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生きている内は私をずっと愛していると、どうか言って下さい。
その言葉を証にして私は生きたい。




side M



「ミク、おはよう」
「おはようございます」

波がゆったりと引くように、彼女の電源が入れられたのがわかった。
静かに開けられた瞼の下には、綺麗な苔のような淡緑色が広がっている。
ビクスドールのような端正な顔は、声をかけるまで全く反応しない。
ツインテールはふわふわと一連の動きをする。
「待ち」の態勢にいる彼女を横目で見て、リビングの椅子に深く腰掛けるが、彼女はそれにも姿勢を崩さない。
変わらない返事。変わらない日常。
カスタマイズが必要、と言われても、今の自分には何をどうすればいいか全くわからなかった。
まずはコミュニケーションからと以前のような会話を試みても、彼女には何を言っても暖簾に腕押し。ソフトだから、アプリケーションだからと無機質な応答しか繰り返さない。

「なあ、ミク、ミク、言ってくれよ。『優しさがあるマスターの作品はマスターみたいです』って、俺の作品のこと、前みたいに褒めてくれよ」
「ソフトの私に、感情的な言葉で対象を形容することはできません」

とうとうこちらが声を荒げても、絶対零度の返事しかなかった。
こんな調子で、際限ない問答が続いた。



一人部屋に篭り、思う。
それでも彼女は生きている、と。
それが焦らせた。自分は人間だから、あの時のミクの声音も仕草もいつしか忘れてしまう。
忘れて、今の彼女に慣れて、このままでいいやって思ったら?
それは諦めだ。でも、諦めと思っていられるのは今だけの話だ。
すぐ先の未来で、全てを受け入れて生活できている自分がありありと想像できる。
だって自分はもうミクがいなくても生きていけるから。
それはミクを引き換えにして今を手に入れたと同義だ。
歯痒い。歯痒い。
ミクのせいでこうも歯痒いのに、彼女自身は今、感情を知り得ない。

「それでも、無駄じゃない筈だ」

あのミクを取り戻そうとするのは、エゴかもしれない。傲慢かもしれない。都合の良い話なのかもしれない。
それでも、無駄じゃない筈だ。
じっと彼女を見つめる。彼女は無機物でも見るかのように見つめ返し、人口的な瞬きを一定間隔で行う。
決まったやり取りしか繰り返さない、どこか危うげな今の彼女。
掌に籠る熱だけが、彼女に命を吹き込める気がする。
そんな自意識過剰な確信、或いは奇妙な盲信だけがあった。



「今の仕事、辞めようかな」

リビングでコーヒーを啜りながら、そう告げた。
テーブルの向こうに立つ彼女は理解できない、とでも言うように首を傾げる。

「本当は休職にしたいんだけど、いつ復帰できるかわからないから迷惑になるしね」

まだ首を傾げたままの彼女に言い聞かせるように、笑いかけながら続ける。

「これでずっと一緒にいられるだろ? 今まで一人にさせてたけど、これからはそうさせないよ。親とはまた口聞いてもらえなくなるかもしれないけど、貯金は少しできたから」

口に広がるコーヒーの苦味が喉にひっかかったが、意外とすんなり告げられた。
まるで愛の告白のような言葉を彼女はようやく飲み込めたらしく、ピタリと動きを止めている。
テーブルの木目を何気なしに見ながら、沈黙を感じ、返事を待つ。
しばらくしてから、小さなソプラノが響いた。

「マスター、怖くはないのですか」
「うん? 正直に言えば怖いけど、怖いと思えるのも今あってのことだしね」

視線が交じり合い、そっと笑うが、彼女は無反応。
だが同じように開かれた口から聞こえたのは、さっきよりもずっと硬い声だった。

「マスター、私はそれを望みません」
「……え?」

意味のない瞬きを繰り返し、彼女がこちらを向く。
同時にその完璧なる左右対称が現れる。
視線を交わしても交わしても読めない彼女の心は、何を見ているのだろう。
頭のどこかでぼんやりと思った。
彼女が言う。

「確かにマスターが仕事を辞めれば私との接触時間が増えます。ですが、私はそれを望みません」

一度ゆっくりと俯き、また顔をあげる。
逡巡しているように「見せる」動作だ。
本当に、彼女は何を見ているのだろう。

「私は、私たちは必要とされたくても、邪魔をしたい訳じゃない。マスターと寄り添って、手助けして時には手助けされて、一緒に生きたいんです」
「でも…」
「マ、マスターがメンテナンス後の私に不満を持っているのは了解しています。ですがこれは現在の私だけでなく、ボーカロイド全員の願いです」

再び俯く彼女の顔が、よくよく見れば耳まで真っ赤になっている。
これは何を表した動作なのかわからなかったが、ぱさり、と落ちたツインテールの緑に目が吸い込まれてしょうがなかった。なんだっけこれは。
だってこの選択が最善の筈だ。「カスタマイズ」と聞いて真っ先に浮かんだのも、元の状態に戻ることだった。
自分が仕事で家を空けることが多くなったから、ミクは一人ぼっちでいる時間が増えてこうなったんだと思う。
仕事を辞めるのは辛いけど、「カスタマイズ」ためなら構わない。そう思っていた。
でも彼女に今言われて気付いた。
なんだっけこれは。このちぐはぐさは。もどかしさは。微かな違和感は。
自分は、間違いを諌められているのではないだろうか。
顔を上げないまま、彼女は続ける。

「仕事、辞めないで下さい。メンテナンス前のミクも今の私も同じボディです。思考は一緒だと思います」
「考えてることって……?」

ソプラノが震える。

「マスターの作品が好きなんです。仕事じゃなくても作品は見れるけど、色んな人に見てもらえる今が、私はとても嬉しいんです」

顔を上げた彼女の瞳は泣き出しそうなくらい潤んでいた。
象牙ほどに滑らかな肌は、まだ真っ赤に染まったままだ。
今まで見たことのない表情。
それでも、それよりも驚いたことに今度は自分の声が震えた。

「いま、なんて」
「え?」
「俺の作品が」
「はい」
「俺の作品が好きって……」

ハッとしたように彼女が瞳を広げる。
縁取る睫毛も扇動していた。
瞳の中には、自分の姿が写っている。
これは「見せる」動作ではない、気がした。ああこれだ。

「……はい」

はい、はい、と何度も頷く彼女にも伝わっているのだろうか。彼女に訪れている微かな変化が。
綻んだ彼女の笑顔のまなじりにつられて、頬が緩んだ。
そうだ。「カスタマイズ」ってきっと譲歩するんじゃなくて、こうやって一緒に成長することをいうんだ。
すっと心に落ちたその言葉が、それまで感じていた不安や恐れまでも、みるみる内に溶かしていっていく気がした。
その言葉が、自分を死ぬまで生かす何かであるかのように。
続けざまに彼女を見ると、彼女はまだ涙を止められないようだった。
それに手を貸すこともできなかったが、何故か自分には体の隅々まで充足感で溢れてる。
幸せの予兆が、それだけでこんなにも胸を詰まらせるとは知らなかった。
己がかけた魔法はいつか解ける。
毎日を確かめていけば、二人寄り添えるんだ。
そっと彼女の手を取る。彼女が幸せを噛み締めるようにそれを受け取る。
作品名: 作家名:つえり