溺死宣言
一歩踏み出すごとに揺れる、陽炎、青空、アスファルト。
溜めた息を吐いても体内の熱気は出て行かず、俗に言う猛暑の中、身体の右半分のみ下方へ引っ張られる感覚が少年を襲っていた。一筋の汗がこめかみから頬を伝う。拭おうと持ち上げた左手は脱力しきっており、あまり意味を成さないようにも見える。
果たしてその見解は正しく、そこに到着する前に一粒は落下し宙を切った。まっすぐに、揺らいで、落ちていく。ぽた、という、鼓膜にも届かない微音が、小さな死の合図である。鳴り終わるか終わらないかも解らないまま、重なるは蝉の喚き、まるで嘲笑うかのごとく。
少年が把握出来たのは、蝉の声が己を嘲笑っている――という、一つだ。拭う事は諦めたのか、もう一度薄い息を吐き出して、浮いた左手を元の位置に垂らす。その間にも第二、第三と滲み出る汗は、じんわりと、確実に体力を奪っていく。なるほど、今しがた落ちていったひとしずくの事を考えろなど、少年には無理な相談だろう。彼にはもっと考えなければならない事があるのだ。たとえば、右手にかかる重みの事だとか、先を歩く友人の、何とも涼しげな背だとか。
視界の内にそれを収めると、無性に腹立たしくなってしまって、見つめる帝人の眼にほんの少しの恨めしさが混じる。正体は解らない。荷物持ちのように扱われている、現状への憤りだけでは、恐らくない。数年の空白が生んだ何かである事は確かで、しかし自分は口に出す事が悔しいのだろうか、具体的には何も言い切れずにいる。
彼に言い出せる事は一つだ。吸った息を一旦留めると、暑さにあえいでいた唇を大きく開いた。
「ねえ、これ、本当に要ったの……?」
歩みが止まった。しかし正臣は目も向けずに、先の帝人よりも幾分か大きな声でこう言う。
「良いだろー、たまには贅沢したって。それに」
糖分摂取しねえと勉強は捗らねえの。そんな事まで付け加えて、自分はお菓子の入った袋を軽々と振り回しながら再び歩を進める。重さの程は知らないが、こちらの持っているペットボトルの入った袋よりは随分と軽いのではないだろうか。三度目の溜息を吐き出そうとして、やめた。じゃんけんで負けた事を今更持ち出す程、野暮な真似はしたくない。
無言の返しに、それでも彼は満足したらしく、何やら頷いたような仕草の後、堂々と街を謳歌する。池袋から少し華やかさを引いた、夕闇の似合う古臭いアパートを目指して、少年二人の足取りは大きく異なっていた。
きっと、そういう意味も含めて、うらやましかったのだと、今は思う。
けれどそんな事に気付けるだけの余裕を、当時の帝人は持っていなかったのだった。一粒一粒、落ちては死んでいく汗に似て、ぱちんと弾けた様々な思考はやがて一つに纏められる。口から漏れたものは、ひたすら暑いという、短い形容詞だった。連呼すると呪いの言葉のようにも聞こえてくるのだから、おかしな話だと思う。その割には一片の笑みも見せないまま、彼は友人にせめて並ぼうと、足取りを駆け足に変えた。
溜めた息を吐いても体内の熱気は出て行かず、俗に言う猛暑の中、身体の右半分のみ下方へ引っ張られる感覚が少年を襲っていた。一筋の汗がこめかみから頬を伝う。拭おうと持ち上げた左手は脱力しきっており、あまり意味を成さないようにも見える。
果たしてその見解は正しく、そこに到着する前に一粒は落下し宙を切った。まっすぐに、揺らいで、落ちていく。ぽた、という、鼓膜にも届かない微音が、小さな死の合図である。鳴り終わるか終わらないかも解らないまま、重なるは蝉の喚き、まるで嘲笑うかのごとく。
少年が把握出来たのは、蝉の声が己を嘲笑っている――という、一つだ。拭う事は諦めたのか、もう一度薄い息を吐き出して、浮いた左手を元の位置に垂らす。その間にも第二、第三と滲み出る汗は、じんわりと、確実に体力を奪っていく。なるほど、今しがた落ちていったひとしずくの事を考えろなど、少年には無理な相談だろう。彼にはもっと考えなければならない事があるのだ。たとえば、右手にかかる重みの事だとか、先を歩く友人の、何とも涼しげな背だとか。
視界の内にそれを収めると、無性に腹立たしくなってしまって、見つめる帝人の眼にほんの少しの恨めしさが混じる。正体は解らない。荷物持ちのように扱われている、現状への憤りだけでは、恐らくない。数年の空白が生んだ何かである事は確かで、しかし自分は口に出す事が悔しいのだろうか、具体的には何も言い切れずにいる。
彼に言い出せる事は一つだ。吸った息を一旦留めると、暑さにあえいでいた唇を大きく開いた。
「ねえ、これ、本当に要ったの……?」
歩みが止まった。しかし正臣は目も向けずに、先の帝人よりも幾分か大きな声でこう言う。
「良いだろー、たまには贅沢したって。それに」
糖分摂取しねえと勉強は捗らねえの。そんな事まで付け加えて、自分はお菓子の入った袋を軽々と振り回しながら再び歩を進める。重さの程は知らないが、こちらの持っているペットボトルの入った袋よりは随分と軽いのではないだろうか。三度目の溜息を吐き出そうとして、やめた。じゃんけんで負けた事を今更持ち出す程、野暮な真似はしたくない。
無言の返しに、それでも彼は満足したらしく、何やら頷いたような仕草の後、堂々と街を謳歌する。池袋から少し華やかさを引いた、夕闇の似合う古臭いアパートを目指して、少年二人の足取りは大きく異なっていた。
きっと、そういう意味も含めて、うらやましかったのだと、今は思う。
けれどそんな事に気付けるだけの余裕を、当時の帝人は持っていなかったのだった。一粒一粒、落ちては死んでいく汗に似て、ぱちんと弾けた様々な思考はやがて一つに纏められる。口から漏れたものは、ひたすら暑いという、短い形容詞だった。連呼すると呪いの言葉のようにも聞こえてくるのだから、おかしな話だと思う。その割には一片の笑みも見せないまま、彼は友人にせめて並ぼうと、足取りを駆け足に変えた。