010110。
 これをマイナスの86にする場合、0と1を入れ替えて10101001。
 そして、最後の桁に1を加えて01010110といった具合に。
 マイナス、つまり負の方向にいった数字は裏返る。

「これってさ、つまり」

 もし人間の感情を無関心=0、好意=1とすれば、相手の評価がマイナスに傾いたとき、コンピュータの例に準えれば無関心と好意が反転することになる。

「ってことになると思う?」
「……いきなり何言い出すのかと思ったら」
 正一は呆れてものが言えないようだ。
 スパナも言い終わってから、自分の提供した話題がこの場に全くそぐわないことに気付いた。見つけた話題を特に気にすることもなく口にしたのだから、ある意味当然の結果とも言える。
「人の心はそんなに明快じゃあ、ないよ。0と1しかなかったら、どれだけ楽か」
 はあ、と正一は殊更重い溜息を吐いてみせた。くしゃりと髪の毛を掻き乱して言う様は、スパナに言っているというより自分に言っているような節がある。
 こんな訳の分からない話題でも、正一との会話は成立するらしい。彼の気を逸らせたかどうかまでは定かではないが、鬱屈といた無言が続くより遥かにマシだった。
 正一の言うとおり、スパナも人間の感情を本気で0と1の二元論で考えようとしているのではない。あまりにもごちゃごちゃとしていて絡まり合って、何に悩んでいたのかを悩むという本末転倒な状況を極力避けるべく、不本意ながら0と1、好きと嫌いの二元論に例えたまでた。
 実際は数列のように0と1の間には0.5があるのだろうし、何処までも相手が憎くければ負の感情はマイナス方向に無限大だ。
「人間は面倒だね」
「そんなの、スパナからしたら今更だろ?」
「正一は違うの?」
 スパナが正一に抱く親近感。そこには人に対する煩わしさも含まれていると、スパナは勝手に思っていた。
 しかし正一の発言から察するに、彼はスパナと同じように括られるのをあまり良く思っていないようだ。
「僕はそこまで酷くない」
 心外だ、といった様子で正一が表を上げる。
「僕だってそれなりに人に好かれたいと思うし、好かれる努力はするよ。0を1の出来るように、0をマイナス方向に持っていかないように」
「でも、それなりなんだ」
 スパナは正一の言葉を聞き逃さなかった。
 作業をする時は咥えていなかった棒付きキャンディの封を切って咥える。カラン、と口内でキャンディと歯がぶつかる音がした。
 正一はむっと顔を顰める。常に眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな顔を装っているが、正一が本当に腹を立てたときは本人が思っている以上に分かりやすい。
 怒りの形相を本当に隠し通せる人間など、ごく僅かだろう。
 正一もそうだが、スパナ自身も自分の感情を完璧に押し隠すのは不可能だ。
作品名:コロイド(白正) 作家名:てい